創作の醍醐味だよね
なんてこと作品の中に盛り込んでたって、
『フィクションだから』
で流されちゃうのは分かってる。でもさ、前にも言ったと思うけど、それを読んだ人のたった一人でも、何かの参考にしてくれれば上等なんだよね。
私が、小説を読んだことで自分の両親のやってることがおかしいと思えたのと同じでさ。自分は両親の真似はしないようにしなくちゃって思えたのと同じでさ。
私は、三人の子供を育ててる。その三人には、私がこれまで触れてきたことが伝わってる。と言うか、私自身が、普段の態度や言動や振る舞いで示してきてるから、それを真似てくれてるんだ。
私みたいなロクデナシが親でも、あんなにいい子たちに育ってくれてる。少なくとも、くだらない些細な理由で他人を馬鹿にしたり貶したり腐したり攻撃したりしないんだよ。
他人の容姿を、趣味を、ファッションを、好みを、家庭環境を、境遇を、馬鹿にして悦に入るような子じゃないんだよ。
心当たりはない? 自分の周りにそういう人がいたりしない?
そして、自分がそういうことをしてない?
私の子供達は、それをしないんだよ。それをする理由がないんだよ。
これだけでも大きなことだけどさ、そこに加えて、私とは縁もゆかりもなかった、ただ私の作品を読んでくれただけの人が、一人でも、ほんの少しでも参考にしてくれたら大成功なんだ。
だって、私が育ててるわけでもなんでもない人なんだよ? 本来なら何の影響も与えることのなかったどこかの誰かなんだ。
本当にすごいことだよ。
これもさ、創作の醍醐味だよね。
でもその上で、フィクションはフィクションなんだっていうのは、ちゃんとわきまえなきゃいけないけどさ。
私の言ってることも、私が作品に盛り込んでることも、まったくそのまんま他の事例に当てはめたって、上手くいかないかもしれない。
これまでにも何度も何度も言ってきたことだけど、その子、その人、その誰か本人のことをちゃんとよく見て、それぞれの事情に則したやり方をしないと、逆効果になることもあるんだ。
著名人の<子育て論>をそのまま自分の子供に当てはめたって必ずうまくいくわけじゃないのと同じでさ。それが失敗するのは、結局、<著名人の子供>と<自分の子供>が置かれてる状況も違うし背景も違うし性格も違うし感じ方も違うってことをわきまえてないからだと思う。
その時その時に掛けなきゃいけない言葉とかが、言葉をかけるタイミングとかが、子供によって違うんだよ。同じ両親から生まれた兄弟姉妹でさえ違う。それをわきまえてないと、
『お兄ちゃん、お姉ちゃんはいい子なのに、どうしてあなたはそんななの?』
みたいなことになるんだろうね。
そうやって兄弟姉妹でさえ違うんだから、まったくの赤の他人の子供の事例をそのままっていうのは、さすがにヤバすぎじゃないかな。




