<子供に対して高圧的に振る舞って自分の思い通りに操ろうとする大人>の<やらかし>が止まらない。集団を自分に都合よく操りたいがために一人の子供をスケープゴートにする大人がいる
<子供に対して高圧的に振る舞って自分の思い通りに操ろうとする大人>
の<やらかし>が止まらない。
集団を自分に都合よく操りたいがために一人の子供をスケープゴートにする大人がいる。
ねえ? そんなやり方をして、子供が、
<他人を敬うことができる人間>
に育つとでも思ってんの? 大人が子供の目の前で、自分より圧倒的に弱い相手を虐げなぶりものにしてる姿を見てて、それでどうやって<他人を敬うことができる人間>に育つって言うの?
そりゃまあね。ガミガミ煩く言って<立派な人間のフリをする方法>を押し付けていったら、確かにその時点では、
<立派なフリをする人間>
にはできるかもしれないよ? でも、<立派なフリをする人間>はあくまで<立派なフリをする人間>なだけだよね? その本性は、<他人を敬うことができる人間>じゃないんじゃないの?
それとも、<立派なフリをすることができる人間>こそが、<立派な人間>だとか思ってる? いやいや、そんなの、ただの、
<裏表の差が激しい人間>
でしょ。口先ではご立派なことを並べてても裏に回れば途端にヤバい本性が丸出しになるタイプでしょ?
私は<ロクデナシ>だけど、外面だけ整えて<立派な人のフリ>ができればOKだなんて思ってないよ。
『現場を知らない人間が偉そうに!』
とか言うかもだけど、いやいや、現にそうじゃないやり方で上手くいってるところがあるのに『できない』『無理だ』とか泣き言並べてる大人の言うことに説得力とかないから。
だいたいさ、そんなこと言ってる大人は、子供が二人とか三人とかでも、できないでしょ? だって、本質的に、
『相手を人間として敬う』
ことができないからそんなことしてるんだし。
逆に、『相手を人間として敬う』ことができる大人なら、『集団を自分に都合よく操りたいがために一人の子供をスケープゴートにする』なんてやり方しないしできないでしょ。だってそれ、『相手を人間として見做さない』ってのが前提にないとできないやり方なんだからさ。
結局、自分が楽をしたいから安直な方法に頼ろうとしてるだけなのが見え透いちゃってんの。そんな大人がどんなご高説垂れたって、<相手を人間として敬う>ことには繋がらないよ? だってさ、こんなふうに言ったらブチ切れて罵ってくるでしょ? それだけでもう、『相手を人間として敬うことができない』っていう証拠じゃん。
自分がそれを証明しちゃってんじゃん。
安直な方法に頼ろうとする大人が<努力>とか何とか口にしたって、本人がその<努力>を放棄してんだもんな~。




