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ひなげしの花咲く丘で  作者: yuuHi
第八部 ~永久の誓いは、ひなげしの花咲く丘で~
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 食堂を見渡し、扉のほうを見やってから、リオネルは小さく溜息をつく。


 食事の時間がはじまってからしばらく経つが、アベルは食堂へ姿を現さない。ヴィートもいないということは、二人は共にイシャスの面倒を見ているのだろう。

 普段ならもうイシャスは寝ている時間だ。

 ならば、アベルはヴィートと実質的に二人きりということになる。


 リオネルは葡萄酒の杯を揺らす。

 芳醇な葡萄酒の香りに、わずかな苦みが混じる。


 ヴィートはアベルに惚れている。アベルがはっきりとヴィートの気持ちに応えることができないと告げたことも知っているが、それでも落ちつかない。


 アベルを迎えに行きたい思いに駆られるが、リオネルはやはり躊躇った。二人が親しくなったとしても、それはリオネルが踏み入るべきものではないのだ。

 もしヴィートが最終的にアベルを口説き落としたら、リオネルに引きとめる術はない。


「リオネル?」


 父クレティアンに名を呼ばれた。


「はい、父上」


 我に返って視線を上げる。


「戦いぶりはどうだった?」


 むろん直前の話を聞いていなかったので、話の流れが掴めない。


「戦いぶりとは……」


 クレティアンは、しばし探るようにリオネルの紫色の両眼を見つめてから、説明した。


「シュザンの、だ。今年の神前試合では、シュザンがリヴァルに抜擢されたのだという話をしていたところだが」

「すみません」


 言い訳せずに謝罪してから、リオネルは風邪で新年の行事をいくつか欠席したことを明かす。


「風邪?」

「ええ、寒くて」


 納得のいかぬ面持ちのクレティアンだったが、ひとまず視線をディルクへと向けた。


「ディルク殿は試合を見たのか?」

「私も風邪で」

「レオン殿下は?」

「私は本当の風邪です」


 含みのあるレオンの言葉にクレティアンはリオネルとディルクを見やったが、二人とも沈黙していた。


 王都では、些細なきっかけでアベルが、のディルクの元婚約者シャンティ・デュノアであることが判明した。その事実は、リオネルの胸を押しつぶした。

 想い合う二人のためにリオネルは今後のことを話し合おうとしたものの、アベルは館を出ていき、捨て身で神前試合に出た。


 これらの経緯を含め、アベルを探すために新年の行事をすべて欠席したこと、さらにリオネルを神前試合のリヴァルに抜擢して暗殺する陰謀があったことなどは、すべてクレティアンや館の者には内密にしている。

 心配をかけぬためでもあるし、アベルを守るためでもある。


「風邪はすっかり回復したようだな」

「おかげさまで」

「なにを隠している?」

「なにも隠してなどおりません」


 きっぱりと答えるリオネルへ、クレティアンはため息をついた。


「まあ、いい。いずれシュザンから話を聞こう」


 シュザンにも口止めをしているため、おそらくクレティアンが真実を知ることはないだろう。


「エストラダとクラビゾンの戦いは、どうなっているのでしょうか」


 話題を変えたのは、王都での話を続けていれば、知られてはならぬことをクレティアンに勘付かれてしまう気がしたからだ。


「クラビソンは小国だ。対してエストラダはすでにフェンリャーナ、アカトフ、エルバス、ブルハノフを支配下に収めている。周辺国ではエストラダに従う意思を示し、援軍を派遣している国さえあるそうだ」

「もって数ヶ月といったところでしょうか」


 ベルトランの指摘に、皆が押し黙った。クラビソンが破られれば、次に侵略されるのはおそらくネルヴァルだ。そうなればネルヴァルの同盟国であるリヴァロが参戦し、さらにはリヴァロと同盟を結んでいるシャルムも必然的にエストラダと戦うことになる。


「我々が戦いの渦に巻き込まれる日は、遠くありませんね」


 いつになく真剣な声音のディルクだった。

 エストラダと剣を交える日は遠くないどころか、あと数ヶ月の月の平和と考えてもおかしくはないだろう。

 話題はユスターやローブルグの情勢にまで及び、会話がひと段落すると、クレティアンは食堂をあとにする。それを皮切りに、食事を終えた騎士らも各々の部屋へと戻りはじめた。


 無駄とは知っていてもアベルの姿を探してしまう。

 むろん、何度確認したところでここにはいない。


「アベルは来なかったね」


 リオネルの思いを察してか、ディルクがつぶやく。


「そういえば、ヴィートはやけにアベルを気に入っていたけど、もしかしてわかってるのか?」


 食堂から出るところで、こっそりと聞かれ、リオネルは親友を見返した。その視線だけで、ディルクは事情を呑み込んだようだった。


「そうか、そういうことか。これで色々と納得したよ」


 かつてリオネルとヴィートがアベルのことで険悪な雰囲気になっているところを、ディルクは目撃している。ヴィートの気持ちを知った今、納得するものがあるのだろう。


「大丈夫なのか、二人きりにして」

「ヴィートがアベルに危害を加えることはない」


 そう確信できるくらい、ヴィートがアベルに対して抱く気持ちが真剣であることを、リオネルは理解している。


「いやそういうんじゃなくてさ、ヴィートは案外女性にもてるよ? アベルがああいう純粋なタイプにころっと……」


 言いかけて、ディルクは首をひねった。


「……てことはないか。リオネルへの忠誠心に勝る感情はないだろうね、うん」

「なんの話だ?」


 リオネルがアベルに惚れていることさえ気づいていないレオンが、不思議そうに尋ねてくる。


「いや、なんでもないよ。なあ、リオネル?」


 レオンに対して秘密にしているわけではないが、わざわざ公言するものでもない。ディルクに確認されてリオネルは曖昧に肩をすくめた。


「アベルが食事に来なかったことが気にかかっていて」

「それなら様子を見にいけばいいではないか」


 こともなげにレオンが言ったとき。


「あ、噂をすれば」


 ディルクが廊下の先を指差す。そこには、早足でこちらへ歩んでくるアベルの姿があった。


「アベル」


 リオネルが名を呼ぶと、アベルはすぐそばまで来て、身体を軽く屈めて一礼する。

 いつ見てもアベルの肩は薄い。ベルリオーズ家の武骨な騎士らを見慣れているせいだけではなく、アベルは同世代の女性に比べても骨格が細いようだった。


「すみません、長いこと休ませていただいて」

「かまわないよ。イシャスは?」

「遊び疲れて眠りました」

「眠ったところ?」

「いえ、けっこうまえです。わたしもイシャスを見ていたら、うとうとしてしまって」


 そう説明するアベルは、リオネルから視線を外して、長い睫毛を伏せる。そんなアベルの何気ない仕草ひとつで、リオネルは胸にちくりと痛みを覚えた。

 なんとなくわかる。

 眠っているあいだ、ずっとヴィートがそばにいたのだ。とても近い形で。


「食堂へも行かずにすみません」


 少し罪悪感を滲ませる眼差しが、戸惑うようにリオネルへ再び向けられた。アベルの滑らかな頬に落ちかかる睫毛の影を綺麗だとリオネルは思う。


 睫毛の影が揺れるたび、リオネルは永遠にも感じられる、不思議な時の流れに囚われた。

 それは、他のどのような瞬間にも覚えたことのない感覚。


「……きっと長旅で疲れていたんだ。休めてよかった」


 かけることのできる言葉は、これくらいだ。どんなに不安で切なくとも、アベルを繋ぎ止めておくことはできない。


「お腹は空いているだろう? なにか食べてきたらいい」

「ありがとうございます」

「今イシャスはひとり?」

「いいえ、エレンが戻ってきたので」

「そうか」


 安堵して、またあとでと声をかければすぐにアベルに呼び止められる。


「あのっ」


 振り返った先で、アベルが透明な水色の瞳をわずかに見開いてこちらを見上げていた。


「――サン・オーヴァンで買ったお土産、まだイシャスに渡していないんです」

「どうして?」


 軽く首を傾げるリオネルに、アベルは真剣な口調で告げる。


「リオネル様といっしょに選んだので、リオネル様といっしょに渡せればと思って」

「いっしょに……そうか」


 共に選んだ土産だから、共にイシャスに渡したいと――何気ない言葉だが、これまで胸に立ち込めていた灰色の不安が晴れていく気がする。

 愛しい人のひとつひとつの言動で、こんなにも一喜一憂するとは。

 リオネルは自分が少しおかしかった。


「ありがとう」


 どうして感謝されるのかわからないという顔のアベルへ、リオネルは笑いかけた。


「イシャスの喜ぶ顔を、おれも見たかったから」


 アベルもぱっと顔をほころばせる。


「明日、渡しましょう」

「楽しみにしているよ」


 食堂へ向かうアベルと別れてすぐに、ディルクがリオネルの肩に手をかけてくる。


「――もうだめだ」

「なにが?」

「二人の会話が、なんというか、もうだめだ」

「なにかおかしかった?」

「かわいすぎるというか、もどかしすぎるというか――悶絶して死にそうだ」


 わけがわからないと顔を顰めたレオンが、「意味不明な死因だな」とつぶやく。


「勝手に人を殺すなよ、レオン」

「死にそうだと言っていたではないか」

「まだ死んでない」

「紛らわしいな」

「見ればわかるだろう」

「おまえなら、死んでも動きまわっているに違いない」

「おれは化け物か」


 二人の会話にリオネルは声を立てて笑った。


「笑うな、おまえのせいだぞ、リオネル」

「ごめん」


 なぜ謝らなければならないのか、実際のところよくわからないが、とりあえず自分のせいだとディルクが言うので、リオネルは謝っておく。


「本当、リオネルとアベルの関係を見てると、背中のあたりがかゆくなるよ」

「剣の柄でかいてやろうか?」


 すかさずそう言ったのはレオンである。


「そう言いながら、剣の刃でかくつもりだろう?」

「日頃の恨みがあるからな」


 つまらぬことを言い合いながら、若者たちはそれぞれ自分たちの部屋へ戻っていく。


 平凡だが愛おしい日常。

 降り続ける雪は、音もなくベルリオーズ邸を包み込んでいた。






+++






 従騎士として王宮へ来ておよそ十ヶ月。

 日中は多忙なノエルについてまわり、空いた時間で剣の練習をする。そんな日々にもカミーユはようやく慣れつつあった。


 あいかわらず王宮の空気は冷ややかで、多くの者が国王やジェルヴェーズの機嫌を取り、自分たちの利益や保身だけに目を向けているように見えた。実直に生きている人もいるに違いないが、王宮とはそんな優しさが踏みにじられる場所であるように思える。


 王宮に来た当初は、とてもこんな環境に耐えられそうにないと思ったが、今は違う。コンスタンという新しい友達もでき、さらに近頃嬉しい出来事があった。


「姉さんはもうベルリオーズ領に着いたかな」


 夕方の鍛錬を終えたあと、自室へと向かいながらカミーユはひとりつぶやく。


 もう二度と会えないかもしれないと思っていた姉に、新年祭の折りに王宮で再会することができたのだ。――ただそれだけで、カミーユの日常は輝きを取り戻した。


 シャンティが生きている。


 今はリオネル・ベルリオーズのもとに身を寄せているが、いずれ自分がデュノア家を継いだ暁には、呼び寄せていっしょに暮らそう。デュノア邸はきっと、かつてのように笑い声に満ちた館になるだろう。

 そう考えれば、王宮がどんな雰囲気だったとしても、カミーユは明るい気持ちになった。


「ただいま」


 いつものように部屋に戻ると、窓際に立っていたトゥーサンが振り返る。


「おかえりなさいませ」


 普段どおりの台詞だが、カミーユは違和感を覚えた。

 感情を表に出すことの少ないトゥーサンから、この日は隠しきれない動揺が見て取れる。なにかがあったのだということはすぐにわかった。


「どうかしたの」


 カミーユはトゥーサンの目をのぞき込むようにして尋ねたが、視線を逸らされる。


「なにもございませんよ」


 嘘だと思った。なにかあったに違いない。そうでなければトゥーサンがこんな反応をするはずがない。カミーユはひとつの可能性を思い浮かべて、顔色を変えた。


「姉さんになにかあったの?」


 不安になって尋ねるが、トゥーサンは静かに首を横に振る。


「いえ」

「じゃあ、デュノア邸?」

「いいえ、なにもありません。カミーユ様はなにも心配なさらずに、お休みになってください」

「…………」


 トゥーサンは平静を装っているが、カミーユにはわかる。トゥーサンはなにかカミーユに隠している。それも、トゥーサンのような者が余人に悟られてしまうくらいの、重大なことを。


「わかった」


 そう答えて、カミーユは休む準備をはじめる。けれどトゥーサンは時折手を止めて、なにやら考えこむ様子だった。よほど気がかりらしい。


「トゥーサン? ねえ、トゥーサン」


 声をかければ三度目にトゥーサンは振り返った。


「あ、はい、カミーユ様」

「なにか暖かいものでも飲まない?」

「は?」

「喉が乾いちゃって」

「……そうですか、ではなにか持ってきましょう」


 部屋を出ていくトゥーサンの後ろ姿を見送ってから、さて、どうやって聞き出そうかとカミーユは頭をひねる。まずは暖かい飲み物をいっしょに飲んで、それから……。

 と考えているうちに、視線がある一点に止まった。


 机の上に置いてあるインクの瓶の蓋が、わずかに浮いている。カミーユは瓶を手に取り、蓋を正しい位置に戻した。手紙でも書いていたのだろうか。羽ペンの先に触れれば、すこしばかりインクが残っていた。


 なにを書いていたのだろう。机の上を見回し、引き出しを開ける。引き出しの中には、まだなにも書かれていない紙や、デュノア邸にいる父母から届いた手紙などが入っている。

 手紙の束をひととおり見たが、すべて見覚えのあるものだ。引き出しをもとに戻し、机のうえへ再び視線を戻した。


 と、机のうえに立てて置かれている数冊の本が目に入る。それらはトゥーサンやカミーユがデュノア邸から持ってきたお気に入りの数冊だ。

 シャンティといっしょに読んだ冒険の物語に、カミーユは手を伸ばした。

 一冊抜いたせいで、隣の本がぱたりと倒れる。その拍子に、なかから白い紙がのぞいた。


「…………?」


 倒れたのはトゥーサンの本だ。内容は天文学に関するもの。

 本には触れずに、白い紙だけ引き抜く。出てきたのは一通の手紙だった。


 いつ届いたのだろう。送り主はカトリーヌとなっている。宛名はトゥーサンだ。カトリーヌとは、シャンティの侍女だったあのカトリーヌだろうか。


 他人の手紙を読むことがいけないこととは知りつつ、カミーユはなかを開ける。トゥーサンがなにをひとりで抱え込んでいるのかが知りたかった。


 手紙を開き、文字を追う。

 そして読み終わったとき、扉が開いた。手紙を握りしめながら、カミーユは振り返った。

















このたびはレビューを頂き、ありがとうございました。

このようなお言葉を頂きとても嬉しく、また励みになります。

物語をなろうで更新してよかったと心から感じる瞬間です。


気が付けば、たくさんのレビューを頂いており、もったいないほどのお言葉をいただいております。

心より感謝です。


第八部はまだまだ始まったばかりですが、これからもお付き合いいただけましたら幸いです。


yuuHi

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