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自分とは違う存在

『そんなことばっか考えてて疲れない?』


大学に通ってた頃、同じゼミに通ってた、<まあたぶん友達かな>って思ってた子に、


『自分が生まれてきた意味』


とか、


『世の中の全ての矛盾を合理的に説明するにはどうしたらいいか?』


とかいつも考えてるって言ったら<可哀想なものを見る目>を向けられたんだ。


もっとも、その、<可哀想なものを見る目>っていうの自体が、当時の私が感じてたただの<被害妄想>だったかもしれないけど、少なくともその時にはそう感じたんだよね。


で、


『あ、この子とはやってけないな』


と実感して距離を置くようになった。


それ自体は後悔してないけど、


『全然疲れないよ? だって私にとってはこれが普通だし』


みたいに言えなかったことだけは今でも残念に思ってる。


そうなんだ。私にとっては延々と考え続けることは少しも疲れることじゃない。むしろ、何も考えずにいることの方が苦痛だ。


何も考えずに目先のことに一喜一憂してるだけの生き方は、私にとっては<拷問>なんだ。


分からない人には分からないだろうな。この感覚。だけど、


『分からない』


ことが大事なんだと思う。


『分からないことが分かる』


のが大事だと思うんだ。


『自分には何でもかんでも理解できるわけでじゃない』


ってのを認めることが大事なんだよ。そこから本当の<相互理解>が始まるんじゃないかな。


『相手は自分とは違う存在なんだ』


っていうのを認めることに繋がるから。<違う存在>なんだから自分の思い通りにはならないのが当然なんだよ。


『自分の作品を読者が理解してくれない』


ことも、


『作者が自分の思ったとおりの展開を描いてくれない』


ことも、どっちも当たり前のことなんだよ。


だって相手は<自分とは違う存在>なんだからさ。


これは、親と子だってそう。『親は子じゃない』し、『子は親じゃない』んだ。それを認めないから、相手が自分の思い通りになってくれないことが許せない。


この世の中にある<矛盾>について延々と考え続けたからこそ、私はその考え方が納得できる。


だってそうでしょ? 私が当たり前みたいに考えてこられたことを誰もが共感できるわけないじゃん。それが共感できるなら、私はとっくにこの世界を救ってるよ。


まあでも、


『世界を救う』


なんて考え方自体が頓珍漢だなって私自身は思ってるけどさ。


それって結局、


<自分にとって都合のいい世界>


にしようとしてるってことだからさ。


<自分にとって都合のいい世界>は、他の誰かにとっては<都合の悪い世界>だったりするからさ。


私はそれを認められるようになったから、自分の子供が自分の思い通りになるなんてのがそもそもおかしいって分かったんだよね。



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