自分の普段の言動を見直すべき
あと、大前提として、私が<小児性愛>云々の話をすると、まず間違いなく、
『お前が言うな!』
って言われるんだよ。だって私、<オネショタ作家>ってことで認知されてるし。たぶん、私自身、<小児性愛者>の括りにされると思うんだよね。
だから私は、世間がこの話題で盛り上がってても、参加しないようにしてる。
絶対、<オネショタもの>を書いてるのを理由に攻撃されるから。
だけどさ、実はこのこと自体、私がこれまでに何度も言ってきた、作品の中でも何度も取り上げてきた、
『お前が言うな!って思われたらもう話を聞いてもらえない』
ってことの証拠でもあるんだよね。
つまり、
『子供が言うことを聞いてくれない』
ってのは、親の言行不一致を理由に、『お前が言うな!』って子供に思われてるんだろうなってことだよ。
子供が自分の言うことを聞いてくれないって感じたら、まず、自分の普段の言動を見直すべきだと私は思う。
それをせずに、
『言うことを聞かない子供が悪い!』
とかいくら言ったって、いくら攻撃したって、問題は解決しないよ。
だって、子供が言うことを聞きたくない理由を、自分が作ってるんだからさ。
で、小児性愛の話に戻すと、どうも、小児性愛を題材にしたフィクションが小児性愛を助長するとか、小児性愛者を作るとか言われてるみたいだけど、私自身が親として、言わせてもらうと、
『そんなの、親の怠慢じゃん』
だとしか思わない。自分の子供を、フィクションと現実の区別もつけられないような人間にしたのは親じゃん。
自分が今まさに子供を育ててる親だからこその実感だよ。
フィクションの中に、<命>はない。
フィクションの中に、<現実>はない。
この当たり前の事実を理解して、現実と区別を付けられるようになるようになんでできないの?
フィクションが子供を抱き締めてくれる?
フィクションがぬくもりに包んでくれる?
フィクションが鼓動を伝えてくれる?
どれ一つとしてフィクションには存在しないじゃん。そんな気がしたとしても、それはあくまで<そんな気>でしかなくて、現実じゃない。
どうしてその当たり前のことを理解できるようにしてあげられないのかが、分からない。
それにさ、
『犯罪行為の描写は許されない』
って言うんなら、この世のフィクションのほとんどは存在できないよ。
ましてや、
<エンターテイメントとして描かれる犯罪行為>
の代表格は、
<復讐>
だよね?
『自らの手で敵の命を奪って復讐を果たす』
ってのは、百パーセント犯罪行為だよ? それ以外の何物でもないよ?
『犯罪行為を描くなら、それも肯定的に描くなら、犯罪を助長する』
って言うのなら、フィクションの定番中の定番の一つである<復讐劇>も描けなくなっちゃうよ?
まあ、私自身は復讐劇そのものを描くことがあんまりないから、大してダメージはないと思うけどさ。




