餌づけか……意外とじっくり攻めるのだな
雪華の内心のぼやきを知ってか知らでか、慶昭帝が続ける。
「あちこち見て回って楽しんだか?」
「着いてすぐにこちらに参りましたので」
普通ならば皇帝と謁見する前は、失礼のないよう礼服などに着替える。けれど今回、その必要はなかった。
なぜなら今日は朝の時点ですでに、謁見用の高価な衣装を身にまとっていたからだ。服は最後に泊まった宿で朱翠影がくれた。「以降、宮城で着る服は、場所に適したものを私が見繕ってお渡しします。これに関して雪華殿の金銭負担はありません。仕事着ということで受け取ってください」と言われたので、お礼だけ言って金銭は払わなかった。
朱翠影のおかげで宮城に着いてからは着替えも必要なく、すぐに謁見という流れになったのである。
「都の観光はまったくしていない?」
慶昭帝から重ねて尋ねられ、
「いえ少しだけ……西市の端をかすめるように通りました」
雪華は思い出しながら答えた。
――杜陽国の都・広安には、市場がふたつあるという。
庶民が使う活気にあふれた『西市』と、貴族が使う高級品ばかりの『東市』のふたつ。
ちょっとだけ回り道をして、西市の端を通り抜けようと提案してくれたのは、朱翠影だ。
「首都・広安を楽しむには、西市を見ていただくのが一番です。慶昭帝の指定した時間まで、四半刻ほど余裕がありますので、少し覗いてみましょうか」
四半刻だとそんなに時間はないが、通りにさっと入って、軽く様子を見るくらいはできそうだ。
この誘いに雪華は瞳を輝かせた。
「ありがとうございます、朱殿」
初めに西市を見ておけば、都の空気に早くなじめるかもしれない。それに何より、新しい体験には興味がある。
そうして足を踏み入れた西市は、まるで異界だった。
――人、人、人――……雑多な香り、にぎやかな音、すべてが混沌としていて、活気に満ちている。気がうねって天高く噴き上げているかのようだ。
朱翠影が、西市の入口付近にある小店に寄ってくれた。そこでの体験を思い出し、雪華は口元に笑みを浮かべる。楽しかった気持ちがよみがえってきた。
そんな雪華を玉座から眺めおろし、慶昭帝が面白そうに尋ねる。
「西市では翠影に何か買ってもらったか?」
「はい――朱殿が『細環餅』を買ってくださいました」
「美味かったか?」
「ええ、とても。蜂蜜の上品な甘さが好みでした。雲を口に入れたかのような食感が不思議で、初めての体験でした」
「ふうん」
慶昭帝が意味ありげに朱翠影を見遣る。
「……餌づけか……意外とじっくり攻めるのだな」
それを聞いた雪華は『餌づけって、失礼だな』と思った。朱翠影は雪華を手なずけようという計算から、細環餅をごちそうしてくれたわけではないはずだ。雪華が新しい環境に馴染めるよう、気を遣ってくれただけだろう。
――そもそもの話、朱翠影が雪華を手なずけて、なんの得があるというのだ?
端正な彼は女性に人気があるだろうし、平民の雪華に懐かれたら、迷惑に違いない。
「……慶昭帝」
斜め後ろから、観念したかのような朱翠影の声が聞こえた。
「あとでいくらでも話に付き合いますから、今はどうかご勘弁を」
「よし、いいだろう」
途端に慶昭帝は上機嫌になり、パン、と両手を打つ。
「楽しくなってきた――歓迎するぞ、雪華よ」
よく分からないが、皇帝が団子屋の娘に対し、「ようこそ」の気持ちを伝えてきた。




