<他人に厳しい人間>ってのはね、<自分に甘い人間>なんだよ。自分にとって都合の悪いことを認めたくなくて自分の都合を一方的に押し付けたいから他人に対して厳しい態度取んの
世の中には、大人が子供に対して理不尽に振る舞うことを批判すると、
『そんな甘いことを言ってて子供がまともに育つか!』
とか言っちゃうのがいるけど、いやいや、
『他人に厳しいというのは、裏を返せば自分に甘い』
ってことだからね?
小学校一年のテストをやたらと厳しく採点してる教師のとかの話で、
『こういう時に教わったことが後に活きる』
とか言ってるのもいるけど、んん? そういうことを言ってる人は、小学校の一年生の時に言われたこと全部覚えてんの? 誰しもが小学一年生に言われたことを覚えてるとでも思ってんの?
そうじゃないでしょ? もっと後に言われたことが頭に残ってるだけでしょ? もし、小学一年生の時に言われたことを覚えてるのがいたとしても、それは例外的な存在でしかないでしょ? 違うの?
『厳しいことを言ってもらえたから今の自分になれた』
とか言う人は、今、厳しいことを他人から言われてそれをちゃんと受け止められてるの? 耳を塞いで聞こえないフリするか、言い訳並べて自分を正当化しようとしてんじゃないの? それのどこが、
<厳しさを受け止められてる人間の姿勢>
だって言うの? おかしいでしょ。
『<小学一年生の時に言われたことなんてほとんど覚えていないという現実>と向き合うこともしたくない甘えた自分とさえ向き合いたくない』
って甘えそのものじゃん。
<他人に厳しい人間>
ってのはね、
<自分に甘い人間>
なんだよ。自分にとって都合の悪いことを認めたくなくて自分の都合を一方的に押し付けたいから他人に対して厳しい態度取んの。
少なくとも、そういう自分を自覚してれば、『本当は望ましくないがやむを得ずこういう態度を取っている』場合なら、自分の態度を正当化したりしないし言い訳もしないよね? 言い訳をするってのは、自分に甘いからするんだよね?
違う?
私は別に、『言い訳すんな!』って言ってるんじゃないの。
『言い訳したいならすればいいけど、それは少しも<自分に対して厳しい姿勢>じゃないよね?』
って言いたいだけ。
『他人に厳しいのは、裏を返せば自分に甘いってことだ。という事実と向き合ったらどうなの?』
って言いたいだけなんだよ。それを受け止めるかどうかは、私の関知するところじゃない。
ホント、<厳しさ>ってのを美化するクセは、いったい、いつになったら直るんだろうね。
厳しいってことの大部分は実は、
<手を抜きたい楽をしたい自分の都合ばかりを優先したい。っていう甘え>
なんだって事実に、いつになったら向き合えるようになるんだろうね。




