016
ヒチリが翼竜を一刀両断してから、一ヶ月後――
「あ、もう――ダメだって、くすぐったいよ、月光」
朱音沢公園の一角で、小さな狼に飛びつかれ顔を舐められているベルが抵抗する。
それでも中々離れてくれない仔狼に、ベルはすぐ近くにいる大きな狼――狂月へと視線を向けた。
その視線を受けた狂月は、母親らしい穏やかな顔をしながら、月光の首を加えてベルから引きはがす。
「ありがとう、狂月」
ふにゃっとした笑顔を見せて、ベルは立ち上がる。
翼竜との戦いのあと、ヒチリとショウはベルを伴って、狂月の元を訊ねた。
犬用のビーフジャーキーを持って行くと、狂月もその子供も、素直に受け取ってくれたのだ。
その後、この場所よりも安全に子育て出来る場所がある――と、ベルが狂月に語りかけた。
ちゃんと人の言葉が分かったわけではないだろう。
だが、翼竜の一件と、ヒチリ達の態度で、自分達を傷つけるようなことはしないと判断したのかもしれない。
二匹は素直にベルに従うと、ここ――朱音沢公園へとやってきたのだ。
『ドムス・アウレア・ENT』の裏手にある公園は、他の魔獣も出没する為、手配を解かれたとはいえ狂月親子もバスター達に狙われかねない。それでは安心して子育てもできないだろう。
ましてや月光は好奇心旺盛な子供だ。いつかは何も知らないまま人間の前に姿を現しかねない。
それを心配してベルはこの公園へと連れてきたのだ。
この公園の敷地内であれば、月光がどれだけ遊び回っても問題は無い。
もちろん、花壇を荒らせば怒られるので、そこは要教育である。
「ベルちゃん!」
「あ。おじさん」
狂月達と遊んでいると、公園管理人のおじさんに呼ばれ、ベルはそちらを見遣った。
このおじさんも狂月を快く受け入れてくれた。
まだまだ魔獣に対する忌避感はあるようだが、この公園を護るスピリットのおかげで多少耐性が出来たのか、それとも狂月達の見た目が、馴染みある狼――というか犬だと思ってるかもしれないが――のシルエットをしているからか。
何はともあれ、二匹のことを可愛がってくれているし、月光もすぐにおじさんに懐いていた。
「そろそろリュウテキ君達との約束の時間だろう? 迎えに来たよ」
「はーい」
ベルは狂月親子に挨拶をすると、おじさんの軽トラックの助手席に乗り込む。
「シートベルトはしたいかい? それじゃあ行こうか」
そろそろと軽トラックが動き出す。
その姿を見ながら、月光は「また遊んでね!」とばかりに、まだまだ小さな遠吠えを上げるのだった。
「具合はどうだい? リュウテキ君?」
「悪くない、かな」
返事をしながら、肘や手首を曲げ、指の曲げ伸ばしをする。
戦闘用の間に合わせではない、ちゃんとした義手。
それは、人形造型師自慢の逸品だけあって、傍目から見るととにかくリアルなものだった。だが同時に、それが義手であるのだと、一目で分かる特徴がある。
事前に彼女が言っていた通り、手首と肘が球体関節になっているのだ。
それがどういう原理で、自分の思い通りに動かせているのかは、リュウテキも良く分かってはいないが、とにもかくにも、やはりちゃんとした腕があるのは良い。
「これからは常に長袖じゃないとダメかなぁ……」
ついでに、手首も隠せる長手袋なんかもあると良いだろう。
「なんだ隠すのか」
「世間一般としては、隠しておいた方が気を使われないからな」
つまらなそうなコッペリウスにそう返して、リュウテキは上着を羽織った。
「付け外しは先程説明したとおり、君一人でも出来るようにしてある。
戦闘用の間に合わせに作ったヤツも微調整して、ちゃんと使えるようにしておいたから、必要があれば使ってくれ。
こっちはサービスだ。料金は気にしなくていい」
「致せり尽くせりだな」
そう言いながらも、リュウテキは改めて礼を告げる。
「マジで助かった。ありがとうな、コッペリウスさん」
「そんな改まる必要はないさ。
ベル君を紹介してくれたおかげで、心ゆくまでスピリット達を観察出来た。その礼みたいなものさ。
それに、こちらも楽しかった。人間と人形の融合作品……今まで考えたコトもなかったが――なに、腕だけとはいえ中々に充実した日々を過ごせたよ。
次は是非とも人形に生身の腕を付けるコトに挑戦してみたい」
「そーかい」
相変わらずのマッド発言にひょいっと肩を竦めてから、リュウテキは訊ねる。
「あの契約……本当にあれでいいのか?」
「ああ。もちろんだ。時が来たら果たしてもらいたいと思う。
まぁ……しばらく観たいものが増えたので、依頼をするのはもうしばらく先になるだろうがね」
「それまでは実質タダ同然か」
新しい自分の腕を撫でながら、呟く。
それが聞こえたようなのだが、コッペリウスは特には何も言ってこない。
「さて、そろそろ行くぜ。
そっちは、まだこの近辺にいるのか?」
コッペリウスはリュウテキのように一所に留まるタイプではなく、あちこちに流れて仕事をするタイプのバスターだ。もしかしたら、近い内にここを発つかもしれない。
そうであるのならば、その前に一緒に食事でもしたいと、ヒチリとショウが言っていたのだ。
「いや、君の腕の様子をしばらく見ておきたいからな。
すぐに旅立っても構わないのだが、こちらが出た後で、腕の調子が悪くなったりしたらことだろう?」
「まぁな。助かる」
本当に致せり尽くせりだ。
ここまでしてもらった以上、この地を去る去らないは関係ないかもしれない。
「礼――って、ワケじゃねぇけど、ショウとヒチリが一緒に食事でもしないかって言ってたんだ。これからどうだ?」
リュウテキの言葉に、
「素敵な誘いだ。断る理由はないな」
笑みを浮かべながらうなずいた。
「コッペさん来るって」
リュウテキからのメールを確認していたショウは、携帯端末を閉じてポケットに仕舞う。
「そっか。どこがいいかな?」
「なんか、この辺りに詳しくないから、お昼とか夕飯とか、時間つぶしとかそういうのがしやすくて美味しいところを教えてほしいとか」
「マリーメイ屋?」
「言うと思った。けど、あたしもそこ以外思いつかないや」
笑顔で肩を竦めるショウに、ヒチリも笑う。
それからヒチリはリュウより先に合流できたベルに向き直った。
「ベルは、何か食べたいものある?
助けに来てくれたお礼に、ごちそうするよ」
「えっと……ケーキ食べたい、かも」
「じゃあやっぱりマリーメイ屋だね」
なんだかんだで馴染みの喫茶店になってしまったが別に問題はないだろう。
行き先が決まると、あとはリュウテキとコッペリウスがここにくるのを待つだけだ。
が――
「遅いねー……診察というか、腕の具合のチェックとか長引いてるのかな?」
「《翼竜》絡みで誰かに捕まってるとか?」
「そっちの確率の方が高いかも」
ヒチリの言葉に、ショウはやれやれと肩を竦める。
そこへ、
「あの……ショウさん、ヒィさん」
ベルがおずおずと切り出してきた。
「《流離う翼竜》って、全国手配されてた、上位手配獣、だよね……?」
「まぁねぇ。だから、その手の特集してるメディアから取材依頼とか来てるんだけど」
リュウテキが遅いのは、その類に捕まっている可能性があるのだ。
「えっと、倒したのは、自慢出来るコトだと、思うんだけど、しないの?」
ベルの質問に、ヒチリとショウは困った表情で顔を見合わせてから、答えた。
「しない――っていうか、したくない」
「正直、戦いを挑んだ経緯もその結末も格好悪いしねぇ」
それに、こういうところで有名になってしまうと、こちらの実力に見合わない上位の依頼が殺到する場合が多い。
そんな面倒くさい仕事はしたくないし、その手の仕事は断り続けると、勝手な勘違いをされかねないのだ。
ヒチリもショウも、《翼竜》を倒したのち、冷静になって気づいた。
上位クエストや、上位手配獣なんて、手を出すものではないと。
確かに報酬は美味しいし、一気に知名度が上がるが、面倒事も増えるのだ。
倒してから帰ってくるなり、怪我の手当てや食事などする間もなく周囲を囲まれてしまった。
話を聞きたがってる人たちばかりではあるのだが、邪魔だ――と、思わずヒチリが叫んでしまう程度には酷かった。
その状況を見た知り合いのバスター達が、群がる人達を一喝。
何とか休めるようになるまでに、帰還から一時間以上掛かってしまった。
それが落ち着けば、どこから聞きつけてきたのか、マスコミなんかも集まり初めて、実質《雅》は、休業状態だ。
まぁリュウテキの義手の完成を待ってたのもあるし、ショウの両腕の怪我もかなりのものだったので、しばらくは療養休業の予定ではあるのだが。
「斡旋所に、顔を出さない方が、良かったんじゃ、ないの……?」
ヒチリ達の話を聞いて、思わずベルがそう言うが、それに二人が首を振った。
「ドタバタしちゃうのは確かなんだけど、今回の一件で結構色んな人に迷惑掛けたり心配掛けたりしたからね……ちゃんと、顔を出しておこうと思ったんだ。
怪我とか含めてようやく落ち着いてきたから、尚更ね……」
「――っていうかベルぴんってば他人事だけど、事実はともかく、周囲はキミも《雅》扱いだからね。ワイバーン退治の時に一緒に居たのは確かだから」
「そういうことなんだ……。何か、良く知らない人に、声を掛けられると思ったら……」
どうやらベルにも心当たりはあるらしい。
「平気だった?」
「うん。良く分からないから、全部無視しちゃった……知らない人と話すの、苦手だし。
管理人のおじちゃん達にも、知らない人に、ついて行っちゃダメって、言われてる」
それが正解だ――と二人はうなずく。
正直に言ってしまえば、ヒチリ達は別に英雄になりたいとは思っていない。
あちこちを放浪しながら暴れていた《翼竜》が退治された――その情報だけが、みんなに伝われば良いと思っている。
それはリュウテキだって同じだろう。
こんな時代だからこそ、誰かが何か大切なものを失うことを防ぎたい、守りたいのだ。
それがカッコ付けだとか、偽善だとか、そういうことを言われてしまうこともあるだろうし、自分達にそういう面がゼロであるとも断言できない。
だけど、守りたい――その一念だけは、三人の本当の気持ちなのだ。
「あ、そうだ。ベルるるも《雅》に入る?」
「入るって……わたしはバスターとか、あまりしたくは……」
「名前だけ名前だけ。
これから先、《切り拓く者》がバスターもせずにフリーでいると、色々とあるかもしれないからさ。
とりあえず、名前だけでも《雅》のメンバーってコトにしとけば、予防線になるかもしれないよ?」
ショウの言葉に、ベルは少しだけ悩んでから、
「……わたしが居ても、迷惑にならない?」
少し自信なさそうに訊ねてきた。
それに、不安を与えないような優しい笑顔で、ヒチリはうなずく。
「もちろん。むしろ大歓迎だよ」
ヒチリの言葉に破顔するベルを見て、ショウは付け加えるように言った。
「何か困ったら、リュウちゃんに聞いてとか、リュウちゃんなら何か知ってる――とか、言っていいからね。
但し、決してリーダーに聞いてとかは言わないように。必ずリュウちゃんに振るコト」
「……リュウさんってリーダーじゃないの?」
「リーダーはヒィちゃん」
即答するショウに、遠い目をしたベルが無表情に呟いた。
「リーダーって、なんだっけ?」
「それリュウちゃんの口癖だねぇ」
あっけらかんとしたショウとは裏腹に、ヒチリは目を泳がせて引き攣った笑顔を浮かべている。
その様子に、ベルは思わず吹き出した。
「正式なメンバー登録は、ご飯の後にしようか」
笑っているベルに、ヒチリが柔らかな口調でそう言って、視線で通りを示す。
すると、疲れた顔のリュウテキが、申し訳なさそうに片手を上げて挨拶をしている。コッペリウスも一緒だ。やはり、人に囲まれていたのだろう。
挨拶や礼も一通りは出来たことだし、ほとぼりが冷めるまで、しばらくは斡旋所に顔を出さない方が良いかもしれない。
それはそれとしてご飯のことだ。
「悪ィ、遅くなった」
「いくら上級手配獣だったとはいえ、この奉りたてようは恐ろしいな。
それだけ人々が娯楽や話題に飢えている証左なのかもしれんが……私は、今後とも目的のもの以外は小さな依頼をこなしていくと、心に決めた」
リュウテキの横でうんざりとそう言うコッペリウスに、ヒチリとショウは苦笑する。
「うし。ベルも居るな」
駆け寄ってくるベルの頭を軽くポンポンと叩くと、斡旋所の門の方を示す。
そうして、リュウテキが歩き始めようとした時、ヒチリは嫌な風を感じ取って振り返った。
「……マスコミの人達が来るみたい……」
姿は見えないが、確実に風がそう告げている。
彼らから逃げる為に風読みモードになっていたのは正解だった。
「もうかよ……うんざりだ」
リュウテキのぼやく言葉に、全員がうなずいた時、
「白美のアニキ」
そう呼ばれ、声がした方に向いてみれば、
「バチとカワヅラと……なんだ、みんな揃って」
ダイゴの舎弟二人と、国風学園の親衛士団がやってきた。
「ダイゴさんからのからの指示でなぁ」
「この先の工場跡の脇道、分かンな? あの脇道抜けた先の公園ンとこにアニキが車で待ってっから。
マスコミ連中は、ここで足止めしとくンで、《雅》達は、そこに向かいな」
「俺達もバチさんとカワヅラさんと一緒に足止めしますんでッ!」
それにリュウテキ達は顔を見合わせると、うなずき合う。
「それじゃあ悪いけど、お願いしてもいいかな」
「暴力での足止めはNGだよー。そういうのもご飯の種にされちゃうだろうから」
ヒチリとショウの言葉に、《フェルト・ムジーク》と親衛士団の連合軍は、それぞれにうなずくと、
「いくぜッ!」
「応ッ!!」
気合いたっぷりに、マスコミ達がいる方へと動き始めた。
何とも頼もしい軍勢の背中を見送り、リュウテキは苦笑しながら告げる。
「んじゃ、ダイと合流して、メシを喰いに行くとしますか」
自分の側に寄り添っているベルの頭を軽くポンポンと叩いて、彼はやや足早に歩き始める。
そんな中、ショウが歩調を速めてリュウテキの横に並ぶと、なにやら自分の頭を向けた。
「リュウちゃん、ショウにも!」
「意味がわからん」
「ぶーぶー!
ヒィちゃんもしてもらいたいよね?」
「えっと……その……」
「ふむ。してもらえるのであれば私もしてもらいたいところだな」
「ちょっと待て」
「わ、私も頼む……リュウ」
顔を真っ赤にして消え入りそうな声で二人に倣うヒチリに、リュウテキは思わず嘆息した。
「ヒチリ、無理してこいつらに合わせんな」
「う、うん……」
慰めるように、リュウテキはヒチリの肩をポンと叩くと、なにやら彼女の顔が少しふやけた気がする。
それに、僅かに眉を顰めるがリュウテキはさして気にしないで歩調を速めた。
「リュウちゃんひどいッ」
「だから意味がわかんねぇッ!」
リュウテキの腕に掴みかかり喚くショウの額にとりあえず手刀を振り下ろす。
その様子に、コッペリウスとベルは笑っていた。
「な、なんだよ?」
「いやなに。相変わらず賑やかで仲の良い三人組だと思ってな」
「わたしも、そう思う」
二人の言葉に、ああそうかいと溜息混じりに肩を竦めて、リュウテキはさらに歩調を速めるのだった。
~ ~ ~
時は和暦燈現十六年
あるい幻想歴(P.E.)16年。
世界規模の大厄災からようやく復興し始めてきたこの世界の人々は、災害以後にこの世界へと現われた魔獣達と、戦ったり、逃げたり、共存したり――様々な折り合いをつけながら、誰も彼もが日々の生活を営んでいる。
そんな営みを、僅かにでも支えられたら――そんなことを思いながら、チーム《雅》はバスター業を続けていく。
【MIYABI - Saga of Pantastic Era - closed.】
これにて改訂版もひとまず完結となります。
ここまでお付き合いして頂いた皆様、ありがとうございました。
続編などは、機会があったら、またそのうち――




