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フロンティアの王  作者: 魔桜
ベラプ編
39/42

XXXIX.精霊契約

 ヘルクレスの脚を傷つけてしまったのは、私だった。


 まだ未熟だった頃。

 コロッセオでヘルクレスと初対戦した時、剣で脚を叩いてしまった。

 その時、飛ぶ鳥を落とす勢いだったアンミュレーネは、負けることなど許されなかった。もしも反則負けが確定してしまえば、大損になる男共がその時たくさんいたらしい。

 だから、反則負けだったはずだった勝負は、白星へと変わった。

 勝手な。

 誰とも知らぬ都合によって、アンミュレーネは反吐が出る勝利を得たのだった。

 だからこそ、アンミュレーネは、ヘルクレスを避けていた。彼女が元気溌剌に接してくくればくるほど、自らの罪を突きつけられる気がしたからだ。

 憎かった。

 あんなことがあったのに。

 本当は激怒していて当然なのに、ヘルクレスは本当に屈託なく笑うのが疎ましくて堪らなかった。もっとアンミュレーネに対して言うことがあるはずだ。あの戦いの勝敗に一番納得いっていないのは、ヘルクレスだったはずだ。

 コロッセオで得られる賞金は、勝利者と敗者では天と地ほども違う。

 いや、それよりももっと根が深い問題。

 アンミュレーネの一撃によって、ヘルクレスはコロッセオでの選手生命が絶たれてしまったのだ。

 それは、奴隷乙女ガベージとして、最悪の事態。

 稼げない奴隷乙女ガベージにとって現世は生き地獄。

 希望なんてない。

 生きることは、光のない道を永遠に歩かされるようなもの。

 闇の中をただ漠然と歩いていかなければならない。

 それなのに、アンミュレーネを憎むどころか、尊敬の眼差しを向けるヘルクレスに戸惑った。

 こいつは、なんなんだ。

 どんな生き物なんだと、首を傾げた。

 どうしてそこまで真っ直ぐでいられる。笑っていられる。誰もが近づこうとしない孤高の存在であるアンミュレーネの傍に、好き好んで近づこうとする。

 気になって。

 気になって。

 問いただしたことがある。

 そしたら、


 ――そんな理由こと忘れちゃいました。


 そんなことを言うのだ。

 何の逡巡もなく、ただ思いついたまま。アンミュレーネには一生言えないような、剥き出しの言葉を投げかけてきた。


 ――確かに私は、もうまともに戦うことなんてできないでしょうね。脚が思うように動かなくて、迫ってくる剣を見切れていてもよけられない時もあります。だけど、アンミュレーネ様の剣技を見て思ったんです。


 轟轟と、耳をうんざくような精霊砂塵ミストラル

 ナジットが何かを叫んでいるが聴こえない。

 アンミュレーネの視線の先にあるのは、変わり果てた姿のヘルクレスだった。彼女はああして戦うことができている。

 表情は見えない。

 だが、それでも彼女は泣いているような気がする。

 本当のところ、彼女はこんなこと望んでいなかったような気がするのだ。剣をただ思う存分振るうために、あんな姿になったのではない。

 ましてや、たくさんの人間を道連れにするために精霊に、身も心も汚染されたのではないはずだ。


 ――この人は、私にとって光なんだなあ……って。あっはは。おかしいですよね。私も自分で何を言っているのか分からないです。


 精霊に全てを委ねてしまった責は、アンミュレーネにある。だが、だからこそ、だからこそだ。ヘルクレスを底なしの沼のような闇から引き摺り上げてやることができるのは、アンミュレーネしかいない。


 ――全てを忘れてしまうぐらい、あなたの戦い方が好きです。完全無欠に綺麗だとは言えないですけど、泥だらけでも、最後まで諦めずに戦うその姿は、ベラプの奴隷乙女ガベージ全ての希望になれるって、そう思ったんです。


 精霊も持っていない。

 卑怯な戦い方しかできない。

 剣技も未だに未完成で中途半端だ。

 それでも、認めてくれる人間がいた。


 ――私は……何の才能もない人間だけど……。まともに戦えた最後の試合。あなたと戦えたこと。それが、私にとって最大の誇りなんです。


 そいつは、アンミュレーネの才能を認めてくれたその人間は、確かに類まれなる才覚を持っていた。

 アンミュレーネよりもよっぽど優れていた。

 だからなのかもしれない。

 だから、卑怯にも事故を装って、彼女に致命的な傷を負わせてしまったのではないかと、不安で眠れない日があった。

 アンミュレーネは弱い。

 弱すぎるほどに弱い。


 ――だったら、もっと強くなってください。戦って。戦って。アンミュレーネ様に唯一勝った私が、実は強かったんだって証明をしてください。私は傍でそれを見守らせていただきます。


 音がやんだ。

 何もかもスローモーションになって。

 それはもしかしなくても、死の直前に見える光景なのじゃないだろうか。恐怖のあまりの幻覚か、精霊砂塵ミストラルが収束しているように見える。


 ――私きっと大丈夫です。だって、あなたという光があるから。だから……私も……きっと迷わず闇の中を進み歩くことができるんです。


 真っ白光景からようやく解放される。

 すると、

「止めろ、アンミュレーネ! 精霊砂塵ミストラルを……生まれたばかりの精霊と契約するつもりかっ!!」

 ナジットが怯えたような声を張り上げる。地面に這いつくばって、重度の傷で動けないようだった。這うようにしてアンミュレーネの元へと急ごうとするが、きっと間に合わない。

 分かる。

 理屈ではない何かが、アンミュレーネの体内を駆け巡っていく感覚がある。それを拒絶しようとは、何故か思わなかった。

 むしろ、力が湧いてきて、歓迎すべきものだ。

 すると、ナジットの叫び声と同時に、アンミュレーネは光に包まれる。眩いばかりに発光するアンミュレーネに気圧されたかのように、ヘルクレスの動きが静止する。

「最初から肉体へ装填エンチャントですか。やはりあなたは――」

 Kは不敵に笑いながら、事態を楽しげに観覧している。

 だが、アンミュレーネにとってそれは些事。

 ただ心地よいこの感覚に身を委ねることが先決。体中を包んでいた光は、腕に集中し、そして指先へと動き、やがて光は剣の形をとる。


 ――誰よりも強くなってください。アンミュレーネ様。


 自然と。

 何故か自然と、自分が契約したであろう精霊の名が浮かんだ。


「契約に則り、高天裂く刃となりて、我が肉体を貪れ。――闇喰らう幻光獣アーヴァンク――」

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