雪華殿、私が作った点心を食べないと、あなたは元気が出ないでしょう?
黄賢妃の見舞いを終えると、今回も朱翠影が後宮の門前で待っていてくれた。
通桂門の二重扉が開閉するのを待ち、ようやく彼と顔を合わせ――……ほっと息を吐いた瞬間、事件が起きた。
「――救国の巫女殿」
突然背後から声をかけられ、肝を冷やした。
現状、雪華は通桂門の中央部分に立っていて、二重扉のうち、背後の門扉はすでに閉ざされている。そして正面の門扉だけが外に向かって開かれている状態だ。つまりあとは前進して、目の前にいる朱翠影と合流するだけ……のはずだったのだが……。
振り返ってみれば、互いを仕切る格子状の門扉に右手をかけ、老齢の女官が佇んでいるではないか。
彼女が立っているのは後宮の広場であるため、規則違反を犯しているわけではない。あくまでも敷地ぎりぎりの所まで寄って来ただけだ。
「――白女士」
通桂門を挟み、敷地の外から朱翠影が硬い声で呼びかけた。
そう――現れたのは後宮の禁忌こと、白女士その人だった。
「あたしも仲間に入れなよ、救国の巫女殿」
白女士が微笑みかけてくる。
「仲間、ですか?」
「面白そうだ、なんかやるんだろ――消えた女官、魏祥の件でさ」
驚いた……そこまで把握できているなんて。
窺うように眺めれば、白女士は意味ありげに片目をつむり、ますます悪戯な笑みを浮かべるのだった。
「あたしを敵に回すかい? それとも味方にしておく?」
「二択なら……敵に回すのは嫌ですね」
「だろう? じゃあ決まりだね、あたしも参加するよ。で、いつ?」
「明日の日没です」
「分かった」
白女士は「んー」と悩ましげに指先を唇に押しつけてから、愛を与えるというように、それをこちらに向けて伸ばしてきた。
「これから仲良くしようじゃないか、救国の巫女殿」
ちゅ、と唇を尖らせ、言いたいことだけ告げると、白女士はすぐに姿を消した。
「………………」
少したってから通桂門を出た雪華は、朱翠影が瞳を細めてこちらを見つめていることに気づく。
「あのー……朱殿」
「なんでしょうか」
「そんなふうに『捨て犬を勝手に拾って来てはだめでしょう』みたいな目で見ないでください。不可抗力です」
「やり取りを聞いていて気づいたのですが、あなた方、今日が初対面ではありませんね? ぎこちなさがなかった」
言い当てられギクリとした。確かにそのとおりで、雪華は初日に白女士と会話している。朱翠影が心配すると思い、その件は報告していなかった。
というか飛頭蛮の調査に集中していて、頭がいっぱいだったというのもある。
「申し訳ありません、先日、白女士と話をしたのですが、朱殿にはそのことを内緒にしていました。怒っています?」
「怒っています。御身に危険があるかもしれないのに、何も知らされていなかったとは」
「お詫びに私、なんでも朱殿の言うことを聞きます」
「可愛らしくご機嫌を取ってもだめですよ」
普段は蜂蜜より甘いのに、硬質な物言いである。顔立ちが端正なだけに神々しさが際立ち、取りつく島もない。困ったな……。
「どうしても許せませんか?」
雪華は両手を合わせ、懸命に詫びた。
「朱殿、本当にごめんなさい……屋敷に戻ったら、肩を揉みます」
「そんなことで誤魔化されません」
「姐姐は怒っていても、肩を揉むと許してくれました」
「私はあなたの姐姐ではない」
ああもうだめか……雪華はしょんぼりして肩を落とした。
「じゃあ仕方ない……私は今日から安宿に泊まります。これまでお世話になりました」
すると朱翠影が慌てて手を握ってきた。
「家出はいけません」
「家出?」
「雪華殿――私が作った点心を食べないと、あなたは元気が出ないでしょう? 家を出て行くなんておっしゃらないでください」
雪華はそれを聞き、くすりと笑った。
「そうですね、私は朱殿が作る料理のとりこです。あなたと一緒にいないと、元気が出ません」
「それではすべて水に流して、仲良く家に帰りましょう」
なぜか最後は朱翠影が下手に出て、雪華が白女士のことを隠した一件はうやむやになった。




