『友達だったら、信号守るとかウザいこと言わないよね』的な同調圧力を掛けてくるのがいるのもおかしいんじゃないの? どうして、ルールを蔑ろにする側に合わせなきゃいけないの?
例えば『信号を無視する』とかいうことについても、
『自動車が来てないんだから別に守る必要ねえだろ』
ってことで簡単に単純に考えればいい。ってのがいるみたいだけど、そうやってルールを守らない大人の真似する子供がいるって事については全く考えてないんだよね。
そう言うと今度は、
『子供を躾けるのは親の役目だろ!』
とか言ったりするんだけど、んん? そういう自分は子供の頃は信号守ってたの? 子供の頃は信号守ってたけど大人になってから守らなくなったの?
中学生とか高校生とかの子供の頃にはもう信号守らなくて、そのまま大人になっても信号を守らないってのが少なくないと思うけど?
私の子供達は信号を守ってくれるよ。そして、信号を無視することを強要してくる相手は、<友達>なんかじゃない。
ああ、そう言えば、
『友達だったら、信号守るとかウザいこと言わないよね』
的な同調圧力を掛けてくるのがいるのもおかしいんじゃないの? どうして、ルールを蔑ろにする側に合わせなきゃいけないの? 一緒になってルールを蔑ろにするのが<友達>だって?
いやいや、おかしいでしょ。
ましてや、信号を守らない大人の真似をして子供が信号を守らなかったら、それについては『子供を躾けるのは親の役目だろ!』とか言って言い逃れしようとする輩は、『友達だったら、信号守るとかウザいこと言わないよね』的な同調圧力を掛けてくるようなのに対しては『違う、そうじゃない』って言ってくれんの?
まさか、『友達だったら、信号守るとかウザいこと言わないよね』とかいう理屈に同調したりしないよね?
それとも、『簡単に単純に考えればいいだろ』ってことで、『自分の知ったことじゃない』とでも言うつもり?
だとしたらやっぱり、
『自分が簡単に単純に考えることで、それでは割り切れない部分のしわ寄せを他人に押し付ける』
ってだけだよね?
しかも、様々なことについてしっかりと思いを巡らせることがストレスだから、そのストレスが掛かるのが嫌だから自分だけは簡単に単純に考えたいって言うのなら、それ、『ストレス耐性が低い』ってことじゃないの?
『何を強くストレスに感じるかなんて、人それぞれだろ!』
とか言うのなら、じゃあ、簡単に単純に物事を考えることを他人に強要しようとすんの? それが他人にとって強いストレスになる場合があるかもしれないと、どうして考えないの?
てか、そもそも、『自分が簡単に単純に考えることで、それでは割り切れない部分のしわ寄せを他人に押し付ける』なんてのは、自分に掛かるはずだったストレスを他人に押し付けてるってことでもあるよね?
それって自慢できるようなこと?




