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フロンティアの王  作者: 魔桜
ベラプ編
35/42

XXXV.月光に照らされ二人は対峙する

 月光冴える夜道は肌寒い。

 アンミュレーネは、住宅街を震えながら歩いていた。

 独房に入れられた時に、万が一脱獄しないよう肌着程度のものしか着用が許されなかった。震える掌を抑えながら、サニーサとバッタリ鉢合わせしてしまった時に、強奪でもすれば良かったと後悔する。

 だが、すぐに思い直す。

 ある程度寒いほうが、神経が研ぎ澄まされて戦闘に臨め易い。だから今の状態がベストだと。何故なら、全ての条件が揃っていて万全の状態だと、生まれるのは慢心。ならば、敢えて不利になるような枷を自らに付けるほうが、緊張感が生まれ、想像の範囲外のアクシデントにも、瞬発力のある対応ができるというものだ。

 奴隷乙女ガベージとして鎖に繋がれてきたせいか。

 それとも、コロッセオで勝ち進む内に、ハンディ戦もこなすようになったせいなのか。

 とにかく自分を追い込んでからではないと、本来の実力を発揮できなくなってしまったことは認めざるを得ない。

 戦闘においてスロースターターであることは致命的な弱点。

 だが、コロッセオでは血で血で洗う戦闘というよりは、よりクリーンでエンターテインメント性を求められるため、本気を出すということが困難なのだ。

 ただ自分の実力をひけらかすように倒してしまったら、賭けが成立しない。だから最初はわざと追い込まれる振りをして、相手を倒すことも珍しくない。最初からいきなり倒してしまっては、闘剣士として雇われなくなってしまう。

 だが、今必要なのはコロッセオで観ている人間を楽しませる闘い方ではなく、自分自身のための闘い方。他の人間に極力見つからないようにし、見つかってしまったら、助けを呼ぶ声を遮断するために一撃で倒す。

 それができなければ、すぐさま独居房に逆戻り。

 ヘルクレスの敵を討つことができず、何もしないまま自分の処遇が勝手に決められることになる。そんなことあってはならないことだ。

 と――

「おい、いたか?」

「いない。南の方を探すぞ」

 アンミュレーネを捜索している騎士団の声が聴こえる。

 急いで建物の物陰に身を潜めて、男達がどこかに行くのを待ち焦がれる。不必要な戦闘を避け、体力をなるべく残しておきたい。ヘルクレスの犯人の情報を少しでも集めておきたいところだが、まずは見つからない余裕を持たなければ話にならない。

「なあ、ほんとにいるのか? あんな状態から逃げ出せるはずなんてないだろ」

「それは俺も思ったけどよ、斬られた奴がもう何人もいるんだから、本当の情報だろうよ」

 ――斬られた?

 アンミュレーネが脱獄したことがバレたのかと一瞬焦っていたのだが、「斬った」という単語が気になった。まだアンミュレーネは誰も斬ってはいない。サニーサのことならば、後頭部を打って気絶させただけだ。だとすれば、男達は一体何の話をしているのだろうか。

 もしかすると、アンミュレーネ以外の人間に脱獄者がいるのかもしれない。だが、牢を独りで突破することなど不可能に近い。それはアンミュレーネが一番よく分かっている。

 だとしたら、一体誰の話を。

 もしかしたらアンミュレーネが暗躍しやすいよう、あのKとかいう男が混乱を起こすために、脱獄囚を増やしたということは考えられないだろうか。

 だが、そこまでリスクを犯して、あの男が無事であるとは考えにくい。どれほどの権力を持っているのかは知らないが、いくらなんでもそこまで自由に行動出来る人間など、ベラプ王自身か、それに近い身分の人間にしかできないはず。そんな人間が、再三に渡ってアンミュレーネに接近してくるなんて考えづらい。

 だが、今までの突飛な行動を鑑みると……。

 とにかく、どんな情報であれ、ヘルクレスの敵の情報が手に入る可能性があるならば、今過ぎ去ろうとしている男達の足音を辿った方が懸命――


 がっ! 

 わっ! 

 なんだこいつは――


 グシャッ、と何か気味の悪い音が虚空に響く。

 悲鳴を伴った断末魔が耳に届いたと思ったら、いきなり静かになってしまった。どう考えても先程噂話をしていた男達の声だった。恐る恐る顔を建造物から出すと、そこに立っているものなど誰もいなかった。

 いたのは、男達だっとと思わしき物体が、そのへんに転がっているだけ。

 今の今まで人間だったものが、ただの肉塊と化していた。

 絶句しながら近寄っていくと――


 更なる絶叫が木霊する。


 足を止めてしまう。

 現実感のない光景に戸惑い、嘘か夢の続きでも観ているかのような気分になる。ふわふわと宙に浮いているような感覚になるが、赤く染まっている地面が重力を思い出させる。

 なんだ。

 いったい、何が起こってる。

 不安に煽られながら、全速力で異変が起っている方向へと急ぐ。その先にあったのは、想像以上に凄惨な光景だった。戦闘のプロ集団である騎士団員を一瞬にして、ここまで酷い有様にするなど、アンミュレーネにはできない。

 実力が劣っているとか、時間的な制約があるからとか、そんな茶々な問題点などではない。

 例え可能だったとしても、こんなにも残酷なことができるなんて、そいつはもう人間なんかじゃない。

 およそ普通の神経を持っている人間ならば、ごみ屑のように人間を扱うことなどできるはずがない。

 奴隷乙女ガベージは無慈悲にその場で、問答無用で殺されるかもしれない。いくらベラプの法で守られているといえ、そんなことが起こってもおかしくないぐらいに、奴隷乙女ガベージの扱いはぞんざい。

 想像ぐらいはしたことがある。

 だが、そんな酷いベラプに生まれてこのかたずっと永住してきたアンミュレーネでさえ、この息苦しさを経験したことがない。目尻から水滴が溢れてくる。どういう感情に起因した涙なのか、全く検討がつかない。

 これは、同情なのか。

 人権を無視してきた男たちが目の前で、人間としての形を失ってしまったことに清々することはあっても、同情することなんてありえない。

 そう思っていたのに、何故か涙が流れてくる。

 感情の起伏に乏しく、心がないと他人から比喩されてきた。一体何を考えるのかわからないと、他の奴隷乙女ガベージから忌避されきたアンミュレーネは、もしかしたら彼女たちの言うとおり、自分には人間として当たり前の感情などないものかもしれないと思っていた。

 そして、それが当然とさえ、心の底では思っていた。

 だが、これは。

 このなんともいえない感情は、なんだろうか。

 これが、悲しみというやつなのだろうか。

 どれだけ奴隷乙女ガベージとしての扱いが辛くとも、コロッセオで傷だらけになったとしても、涙を流さずに今の今まで心を無にして生きてきたのに、涙を流した瞬間、胸の内から感情が溢れかえってくる。

「……はぁ……はぁ……」

 嗚咽を漏らしながら、俯いて。

 走る速度を落としていって、ついには立ち止まってしまう。 

 怖い。

 嫌だ。

 なんなんだ、これは。

 目の当たりにする最悪の状況は、まるで地獄絵図。黒と赤の二色のカラーリングで、視界は埋め尽くされている。

 一体こんなことを平気でできる者は、何者なのか。

 そもそも人間の仕業なのか。

 精霊は滅多のことがない限り自発的に人間に攻撃することなど、報告されたことなどない。正当防衛としてその力を振るう。むしろ人間の方から力を行使して、その実害を受けるといったケースが多い。

 そもそも人間が多くいる住宅街などに精霊が出没するなど、稀に見るケース。だとしたら、これら全ては人間の所業だと消去法で考えるしかない。

 だとしたら、一体誰だ。

 アンミュレーネ以上の手練となると、ナジットのことを思い浮かべる。彼本来の実力がどれほどのものか、底を見たことがないが、ここまで化け物じみた戦闘能力を持っているとは考えにくい。

 仮に精霊の力を借りて、その猛威を奮ったとしたならば、炎が散っているはず。だが、見た感じ、炎の類は一切でていない。

 一撃必殺。

 なんの遊びもなく、首と胴体を分けているように視認できる。他の建物等にはところどころ抉れるような跡がついていて、不安定さを感じる。

 こんなことできる人間が、ベラプにいるなんて信じられない。

 だとしたら――。

 不意に、疑念が頭を過ぎった。

 どうしてあいつは、アンミュレーネを脱獄させたのかということだ。一体そんな危険を犯して、あいつに一体どんな得がある。

 あいつのそもそもの目的は、アンミュレーネをこの島から出す。そして、更に大きな目的のために利用することだ。

 だが、それを拒んできたアンミュレーネが、このままでは極刑に処せられるかもしれない。そんな時に手助けされたら、アンミュレーネはどうするだろうか。その恩返しに、ついていこうとするのではないか。その発想に絶対に至らないと。全否定することができるだろうか。

 ヘルクレスを排除したのは、アンミュレーネがこの島を出る際の妨げになるから。あれだけ批判していたヘルクレスを邪魔だと、そう認識してしまうのは、至極当然の発想の結果なのかもしれない。


「こんばんわ、アンミュレーネさん。いい月ですね」


 待ち構えるようにして建物の瓦礫に立っていたのは、アンミュレーネをここまで導いた人間。

「その顔、ようやく誰がヘルクレスさんをあんな状態にした犯人なのか、分かったみたいで安心しました」

 ゾッとするような表情をして、睥睨してくるそいつの瞳は無機質。

 それでいて、話口調はあまりにも自然体。

 普段と変わりない話し方が逆に空恐ろしい。

「お前か……」

 そしてアンミュレーネは、声音を震わせて眼前の男の名を呟く。

「K」

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