子供の習性
『何度も同じことばっか言っててウザい!』
私が育児について語ると、たぶん、何度も何度も何度も何度も同じ話を繰り返し触れることになると思う。
でもね、子供に何かを理解してもらうっていうのは、そういうことなんだよ。
一度や二度言っただけで理解してもらえることなんて、そんなにない。ついさっき注意したことをまたすぐやらかす。
これも、子供の習性だ。
でもね、そんなの当然でしょ?
言葉を教える時だってそうじゃん。何度も何度も何度も何度も言ってみせて、それで覚えていってもらうじゃん。
一度言っただけで覚えられるなら、それこそ、<喃語>を口にし始めたらすぐ、普通に喋れるようにならないとおかしいじゃん。
でも実際には、まともに言葉でコミュニケーションがとれるようになるのは三歳とか四歳くらいになってからかな。さらに大人と変わらないくらいにスムーズに話せるようになるにはそれからまた何年も掛かる。
言葉でさえそうなのに、<小難しい理屈>や<常識>が一度や二度言い聞かせただけで完全に理解できるようになるとか、なんで思えるの?
一度や二度言っただけなのを子供が理解してくれないからって、
『口で言っても分からない!』
とか、『いや、分かってないのはあんたの方だから!』って話じゃん?
でもさあ、私、<覆面作家>だから、こういうことを言ってても、
『実際には旦那も子供もいない非モテ女の妄想乙www』
とか、
『嘘松www』
とか言われるんだろうなあ。
けどさ、私の言ってることを嘘松認定するんなら、どうして、フィクションの中で、
『子供は怒鳴って殴ってってしなきゃ道理も理解できない動物だ!!』
とか言ってたらそれを真に受けたりするの? フィクションだよ? 嘘松どころか最初から<嘘>であり<虚構>だって言ってんだよ? それを真に受けるとか、おかしいでしょ?
フィクションは信じられるのに嘘松の言ってることは全部無価値とか、ダブルスタンダードもいいとこだよね。
要するに、自分が信じたいことは真実認定して、信じたくないことや都合の悪いことは嘘認定してるだけじゃん。
でもね、私は、子育てに関しちゃ自分自身の経験を基に書くよ。魔法とか武術とか戦闘とかは、私は使ったこともないし習ったこともないし経験したこともないから妄想全開だけど、子育てについてだけは、徹底的に自分の経験と実感をぶち込む。
<子育てのリアル>
をぶち込んであげる。
好きでしょ? <リアル>。
だったら、<リアルな子供との接し方の描写>を、私が実際にやってることを、ねっとりたっぷりクドクドと描いてあげるから、ありがたく思いなさいよ。
それでも、自分が信じたくないことは、<嘘認定>するんでしょうけどね。




