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ひなげしの花咲く丘で  作者: yuuHi
第七部 ~神前試合は、運命の歯車に導かれ~
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 新年を迎えたサン・オーヴァンの街は、すでに飲めや歌えやの祭り騒ぎである。

 夜明けと共に街の中心街へ集まってきた人々は、片手に酒瓶を握り、見知らぬ相手であっても互いに新年の挨拶を交わしては、乾杯し合って胃に酒を流し込む。


 辺りが明るくなって探す相手を見つけやすくなるかと思いきや、酔っ払った人々にからまれて人探しどころではない。


「やあ、美形さん、新年おめでとう!」


 酒瓶を掲げてくる相手に、リオネルは軽く視線を返しておいて、人混みのなかをかきわけまえへ進もうとする。けれどそのリオネルへ男は腕を伸ばして行く手を阻む。


「待ってくれよ、酒を持ってないのか? ならおれのをわけてやるよ。飲もうぜ」


 口元へ瓶を押しつけてこようとする相手へ、「すまないが、急いでるんだ」と告げるも、泥酔した状態で聞きわけるわけがない。


「新年だぜ? 身分の隔たりなく、仲良くやろうぜ」


 馴れ馴れしく肩を抱いてくる相手をベルトランが遮る。


「急いでいると言っているだろう」

「あーあ、だから貴族はお堅くてつまらねえな」

「なんだって?」


 つっかかったのはディルクだ。


「じゃあ、飲んでやるよ。おまえの酒瓶が空になっても知らないぞ」


 酔っ払いの酒瓶を奪い取って飲みはじめるところ、マチアスに鋭く叱咤される。


「そんなことをやっている場合ですか!」


 飲みかけの酒瓶をディルクの手からひったくり、マチアスは酔っ払いへ迷惑そうに押しつけた。


「お返しします」

「えらく怖い家臣だなあ」


 そうつぶやきながら、そそくさと酔っ払いは引き揚げていく。酔っ払いもマチアスのことは怖いようだ。


「このまま街のなかを探しても、効率的とはいえません」

「探す場所を変えるか?」

「もう一度、館の周辺を捜すのはどうだろう」


 話しあっているところ、どこからか声が上がる。


「おーい、もうすぐ神前試合が始まるぞ!」


 わあっと歓声が上がり、広場は熱気に包まれた。


「今年は挑戦者が勝つぞ!」

「そうだ、今年は我々のなかから勇者が出るんだ!」


 おおぉ! と興奮した酔っぱらいたちから咆哮が上がった。

 けれどややあって、


「今年のリヴァルは、正騎士隊の隊長らしいぞ!」


 という声が響くと、さきほどとは違う種の叫び声が方々から上がる。


「大損だ! 挑戦者に大金を賭けたのに、正騎士隊の隊長がリヴァルじゃあ勝ち目はないだろ」

「この国で、正騎士隊の隊長に勝てるやつがいるのか?」

「今年の挑戦者は災難だなあ!」

「いや、こういう年ほど、信じられないことが起こるんだ。きっとだれかがトゥールヴィル隊長を破るぜ」

「いやあ、おれはあの人には憧れてるんだ。破れられるわけがねえ!」

「おまえはどっちの味方なんだっ」


 彼らの会話が聞こえていたリオネルたちは、顔を見合わせる。


「今年のリヴァルは叔父上か……」


 当日に発表されることになるとは聞いていたが、突如リヴァルをつとめねばならなくなったシュザンは大仕事に違いない。なにしろ、全国から集まった猛者九人を倒さねばならないのだから。

 むろん、その役を自分がつとめるはずだったことを、リオネルは露とも知らない。


「顔くらい出さなくていいのか」


 気がかりげにディルクが尋ねてくる。

 いったん館に戻った際に、新年祭の行事をすべて欠席すると伝えるようジェルマンへ指示した。

 けれどむろんすべての行事を欠席するというのは、本来許されることではない。国王から招待されたのだから、どうにかして顔を出すのが礼儀というものだ。


「アベルを探し出すまでは、どこへも出席しない」

「出席しなくともいい。だが、少し休め」


 苦い口調で言ったのはベルトランだが、リオネルは聞く耳を持たなかった。


「皆は先に休んでいてくれ。おれはもう少し探してから戻る」


 すかさずディルクが口を挟む。


「そう言って、戻らないつもりだろう。見え透いてるよ、リオネル。おれとマチアスが探しているから、おまえは少し休んできたほうがいい。そのあと交代しよう。アベルが見つかったとき、おまえが疲労で倒れてたらおれたちがあの子から怒られる」

「いくらでも怒られればいい、アベルが見つかるならなんだってかまわない」

「おまえ、他人事だと思って」


 リオネルがマチアスへ目配せすると、軽いうなずきが返ってくる。


「ではいったん我々は館に戻りましょう」

「なに? おれは探し続けるぞ」

「交代するために休むのです」

「そもそも、こいつに交代する気なんかないじゃないか」

「それはそれです」

「それはそれって――」


 マチアスに引きずられるように、ディルクは馬を繋いである街外れの厩舎まで連れていかれる。リオネルとマチアスの決断は、このまま全員で探しつづけて共倒れになるのを避けるためだった。






+++






 すでに試合は始まっている。

 アベルは挑戦者のために用意されたテントのなかで、じっと自分の出番が来るのを待っていた。


 先程ガイヤールが現れ、不正がないか確かめるためだといって全員の武器を没収していった。そして再び戻されたアベルの剣は、昨夜のうちに塗られた毒がきれいに拭き取られていたわけだが、むろん憔悴しきったアベルは一連の出来事に気づいていない。


「よお、細っこいガキだな。おまえが最後の挑戦者か」


 声をかけられてゆっくりと顔を上げる。と、二本の剣を腰にぶら下げた巨漢が目前に立っていた。

 小柄なアベルが剣を二本もぶら下げていたら歩きにくくてしかたがないが、これくらい巨体ならば問題にならないだろう。


 アベルは視線を上げたものの、なにも答えなかった。


「選定の日にはいなかったようだが、どこかで大神官に見初められたか? 最後に戦うやつがどれほどのもんかと思って見にくれば、まさかこんなちっせえ、えないガキか」


 アベルとて、なぜ自分がこんな場所にいるのかわからない。

 観客席で試合を見物するはずが、参加することになったのだから。


 リオネルが貸してくれた本の内容が思い起こされる。

 自分とはなにか――自分の居場所はどこにあるのか。探し続けた青年が行きついたのは神前試合。そこで彼はなにを見出そうとしたのか。今なら少しわかる気がする。


 リオネルからもらったこの剣で、シャルムで最も腕の立つ騎士を相手に命を燃やしつくすことができれば、それ以上のことはない。


「ちっせえの、おまえ殺されるぜ」


 脅しているのか、あるいは心配してくれているのか判じかねる男の口調だった。


「今回のリヴァル、だれかわかっているのか」


 先程からアベルは挑戦者の輪から外れて、膝と長剣を抱えて座っていたので伝わっていなかったが、他の挑戦者の耳にはリヴァルについての情報が入っていた。


「シュザン・トゥールヴィルだそうだ」


 はっとしてアベルは顔を上げた。


「知ってるだろ? この国の正騎士隊の隊長さ。リオネル・ベルリオーズをはじめ数多の剣豪を育てたシャルム一の剣の使い手らしいぞ」


 驚いていたのも短いあいだで、アベルはすぐに笑いだしたい気分になる。

 彼が相手なら、アベルは確実に負けるだろう。こちらが捨て身で戦ったとしても、太刀打ちできるはずない。

 相手がリオネルの叔父だとか、そんなことは関係のないことだった。

 最後に思う存分暴れまわるには不足のない相手。


 実際に笑っていたのかもしれない、双刀の巨漢が嘲るようにこちらを見やる。


「気が触れたか」

「この国で一番の剣豪と戦えるのですから、わたしは幸せです」

「まあ、そのまえにおれが倒すから、おまえの出番はねえよ」


 そうですか、とアベルは微笑する。

 運命に身をゆだねてしまえばいい。いくら足搔いたって、もうあの場所へは戻れないのだから。








 シュザンにとってはまったく予想外の出来事だった。

 正騎士隊を束ねる者として、神前試合は毎年見学に訪れていたが、リヴァルに抜擢されたのは初めてのこと。それも、事前の打診や告知など一切ないという例外の年にかぎって指名されたのだから。


 そもそも正騎士隊の隊長は、リヴァルとして立つという習わしがない。歴代の隊長をたどっても、リヴァルをつとめた者はないだろう。

 というのは、いくら全国から集った猛者といえども、精鋭部隊の頂点――いわば、鍛え上げられた屈指の騎士のなかでも最も腕の立つ者と戦っては、だれにも勝ち目がないという暗黙の認識があったからに違いない。


 それが今回はどういうわけか破られた。あるいは本当に最初から自分がリヴァルとして決まっていたのかどうか、シュザンは疑いを抱かざるをえない。

 心の準備はできていなかったが、指名されたからには勝たねばならなかった。



 長身のシュザンを超えるような巨体の猛者が大半を占めるのに、一人、二人、三人、四人……と軽々片づけていくシュザンの姿に、観客席からは感嘆の声が上がる。


 もはや戦いを見ているというよりも、シュザンの美しい剣技を鑑賞にきているといった雰囲気だ。さすがはシャルム正騎士隊の隊長、と貴族のみならず、市民らでさえ誇らしげな表情である。


「嫌な年にあたったもんだぜ」


 と先程アベルに話しかけた挑戦者は舌打ちしたが、その彼もシュザンとの戦いで最終的には武器を完全に手放すこととなった。シュザンの服の表面をわずかに裂いただけでも、健闘したほうだろう。


「今日は、このあと時間が空きそうですね」


 ルスティーユ公爵がエルネストにささやく。この調子では、午前いっぱいかかるはずだった神前試合がまもなく終わってしまいそうだ。


 エルネストは無言でシュザンの剣技を見つめていたが、その眼差しはすっかり陶酔している様子だ。すばらしい腕の持ち主を、自らの軍隊の長に据えているという誇りと歓びが、その表情からはうかがえる。


 これでまたしばらくは王のシュザン贔屓が続きそうだと、ルスティーユ公爵は内心でため息をつく。


 さらにそこから少しばかり離れた場所では、カミーユが他の観客同様、目を輝かせてシュザンの剣技に見惚れていた。


「すごい! すごいですね、叔父上! 素早く、美しく、無駄がなく、でも的確で……こんなふうに戦えたら、一万人の敵でもひとりで倒せてしまうのではないでしょうか」


 政敵であることなどすっかり忘れて、シュザン・トゥールヴィルを絶賛するカミーユに、ノエルは静かに微笑するだけだ。


 シュザンが剣を振るうたびに、観客席にいる男たちはその技に感嘆し、女はうっとりため息を漏らす。称賛と憧憬の渦のなか、淡々と挑戦者を倒したシュザンは、ついに最後のひとりと相対することになった。


 最後の挑戦者が競技場へ姿を現したその瞬間、周囲がざわつきはじめる。


 シュザンでさえ、我が目を疑った。

 これまでシュザンと同じかそれより厳つい体格の者ばかりが続いたというのに、最後の最後で子供のような挑戦者が現れたのだから。


 エルネストが思わずガイヤールへ視線を向ける。


「なんだ、あの子供は」

「リオネル様の死神だったはずの者です。年若く、小柄な挑戦者に殺されたとあったら、王弟派も文句が言いにくいものでしょう? 探しまわってようやく最も適した者を見つけ出したのに、計画が破れてしまったので」


 なるほど、と傍らのルスティーユ公爵は顎に手を添えて唸った。

 そこまで考えていたのは、さすがはガイヤールとしか言いようがない。剣に毒を塗るのはだれでもいいと思っていたが、たしかにこのような子供では、リオネルを殺されても王弟派連中は怒りをぶつけられなかっただろう。


「腕は立つのか」

「ええ、おそらく」

「はっきりと知らないのか」


 目を丸くするエルネストに、ガイヤールは「直感で選ばせていただきました」と頭を下げた。


 一方、別の席で見物していたカミーユもまた、驚きを隠せない。


「あんな小さな子が挑戦者?」


 自分より幼く見える少年は、華奢な腕で飾り気のない長剣を握っている。

 どこもかしこも頼りない風情なのに、背筋をすっと伸ばしてシュザンと相対する姿は美しくさえある。その潔い姿が、だれかに重なるような気がしてカミーユは不安な心地になる。


「珍しいな」


 ノエルでさえ身を乗り出して、まじまじと少年を観察している。


「殺されてしまうこともあるのですか?」


 これまでの八人の挑戦者のなかには、怪我を負った者もいるが命までは奪われていない。けれどこれほど華奢な少年では、すぐに壊れてしまいそうだ。


「シュザン殿は、自らの命が危険に晒されないかぎり、相手の命を奪うことはないだろう」

「そうですか」

「だが、生き残ったところで〝死の祈り〟が待っている。そこで半数以上が死ぬ」

「…………」


 なぜだろう、胸が潰されるような不安に襲われる。両手を固く握って、カミーユは二人を見下ろした。

















※〝死の祈り〟については、「第七部 ~神前試合は、運命の歯車に導かれ~」のプロローグに記載があります。

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