桃義はひとりで歩き回っていた?
黄賢妃を護衛する武官は二名いたが、一名は表門の消火活動を手伝っていたので、今回の騒動とは関係がなさそうだ。
念のため後日、寺院の人間に『その武官一名は途中で表門から離れなかったか』確認を取るつもりだが、現時点では疑っても答えは出ない。
とりあえず事件当時、何をしていたのか確認が取れていないのが三名――桃義、宦官の田丹、そして武官一名だ。
「桃義さんは、宦官と護衛の武官一名を、部屋に足止めする係だったはずでは?」
黄賢妃は冷宮行きをちらつかせてまで、桃義がその役目を果たすよう、圧力をかけたのではなかった?
それで雪華は、桃義が命令に従ったと考えていたのだ。
彼女が宦官と武官を部屋に足止めしていたなら、飛頭蛮が出た時間に、三人は一緒にいたことになる。つまり三人は互いを監視していた状態なわけで、勝手に個人行動を取った者はいないことになるのだが……。
ところが桃義がひとりで裏門のほうにやって来たとなると、彼女がいつからふらふらひとりで出歩いていたのか、そこが問題になってくる。
たとえば――境内の端からこっそり山の中に入り、木立のあいだを突っ切って、裏門のすぐ下へ回り込むことも可能かもしれない。
階段を下りて来た豊紈から「誰かいるの?」と問われ、桃義は慌てて木立に飛び込む――そしてふたたび獣道を突っ切り、境内に出て、さも『今来ました』という顔で合流したのだとすると……?
探るように桃義の綺麗な顔を眺めれば、彼女の口角が上がった。
……なぜこの場面で笑う?
桃義が「は」と小馬鹿にしたように笑った。
「宦官と武官は、物置に閉じ込めてやったのよ!」
「なぜそんなことを?」
「あのね――黄賢妃は簡単に『足止めしておいて』なんて言ったけれど、そんなの無理に決まっているじゃない。すぐに武官に気づかれたわ――『黄賢妃はどこに行った?』って問い詰められた。私はなんとかして彼らを邪魔する必要があったの。だってそうしないと、冷宮の管理人にされちゃうもの。黄賢妃の脅しは本気だったから、言うとおりにしないといけない。私は彼らに言った――『黄賢妃はこちらにいます』――それで厨房横の物置にふたりを誘い込んでね、外から扉を閉めて、閂をかけてやったのよ。閉じ込めてやった。寺院の人たちは表門の小火騒ぎで出払っていたから、これでしばらく時間を稼げる」
「そんなことをして、あとで問題になるのでは?」
「知ったこっちゃないわよ、私に責任はない――黄賢妃の指示に従っただけだもの、罰を受ける筋合いはないでしょ」
確かにそうだ。現状、黄賢妃は高位の妃であり、女官の桃義はその命令に逆らえない。
考えを巡らせていると、大柄な豊紈が右手の指で、左肘の下をこすっているのに気づいた。
「豊紈さん、腕、どうかしました?」
「あの……黄賢妃に爪を立てられた時に、引っかき傷ができまして。やっとかさぶたになったのですが、今度は痒くなってしまって」
そういえば飛頭蛮が出た時、黄賢妃が縋りついてきて、爪を立てたと言っていた。恐怖に駆られた人の力は強いので、血が出るほどに傷ついてしまったのか。
待てよ……傷、か……。
雪華はちらりと桃義を流し見た。
もしも――桃義があの晩、闇夜の中、山道を突っ切ったなら、あちこち擦り傷ができたのではないかしら?
顔周辺は枝がぶつからないよう気をつけたとしても、尖った枯れ木でうっかり足を切ったり、根っこに躓いて転んだり……危険は色々ありそう。
「桃義さん」
試しに質問してみることにした。
「あなたもあの夜は大活躍でしたよね。宦官と武官を物置に閉じ込めたり、その後ひとりで黄賢妃と豊紈さんを探して歩いたり」
「そうですね」
「夜だったし、転んで怪我をしませんでした? 私なら慌ててつまずいてしまうかもしれないわ」
雪華がそう言うと、桃義が小さな唇を捻じ曲げた。拗ねたような顔つきになったあとで、複雑な形に眉根を寄せる。
「ええとまあ……実はそうなの、怪我をして……」
「大丈夫ですか?」
この話題が嫌なのか、桃義は唇を尖らせて俯いてしまった。すると横にいた豊紈が心配そうに口を挟んだ。
「結構ひどい怪我だったわよね、くるぶしのところからジュクジュク血が出て……」
豊紈が心から気遣っているのが伝わったらしく、桃義がぼそぼそと喋り出す。
「あまり言いたくないけれど、そうね……宦官と武官を物置に閉じ込めた時、彼らがものすごく怒ったのよ。閂をかけた直後に、ドン! って扉を内側から蹴られて、仰天してしまって……慌てて後ろに下がったら、棚の角にくるぶしをぶつけたの。釘が飛び出ていたところに足が当たり、深く切ってしまったわ」
話を聞き、雪華は違和感を覚えた。
なぜ彼女は怪我の話題になると口が重くなるのだろう?
今の話が全部嘘だから?
あるいはこういう可能性もあるのか――桃義には『常に格好良い自分でいたい』という願望があり、どじを踏んだことを認めたくないのかもしれない。物置の扉を内側から蹴られ、怯える子兎のように飛び上がり、うっかり怪我したことを恥じている、とか?
どちらの説もしっくりくる。この時点では判別できない。




