相変わらず、『被害者にも問題がある』とか言ってるのがいるんだね。それって、<他人の所為>にしてるだけってのが何で分かんないのかなあ。『被害者にも問題がある』と思うなら、どうして
相変わらず、
『被害者にも問題がある』
とか言ってるのがいるんだね。それって、<他人の所為>にしてるだけってのが何で分かんないのかなあ。
『被害者にも問題がある』と思うなら、どうして、
『<他人の所為にする自分>というものを省みる』
ってことができないの? 他人に対しては『問題がある』とか言うクセに、自分の<問題>にはホントに甘いよね。
<他人の所為にするのが当たり前って思ってる自分>
に対しては実に甘い。
私もさ、自分には甘いよ。マジで甘い。ダンナに子供達を任せちゃったり、家事が下手な自分に甘えたり、すごく甘い。だからこそ、子供達に対しても頭ごなしに怒鳴りつけたりってのはしないようにしてるんだ。私が自分自身に甘いことなんて子供達には見抜かれてるからね。
『被害者にも問題がある』とか言っちゃう人が『<他人の所為にする自分>というものを省みる』ことができないのに他人である私からはそれが見えてるように、<自分以外の誰か>からは自分の問題点が見えてたりするんだよ。
しかもそれは、<自分が気付いてない自分自身の問題点>こそ顕著だったりする。
ほら、自分が気付いてる自分自身の問題点って、何だかんだで隠そうともするでしょ? でも、自分が気付いていない自分自身の問題点は、気付いてないから隠すこともできないわけで、他人からは丸見えだったりするんだよ。
いい歳した大人なのに<言っちゃいけないこと>を大勢の人の前で言っちゃったりする人っているじゃん?
『他人の目からは大問題だってすぐ分かるのに、言った本人は何が良くなかったのか全然分かってない』
ってやつ。結局、そういうことなんだよ。そして、私がここまで言っても、
『<他人の所為にするのが当たり前って思ってる自分>の何が悪いのか分からない』
ってのも多いよね。
『言いたいことが言えない世の中とかおかしい!』
的に逆ギレすんの、改まらないよね?
どれだけ、
<言いたいことが言いたいように言える世の中ってものの正体>
について説明したって、その問題点について理解しようともしないよね? 自分はそうやって<問題点>を見ようともしないのに、『被害者にも問題がある』とか言っちゃうんだ?
『言いたいことが言えない世の中とかおかしい!』とか言いつつ、自分の問題点について他人から指摘されるのは嫌なんだ?
そういう部分について省みることもできない人間が『被害者にも問題がある』とか口にするのなんて、いやはや何と言うか、だよね。




