仮にも<批判>だっていうなら、<意見>として相手に届かなきゃ意味ないじゃん。なのに、実際には、<意見>を届けようとしてるんじゃなくて、<悪意>と<敵意>と<害意>をぶつけてるだけじゃん
私がこれをしたため始めてからもう長編二冊分くらいにはなったのかな?
でも、これだけ言葉を重ねても、届く人はほとんどいないと思う。
だって、大前提として、私が信頼されてないから。
信頼もしてない相手の言葉に耳を傾けてくれる人は、本当に少数派なんだ。
何しろ私自身、信頼もしてない相手の言葉なんて素直に耳を傾けようとは思えないしさ。
まあそれでも、仮にも社会人として大人として、<意見>には耳を傾けようとは思うよ。努力はするよ。
だけど、ただの罵倒や侮蔑や嘲りはさすがにスルーだなあ。
だからさ、そんなものに耳を傾けてくれる人なんて滅多にいないっていい加減に認めようよ。その事実に向き合おうよ。
なんて、そう言ったって届かないのは分かってるけどさ。
でもね、仮にも<批判>だっていうなら、<意見>として相手に届かなきゃ意味ないじゃん。なのに、実際には、<意見>を届けようとしてるんじゃなくて、<悪意>と<敵意>と<害意>をぶつけてるだけじゃん。
それのどこが<批判>だって? 相手を叩き潰そうとするのはただの<害意>だってなんで気付かないの?
<批判>と<害意>の区別すら、親は教えてくれなかったの?
もしここで『親の所為にするな!』って言うんなら、それこそ、
『<批判>と<害意>の区別すら理解しようとしなかった自分はなんなの?』
って話じゃん。
ただの自分の<憂さ晴らし>を<批判>なんて言葉で粉飾するのは、<大人>のすることなの? ロクデナシのダメ人間である私でさえ、それはおかしいと思うよ?
何度も言うけど、この世の中が何もかも自分の思い通りになるなんてことは有り得ないんだ。自分以外のすべてが自分を認めてくれるなんてことは有り得ないんだよ。
その当たり前のことがどうして認められないの? そんなに自分だけが正しいと思いたいの? 自分の気に入らないものはこの世から消え去るのが当たり前なんて<子供の理屈>が通ると思い込まずにいられないの?
そんなことを思うのが許されるのは、子供のうちだけだよ? 自分を大人だと思うなら、この世の何もかもが自分の思い通りになるわけがないって現実と向き合わなきゃダメなんじゃないの? そんなのじゃ社会ってものも成立しないよ?
自分にとって嫌なもの、気に入らないもの、認めたくないもの、そういうものもどうしたってあるのが<社会>であり<この世>ってもんなんだよ。
ましてや、生み出される創作物のすべてが自分の好みに合わせて作られるなんてことは有り得ないんだよ。
<好み>なんてのは、それこそ人の数だけあるんだからさ。




