どうか雪華様が慶昭帝を説得してください
「そういえば」
雪華はあることを思いついた。
「案内役の甜甜も、消えた女官の話はしていませんでした。なぜかしら?」
甜甜は気さくな娘で、色々と教えてくれた。それなのに行方不明の女官、魏祥について一切触れなかったのは不自然である。
雪華の疑問に、朱翠影が答えてくれた。
「おそらくですが、後宮にいる者たちは、魏祥が行方不明になっている件を知らされていないのだと思います」
「上の人が箝口令を敷いたのですか?」
「飛頭蛮の噂で、皆、ただでさえ不安になっていますからね。実際に女官がひとり消えたとなると、後宮全体にさらなる恐怖が広がってしまう。魏祥の不在については、体調不良で療養中とか、事情があって実家に帰っているとか、表向きはそれらしい理由がつけられているのかも」
寺院にいた黄賢妃、そして女官の豊紈、桃義らは事実を知っているけれど、「魏祥が消えたことは誰にも話すな」と上から指示されれば、その言いつけを守るだろう。この世界で口の軽さは命取りだ。
豊紈と桃義が雪華に事実を話したのは、『救国の巫女』という、慶昭帝のお墨つきがあったためか。
「豊紈と桃義は、ほかになんと言っていましたか?」
朱翠影に尋ねられ、雪華は続きを語り始めた。
* * *
三者面談をしていると、華やかな桃義の表情が段々と険しくなっていき、やがてその状態で固定した。
黄賢妃のいた寝所では澄まし顔をしてたけれど、たぶんこの険しい顔こそが、桃義の本質なのだろう。
彼女は腹の中に激しい怒りを抱えているようだ。しかし知り合ったばかりの雪華には、彼女の怒りが正当なものなのか、ただの自分勝手な八つ当たりなのか、判別がつかない。
先ほど彼女は、消えた同僚の魏祥について「実家がお金持ち」と悔しそうに語っていた。一度悪口を言ったことで火が点いたらしく、強い口調で訴えてきた。
「雪華様――あなたは慶昭帝を味方につけていらっしゃいますね? だってあの偉大な慶昭帝が、『救国の巫女』と呼んでいるわけですもの、それって特別ってことだわ」
だからなんだ、と雪華は瞳を細める。
慶昭帝の心の内なんて、私には分からないし、分かった気になるつもりもない。
こちらが反応しないことに焦れたのか、桃義が前のめりになって訴える。
「どうか雪華様が慶昭帝を説得してください――魏祥が戻ったら、厳しく罰するように」
皇帝を説得するという考え自体がとんでもなく不敬であるが、それはさておき。
今の発言は非常に興味深い、と雪華は思った。
「あなたは魏祥さんが、もうすぐ戻るとお考えなのですね?」
「ええ、そのうちひょっこり、ね。そういう女です。魏祥は元々、素行が悪かったのです。すぐに仕事をさぼるし、機会があれば規則を破ろうとしました。上にばれなければ、それは悪事ではない――魏祥はそういう卑怯な考えを持っているんです」
「桃義さんは、彼女のそういうところが嫌いでしたか?」
「とても嫌いでした。だらしない人を見ていると苛々します。そんな人の実家がお金持ちなんて、ずるいわ。彼女は冷宮行きになるべきでした」
冷宮行き、ね……ずいぶん過激なことを言う。
後宮内には罪を犯した者が閉じ込められる、冷宮というおそろしい場所が存在するらしい。そこは不潔で暗く寒い、生き地獄のような場所なのだとか。
時代によっては皇帝に飽きられた妃も送られたらしいが……慶昭帝はどうなのだろう。なんとなくだけれど、彼は縁切りの目的では冷宮を利用しない気がする。
慶昭帝が善人だからという理由ではなく、そうする意味がないと合理的に考えそうだから。
ただ、罪を犯した者に関しては、何か罰を与えないと治安が乱れるので、冷宮送りという制度を残しているのかもしれない。
現に黄賢妃は、冷宮送りにされていない。実家が凋落したことがきっかけで、不仲だった皇后に追い詰められ、後宮での居場所を失ったが、出家という形で話がまとまった。絶頂期を経ての出家は、本人にとっては充分に屈辱的だろうが、それでも冷宮暮らしに転落するよりだいぶましである。
こういうところで慶昭帝の器が測れる気がした。
おそらく彼はすべきことを躊躇わない人で、そういう意味では苛烈である。必要だから黄賢妃との関係を切り、後宮から排除するのを認めた。
それは皇后をはじめとする上位妃たちが、黄賢妃に憎悪を抱いていることを考慮したからだろう。これまでは黄賢妃の実家に力があったから、本人が自由に振舞うことを許していたが、状況が変わった。このまま彼女を後宮に残すと、災いの種になりかねない。
だから後宮からは追い払うが、出家よりもひどい状況には追い込まないという、最低限の温情は見せている。
判断が冷静で適切――それはある意味では「熱がない」とも言える。
やはり慶昭帝は妃たちに一切興味がないのかもしれない。
だから黄賢妃にも執着せず、彼女は後宮を追われることになった。




