まあとにかく、医薬品としてちゃんとした効能があってそれで救われる人がいるなら医薬品として加工してしっかりした管理の下で<治療>に使えばいいじゃん。『攻撃的な人間もおとなしくなる』って言うなら
まあとにかく、医薬品としてちゃんとした効能があってそれで救われる人がいるなら医薬品として加工してしっかりした管理の下で<治療>に使えばいいじゃん。
『攻撃的な人間もおとなしくなる』
って言うなら、<攻撃性を抑制する治療>を、それを利用して行えばいいじゃん。
それなのになんで<嗜好品>として許可しないとダメなの? それってつまり、
『それを使うことで救われる人がいる』
なんてのは、ただの<詭弁>だからじゃないの? そうじゃないなら、ちゃんと医薬品として利用されることと目指せばいいだけじゃん。なにもイメージ悪い<嗜好品>として許可してもらうことなんて目指さずにさ。
嗜好品として許可されることを目指すよりよっぽどハードルが低いんじゃないの?
現時点で許可されてる嗜好品である酒やタバコにまつわるマナーの問題、特に酒は、
『いくら問題になっても飲酒運転をやめられないのがいる』
っていう事実を見るだけでも、
『ちゃんと節度を守って嗜む』
ことがいかに難しいか分かるじゃん。なんでそれを無視してんの?
『ハードドラッグの中毒患者に、治療薬として『これで我慢しとけ』って効果があるくらいには人体に影響がある』
ものが、なんのリスクもなく利用できると考える方がどうかしてると思うけど?
医薬品として利用する場合は、その辺りも考慮の上で用法容量も設定できるだろうけど、ただの嗜好品としてばら撒いたら、それこそコントロールできないじゃん。
本当に困ってて、苦しんでて、薬効として必要なんだったらちゃんと<治療>として、医薬品として加工されたものを処方してもらえばいいじゃん。
それともなに?
『治療してもらいたいわけじゃない』
って? だったらそれ、そこまで真剣に困ってるわけでも苦しんでるわけでもないってことだよね?
医薬品としてちゃ~んと効果があるのならそのうち承認されるでしょ。医薬品としてなら副反応についてもいろいろ考慮されるだろうしさ。
そっちを目指す方がきっとずっとハードルが低い。なのに<嗜好品>としても許可させようとして反発を招くとか、それ、ホントに、
『それを使うことで救われる人を救いたい』
と思ってんの? 『それを使うことで救われる人を救いたい』なら、そっちを先に目指すべきでしょうが。それをしないって言うのなら、所詮、
『困ってる人を救おうと頑張ってる自分に酔ってる』
だけじゃん。
そういうの、これまでだって散々批判されてきたことじゃん。どうしてそれを理解しようとしないの? それを理解しようともしないのが、なんで、
『ちゃんと考えてる』
ことになんの?




