経験を積むことで、言い方が微妙に変わってくることはあるんだよ。『この言い方は伝わらないみたいだから、こういう風に言おう』って形で変化することもある
な~んかもう、すっかり<異世界物>の話してないな~。それ以上に話したいことが多すぎるんだよね。
まあ、実際には同じことを何度も話してるように見えるかもだけどさ。
でも、
『同じことを言ってるか? それとも、微妙に違ってきているか?』
ってのも大事なことなんだよね。経験を積むことで、言い方が微妙に変わってくることはあるんだよ。
『この言い方は伝わらないみたいだから、こういう風に言おう』
って形で変化することもある。
『今までの考えだとこの部分の矛盾が説明できないから、こう考えてみたらどうだろう?』
なんてこともよくある。説明できない部分があるのにそれに目を瞑って従来の考えに固執するのは、
『一本芯が通ってる』
とは言わないよ。そういうのはただ単に、
『頑迷なだけ』
だと思う。
自分の考えに固執する大人を<老害>とか言って馬鹿にしたりするじゃん。そうやって馬鹿にするなら、自分はそうじゃないようにしないといけないけど、他人を馬鹿にする人って、自分を省みることはしないんだよね。
てか、自分を省みることができれば、他人を馬鹿になんてそもそもできないと思うんだよ。自分だって完璧な人間じゃないんだからさ。
ましてや、自分の不平不満を他人にぶつけることでストレスの転嫁してるような人は、ただの<卑怯者>だと思う。
とは言え、同時に、自分の身近に、
<不平不満について一緒に考えて穏当な解決手段を模索してくれる人>
がいなきゃ、ストレスの解消しようもないってのも分からないでもないんだけどね。
うちは、家族でそれぞれ、何か不平不満があればお互いに相談し合えるし、一緒に問題の解決について考えることもするよ。
『面倒臭いからお前が勝手に考えろ!』
とは言わない。
だってそうじゃん? 『面倒臭いからお前が勝手に考えろ!』って言って突き放してそれで『他人に八つ当たり』とかしたら、それ、八つ当たりされた方はたまったもんじゃないじゃん。何の関係もないことで八つ当たりされて嬉しい? 私は嬉しくないし許せないけどな。自分の子供がそんなことで他人に八つ当たりしたら許さないよ。
私の勝手で子供達をこの世に送り出した。その私が子供達の不平不満から目を背けて、『面倒臭いからお前が勝手に考えろ!』とか言ってそれでまったく関係ない赤の他人が八つ当たりされるのとかって、筋が通ってると思う?
ちゃーんと自分の子供の不平不満と向き合って、家庭内で解消できれば、そもそも他人に八つ当たりなんてしなくて済むし、ましてや<イジメ>なんてやる必要がなくなるよね?
<イジメ>なんてする人の家庭は、要するにそれができてないってことでしょ?
で、それを理由にイジメをするなら、やっぱり、<他人の所為><親の所為>にしてるってことだよね?




