ゆとり教育もびっくりのぬるま湯じゃん
本当に本当にしつこく何度も言うけど、世の中には、
『親の所為にするな!』
って声高に叫ぶ人がいる。しかも、誰かが親の影響について触れようとしたら、
『お前の周りには親しかいなかったのか!? お前の人間関係は親だけか!?』
とか言っちゃう人もいるみたいだよね。
でもさあ、<実際に子供を育ててる親>として言わせてもらうと、
「いや、他人の影響なんて微々たるもんだよ?」
としか思わないよ。それこそ自分のお腹痛めて目の前に落雷があったみたいな衝撃を感じながら産んでそれで育ててきたこれまでの経験で得た実感。
私とダンナ以上に子供達に影響を与えたものなんて、ないよ?
むしろあったらビックリだわ。
まあ、ダンナの従兄がこれまた超絶イケメンなこともあって、上の娘が、今、メロメロだったりするけどさ。でも、はっきり言って私達以上に子供達に影響を与えた存在はない。
断じてない。
テレビ番組やアニメや漫画やゲームの影響なんて、それこそハナクソ以下だよ。
そういうのに大きく影響されたんだとしたら、どんだけ自分の子供と向き合ってないんだよ!?って話じゃん。
『親の所為にするな!』
って言うんだったらさ、親として、子供に与える影響について、
『他人の所為にするな!』
って話にならないとおかしいよ?
親は、子供が何か言っても『親の所為にするな!』って擁護してもらえる上に『子供に与えた影響を他人の所為にしても許される』とか、ゆとり教育もびっくりのぬるま湯じゃん。
はっきり言って、子供にとって<親>は、
<生殺与奪の権さえ握っている絶対の存在>
だよ? 周りにいる有象無象なんてそれこそ何の意味もないくらいの<絶対者>だよ?
特に、幼児のうちならね。
人格の基礎部分が形成される段階における親の存在感を舐めるんじゃないよ。
そうして形成された基礎部分の上にちょっとばかり他人やら何やらの影響部分が乗っかっても、<人間としての本質>部分には大して影響もないよ。
私自身、小説と出逢って自分の親がいかにロクでもないことをしてるか知ることはできたけど、もうその時点に出来上がってた私の本質部分については、いまだに何も変わってないよ。
現役バリバリの<ロクデナシ>だよ。
単に、そういう自分をいくらか制御できるようになっただけ。
だいたいさあ、世の中には、
<類は友を呼ぶ>
ってのがあるんだよ? 親が構築した親の人間関係って、それこそ、
<本質的には同系統の人間の集まり>
だよ? つまり、親と関わりの深い人間の多くが、親と同類なんだよ。ということは、そういう人達の影響を受けたと仮定しても、ね? ってこと。
学校の教師とか子供が自分で作る友達とかも、親の影響に比べたら薄い薄い。
だって、学校の教師や友達は、<生殺与奪の権>なんて握ってないじゃん?
私にとっての小説みたいに、何かの<きっかけ>くらいはもたらしてくれるかもしれなくても、それさえ、親に強権発動されたら消し飛ぶ程度のものでしかないよ。




