姜道士、暗躍する
そうなるとこれまで黄賢妃に尽くしてきた女官たちは、大きな影響を受ける。
強いあるじに付いてさえいれば、右肩上がりに出世していったかもしれないのに、ここで予想外に躓いてしまったわけだ。
……それが原因で、目の前の可憐な桃義は、苛々しているのだろうか?
行方不明になった魏祥を「お金持ちでずるい」となじっていたけれど、怒りはもっと根深いのかもしれない――立場の強い妃に付いている女官、全員、恵まれていてずるい、私こそが評価されるべき――その鬱屈が、今の険しい顔に表れているのかも。負の感情に取り憑かれている人間特有の、ねっとりした邪気を放っている。
一方、豊紈のほうは落ち着いていて、達観しているように見える。
ただし幸福なわけではなく、表情に元気がないので、落ち込んではいるようだ。桃義と違って、『不条理だ』の気持ちが怒りの燃料にならず、悲しみという形で出ているのかも?
そして一番問題なのが、消えた女官、魏祥。
桃義は「そのうちひょっこり戻ります。そういう女です」と語っていた。すぐに仕事をさぼるし、機会があれば規則を破ろうとしていたから、今回もその延長に違いない、と。
けれど……魏祥は本当に、そこまでだらしないのだろうか?
後宮での勤務態度が不真面目だったことと、今回外出先で姿をくらませたことは、種類がまるで違う。
魏祥はこれまで適当に手を抜いて仕事をしていたようなのに、黄賢妃付きの女官をクビになっていない。ということは家柄の良さに加え、要領も良かったのかもしれない。
桃義はそんな同僚に対して心の底に敗北感があるから、嫉妬し、罵らずにいられないのだ――なんであんな適当な女を、皆は高く評価するのよ、普通なら冷宮送りでしょ、と。
つまり皮肉なことに、桃義が「あの女を引きずり下ろしたい」と強く訴えるほど、魏祥に価値があることを証明してしまっている。
本当に欠点しかない存在ならば、誰かに憎まれることはあっても、誰かに高く評価されることはない。その点、魏祥は、『足を引っ張りたい』と同僚から憎まれるほど、高い場所に居続けたわけだ。良し悪しは雪華の知るところではないが、組織人として優秀だったと思われる。
だとすると奇妙である――魏祥がそういう人物なら、適度に遊んでもはめは外しすぎないはずで、夜のあいだに寺院をこっそり抜け出したとしても、朝にはちゃんと戻ったのではないか?
雪華としては次のふたつの可能性が頭に浮かぶのだが――消えた魏祥は飛頭蛮に食われた被害者である――あるいは彼女自身が飛頭蛮の宿主であり、寺院で黄賢妃に正体を見られたため、とうとう人の世と縁を切ることにした――……。
「桃義さん」雪華は尋ねてみることにした。
「あなたは魏祥さんがもうすぐ戻るとおっしゃいましたが、私は疑問に思っています。寺院で彼女は飛頭蛮に食べられたから、もう戻らない――その可能性はありませんか?」
これを聞き、桃義が小馬鹿にしたような笑い声を立てる。刃物のように尖った声音だ。
「ありえませんよ、馬鹿馬鹿しい!」
「なぜ言い切れます?」
「私たちはね、あらかじめ姜道士から、飛頭蛮除けのありがたい数珠をもらっていたのです」
桃義が長袖の衫をまくり上げ、手首に着けている乳白色の数珠を、得意げに見せつけてきた。
ここでまさか姜道士の名前が挙がるとは……雪華は目を瞠る。
姜道士は、皇后お抱えの女道士だったはず……それがなぜ黄賢妃付きの女官に数珠をあげたのだろう? 皇后は嫌っている黄賢妃のためには、指一本動かさないはずでは? 下働きの女官には罪がない、という考えなの? それとも姜道士の独断?
「その数珠は、行方不明の魏祥さんも着けていたのですか?」
「ええ、そうです」
なぜ? 時系列がおかしくないか?
――「女官たちはありがたい数珠を着けて寺院に宿泊したので、魏祥があの晩、飛頭蛮に食べられたはずがない。本人の意思で消えたとしか考えられない」――それが桃義の主張である。
しかしそれだと姜道士は、黄賢妃一行が寺院に行く前から、飛頭蛮を警戒していたことになる。
「じゃあ――豊紈さんは?」
大人しい豊紈に視線を転じると、彼女もおずおずと衫をまくり上げた。その手首にはやはり乳白色の数珠が着けられていた。
――三人女官は全員、姜道士から、飛頭蛮除けの数珠をもらっていた。
そしてそのうちのひとりが、寺院でいなくなった。




