取り憑かれている? に対する正しい答え
「黄賢妃はかなり憔悴されていました。風が木屏風を揺らす微かな物音にも怯え、飛頭蛮が自分を襲いにやって来ると、本気で信じているようでした」
雪華がそう言うと、朱翠影が微かに眉根を寄せた。
「私は黄賢妃の人となりを、深くは知らないのですが、本来は楽天的な性分だと聞いたことがあります」
「ええ、確かにお付きの女官二名がそう言っていました。元々、黄賢妃は細かいことを気にせず、信心深いほうでもなかったそうです。普段は怪談のたぐいも『馬鹿らしい』と鼻で笑って聞くような人だったとか」
雪華は藍色の空を見上げ、後宮で見聞きしたことを思い返した。
* * *
黄賢妃の寝所に入る際、案内役の甜甜には同行を遠慮してもらった。
甜甜にはここまでの道案内をしてもらったが、高貴な黄賢妃が弱っている場面を、妃の付き人でもない甜甜に見せるのはよろしくない。甜甜自身も『まずいものを見てしまった』となるだろうし。
そこで雪華が話をしているあいだ、甜甜は庭を散歩して時間を潰すことになった。
雪華は女官に導かれ、黄賢妃の寝所に入った。
すると天蓋のある立派な架子床に、弱々しく横たわっていた黄賢妃が、充血した目を見開き、そばに来た雪華にすがった。
額には絹の白い抹額を巻いており、病に伏せている人、という印象を強めている。
健康な時はさぞかし美しかったのだろう。年齢は二十歳前か――瞳は大きく形は美麗で、唇もふっくらして愛らしい。ただ今は、頬がげっそりとこけ、目の下にも陰鬱なくまができている。
「あなた……あなたは救国の巫女なんですって?」
そう問われ、これまで雪華は「はい私は救国の巫女です」と肯定したことなどなかったけれど、黄賢妃の弱々しさを見てしまうと、頷いてあげることが、せめてもの情けのように思えた。
彼女は風の音にすら怯えている。少しでも気が楽になるのなら……。
そっと手を握り返してやり、小さく頷いてみせる。
黄賢妃は瞳を潤ませ、唇を震わせた。
「わたくし……わたくし、もう、飛頭蛮に取り憑かれている? はらわたを食べられている? どう?」
問われ、雪華は素早く考えを巡らせる。
答えは二択――「はい」か「いいえ」のどちらかだ。立場上「分からない」と濁すことはできない。初っ端でそれをすると、『救国の巫女とは名ばかり』と侮られ、信頼を失う。そしてその噂は風より速く後宮を駆け巡り、今日の晩には『救国の巫女は愚鈍』という、皆の共通認識ができあがってしまう。
それで――はい取り憑かれています、と答えるのは、益が何もない。というのも、当然、黄賢妃は次の内容を知りたがるからだ。
――では今、飛頭蛮はどこに隠れているの? 普段は後宮の暗いとこに潜んでいる? それともすでに、わたくしの体内にいるの? あなた、すぐに祓ってくれる? どうやって祓うの? 私は治る? いつ治る?
雪華は本物の巫女ではないので、祓ってくれと頼まれても、その術がない。
だとすると――いいえ取り憑かれていません――今はそう答えるしかない。現状では選択の余地がなかった。
「いいえ取り憑かれていません」
表向きは落ち着き払って答えながら、『万が一、取り憑かれていた場合は、急ぎ祓う方法を見つけなければならない』と考えていた。
術がないからできません……は通用しない。雪華を『救国の巫女』として送り込んだ慶昭帝の面子を潰すことになる。つまり雪華は死に物狂いで飛頭蛮退治を成功させなければならない。
――黄賢妃が顔を強張らせて、少し身を起こした。
「取り憑かれていない? でもわたくしあの晩、見たのよ! 飛頭蛮を見たの!」
「ご覧になられた時は、おひとりでしたか?」
「信じていないの? わたくしが嘘を言っている、とでも?」
感情的になる黄賢妃の手をそっと撫で、雪華はなだめた。
「いいえ違います。黄賢妃は今、衰弱していらっしゃいます。長く話すと血の巡りに問題が出ますゆえ、一緒に見た方がいるのなら、その人に代理で話していただくのがよろしいかと存じます」
「ああ……そう……そうね」
黄賢妃の体から力が抜けた。
「そこにいる女官、豊紈が、あの時わたくしの隣で飛頭蛮を見たわ」
黄賢妃が顎でしゃくり、ひとりの女官を示した。
部屋の隅には女官がふたり控えている。どちらも二十歳くらいだろうか。片方は体の大きな女性で、もう片方は小柄で華やかな女性である。
――豊紈、と名前が挙がり、体の大きな女官がビクリと肩を震わせた。
この人か……雪華は彼女の目を見て尋ねた。
「では豊紈さん、別の部屋で話をお聞かせください」
「……承知いたしました」
豊紈が体を縮こませて礼をとる。
するとその隣にいる、華やかな女官が口を挟んだ。
「私は桃義と言います。私もあの晩、寺院にいましたの。飛頭蛮が出た現場には居合わせなかったんですけど、一応当事者ということで、お話、一緒に伺いたいのですが」
雪華はこの申し出に、違和感を覚えた。
こう言っては失礼かもしれないが、桃義の顔つきはどこか冷ややかで、寝込んでいるあるじへの敬意が窺えない。それなのに積極的に話に加わりたい理由はなんなのだろう?
「では桃義さんもご一緒にお願いします」
もちろん雪華はこれを受け入れた。
桃義が面白い話を聞かせてくれるかもしれない。




