私だって、第一子である長男が生まれた時には、<産後鬱><産後クライシス>的な状態にもなりかけたよ。何しろ、<子供の育て方>なんて、教わってないからさ。私の両親は教えてくれなかったからさ
私だって、第一子である長男が生まれた時には、<産後鬱><産後クライシス>的な状態にもなりかけたよ。何しろ、
<子供の育て方>
なんて、教わってないからさ。私の両親は教えてくれなかったからさ。何をどうすればいいのかまるで分らなくて、ただただ手探りだったよ。
私の両親がしてたのは、
<兄のスケープゴートにするための飼育>
でしかなかったからね。私を死なせるといろいろ面倒なことになりそうだから死なせないようにしてただけで、『育てる』つもりなんて一ミリもなかったのは分かってる。
両親にとって必要だったのは、兄だけだったんだ。
そんな<問題のある家庭>に育った私は、これっぽっちも『まとも』じゃないよ。
人間性としては<クズ>もいいところだと思う。
だけどさ、私の場合は、何度も言うけど、
『他人を傷付けようとすれば自分も幸せになれない』
ってことに気付けたから、あくまで合理的打算的に、
『なるべく他人を傷付けないようにしよう』
って思えるようになったからそうしてるだけなんだ。
『自分が幸せになりたいから他人を傷付けないようにしてる』
だけなんだよ。
<善意>とか<慈愛>とか、そんなご立派なもんじゃない。てか、私には基本的にそんなもの備わってないって実感しかない。
だから、自分にとって大切と思える相手しか、能動的に『大切にしよう』と思えないんだ。
よく、
『自分の愛する人を救うためなら、世界のすべてを敵に回したってかまわない』
ってのがフィクションであるじゃん? 私、そっちの方が共感できるんだよ。
『私の大切な家族や友達以外の人間なんて、何人死のうがどうでもいい』
というのが嘘偽らざる本音なんだよ。
もし、ワクチンを使わなきゃ感染率百パーセント致死率百パーセントのウイルスが現れて、それでワクチンが十人分しかないってなったら、私は迷わず、
<自分の大切な人達>
に使うよ。私を含めた十人以外の人間がすべて死に絶えようが知ったこっちゃない。
ただ、現実にそれを実行しようとすれば、
『ふざけんな!!』
と思われて、
『お前は世界の敵だ!!』
みたいなことになるのが目に見えてるから、あくまで合理的打算的に判断して何か他にもっとたくさんの人が助かる方法がないか探す努力はしなきゃって思うだけなんだよ。
そして私がそんな風に思えるようになったのは<小説>に出逢ったからなんだけど、ただ私が小説を読むようになったきっかけは、
『現実を見たくない』
っていう<逃避>だったんだ。これは決して、私自身の<努力>でもなんでもない、単なる<偶然>。
『逃げ込んだ先で<運命の出逢い>をしたってだけのこと。
そんな偶然頼み運頼みで常に上手くいくわけないじゃん。




