『生まれつきの性格の所為で悪いのに育った』なんて、『世間が悪い』『社会が悪い』とか言ってるのと同レベルの<責任転嫁>でしかないよ
私はさ、自分で子供を育ててみて、つくづく思ったんだよ。
『なんで他人を平然と傷付けられるような人間に育つの?』
ってさ。いや、私の子供達を見てると、どう考えたって少なくとも私やダンナがいる間はそんな風に育つ可能性がないんだよ。だって、不平不満があれば私かダンナが受け止めるし、他人に当たる理由がないんだよ。
だけど、実は、上の二人は特に、本質的には激しい気性の持ち主だっていうのは分かってるんだよね。<生まれつきの性格>という意味でね。でも、他人を傷付けたりすることは嫌いなんだ。
<生まれつきの性格>は、『どういう人間に育つか?』ってことを決める要素の一つではあっても、それだけで決まるわけじゃないよ。
『生まれつきの性格の所為で悪いのに育った』
なんて、
『世間が悪い』
『社会が悪い』
とか言ってるのと同レベルの<責任転嫁>でしかない。
他人を傷付けてて、それで何が得られるの? フィクションにあるみたいな、
『殴り合ってそれで友情が生まれる』
みたいなの、ホントにあるとでも思ってんの? そんなの、百人と殴り合って一人か二人って感じじゃないの? 残りの九十八人とか九十九人とかからはただ恨まれるだけだと思うけど?
実際、恨みを買ってるのが多いんじゃないの?
他人を傷付けておいて、迷惑を掛けておいて、そのお詫びはちゃんとしたの? 罪は贖ったの?
その辺の<けじめ>もちゃんとつけてないのなら、およそ自慢なんかできる話じゃないよね? 『男らしい』とか、『筋の通った生き方だ』とか、とても言えないと思うけど?
もっとも、そう言ってる私自身、自分が掛けてきた迷惑のすべてを清算できてるとはまったく言えないから、『できてないこと』自体を責めるつもりは全然ないよ。あくまで、
『自分の過去を清算できてないのに、武勇伝みたいに語るのはおかしいんじゃないの?』
って言いたいだけでさ。
私は、自分の過去は恥だとしか思ってないよ。その経験が今の私を作ってくれてるのは事実でも、自慢できるものじゃないとは思ってる。
自慢するつもりもない。
ましてや、誰かを傷付けた過去なんてさ。
他人を平然と傷付けて、あまつさえそれを自慢げに語る。どんな神経してたらそんなことができるんだろうね。
どんな風に育てたらそんな風に育つんだろうね。
子供達に幸せになってもらいたいと思ったら、他人を傷付けることを当たり前だなんて思わせちゃおかしいよ。
自分の子供が他人を傷付けて不幸をばら撒くようなのに育つのを見て見ぬフリできる<親>ってなんなの?
自分の子供の矛先が他人に向けられることで、自分が被害に遭わなけりゃそれでいいの?




