29
「待って、コンスタン!」
黄金色に縁取られた天井の高い廊下を、二人の少年が走り抜けている。
いや、よく見れば、先に走る少年を、いまひとりが追っているようだ。
廊下で立ち話する人々の合間を、二人は巧みにすり抜けていく。皆、目を丸くしてその姿を見送った。
「直接話しにいくなんて無茶だよっ」
追いかける少年は必死に説得するようだが、先を走る少年は振り向きもしない。
「ねえ!」
先を走るのはコンスタン、彼を追うのはカミーユだ。
大回廊を通り過ぎ、「舞踏会の間」に出たとき、ようやくコンスタンの足が止まる。
カミーユが追いついたとき、すでに「舞踏会の間」にいた者の視線はコンスタンに集まっており、あたりは静まり返っていた。
「舞踏会の間」の奥に立っていたのは、国王エルネストである。その周囲には、ブレーズ公爵、ルスティーユ公爵、ベルショー侯爵、正騎士隊副隊長シメオン・バシュレ、さらには近衛隊隊長と副隊長のノエル、その他政治の中核を担う面々が揃う。
カミーユなど一瞬にして気圧されるほど高貴かつ位の高い者たちだ。彼ら以外にも部屋には多くの貴族がいたが、コンスタンは真っ直ぐに国王のほうへ歩いていった。
すぐに国王付きの近衛兵らがまえへ出て、コンスタンの行く手を阻む。
「これ以上、陛下に近づくことは許されません」
近衛兵の硬い声音を受けて、コンスタンはその場で立ち止まらざるをえなくなった。
けれど視線はまっすぐに国王へ。
「陛下にお伺いしたいことがあります!」
コンスタンが叫ぶと、国王エルネストが怪訝な眼差しでコンスタンを見下ろし、その傍らではルスティーユ公爵や、ベルショー侯爵が眉をひそめる。
近衛兵らがコンスタンをその場から連れだそうとするのを、エルネストが手を上げて制した。
「そなたは」
名を問われてようやくコンスタンは床に膝をつく。
「初めてお目にかかります。私はロルム公爵家嫡男コンスタンと申します」
部屋の空気がわずかに変化したようだ。ロルム家といえば、ベルリオーズ家、ルスティーユ家、ブレーズ家、トゥールヴィル家に次ぐ大公爵家である。シャルム内で公爵の位を賜っているのは、この四家を含め七家しかない。
その偉大なロルム家だが、ユスターの侵攻によって今は厳しい状況にある。そのため、ロルム家嫡男と聞けば、この少年の「伺いたいこと」とやらがなにかは、すぐに察せられた。
国境を超えてユスター軍がシャルムに攻め入ったとの報は、すでに数日前には王都まで伝わっていた。むろん政府の中枢はそれより早く情報を得ていたに違いない。
さらに、正騎士隊を動かさぬという王の意向が公表されたのは、今朝のことだ。
少年が身分を明かすと、一部で小さなざわめきが生じた。
カミーユは「舞踏会の間」の片隅に突っ立ったまま、どうしていいかわからずにいる。コンスタンをついには止めることができなかった。
王のそばに立つノエルの視線が、自分に向けられているような気がして、カミーユは居心地が悪くなる。
「ロルム家か」
はっきりとは聞こえなかったものの、国王は低くつぶやいたようだった。
「国王陛下」
顔を上げてコンスタンが話し始めれば、小さなざわめきもすぐに静まる。この幼い少年が、将来公爵家を継ぐ人物なのだと思えば、だれもが一目置かざるをえない。
「お伺いしてよろしいでしょうか。――ユスター国境は今激しい戦場となっていると聞きます。ロルム家は総力をあげて戦っていますが戦況は厳しいようです。なぜ正騎士隊を動かしてはくださらないのですか」
「いくらロルム家のご嫡男であっても無礼ですぞ、コンスタン殿」
すかさず言葉を挟んだのはルスティーユ公爵である。むろんロルム家とルスティーユ家は形式上ほぼ同格の貴族であるが、実質的にはルスティーユ家のほうが外戚として権力を持ち、そして今は少年の父親であるロルム公爵がいないのもあって、ルスティーユ公爵は威圧的だ。
無礼だという言葉を受けてもなお、なにも聞こえておらぬかのように、コンスタンは平然と続ける。
「陛下、お答えくださいませんか。なぜ正騎士隊を国境の戦場へ遣わしてくださらないのか。ロルム家や、竜の尾に住むシャルムの民をお見捨てになるのですか」
「口を慎みなさい!」
ルスティーユ公爵が声を荒げると、たまらずカミーユはコンスタンに駆け寄った。
「すみません。彼は少し混乱しているんです。お許しください。……もう行こう、コンスタン」
そう言ってコンスタンの腕を引き、「舞踏会の間」から連れだそうとする。
この状況にわずかな驚きを示したのは、カミーユの師であるノエルとその異母兄ブレーズ公爵だ。突然甥のカミーユがこの騒ぎに加わってきたのだから当然のことだろう。
が、カミーユの必死の努力にもかかわらず、コンスタンは硬い表情でエルネストを見上げたまま、梃子でも動こうとしない。
「どうしてなにも答えてくださらないのですか、国王陛下。王都が安全なら、遠い西南の地が侵され、多くのシャルム人の血が流れようとかまわないのですか」
「コンスタン、もうやめよう」
「陛下、どうかお答えいただけませんか!」
訴え出るコンスタンを静かに見下ろしていたエルネストは、不意に視線を隣のブレーズ公爵へ向ける。と、ブレーズ公爵はうなずいた。
ブレーズ公爵は、ゆっくりと二人のそばへ歩み寄る。
カミーユとコンスタンは、そばへ来たブレーズ公爵を見上げた。
「コンスタン殿」
呼ばれて、コンスタンの瞳がこれまでとは異なる色を浮かべる。王の右腕と言われるブレーズ公爵だ。彼となら実のある話し合いができるかもしれない。
けれど、コンスタンは国王と直に交渉したいと願って、ここまできたはずだ。
コンスタンがなにか言おうとするのを遮り、ブレーズ公爵は先に口を開いた。
「ここには陛下を含め、大勢の貴族方がおられます。とりあえず場所を変えましょう」
「けれど――、私は陛下から直接お話を伺いたいのです」
「ご自身の家臣や領民を思う気持ちは分かりますが、このような形で陛下と意見を交わすことはできません」
「なぜですか。国王陛下はなぜ、私の質問に答えてくださらないのですか。やましいことがなければ、堂々とここで意見を――」
「コンスタン!」
焦ってカミーユは友人の名を叫ぶ。ついでに、それだけではコンスタンを止められないと思ったので、カミーユは彼の口を手で覆った。
強引に言葉を遮られたコンスタンは、非難の眼差しをカミーユへ向ける。
「だめだよ、コンスタン。陛下のご不興を買ったら、故郷を救うどころじゃなくなる。そうだろう? お父上や家の立場を悪くすることが、コンスタンの望みなのか?」
カミーユの言葉には説得力があった。コンスタンは無言になる。
ちらとカミーユを見やってから、ブレーズ公爵はロルム家の嫡男を促す。
「さあ、こちらへ、コンスタン殿。私が陛下の代わりに話をいたしましょう。カミーユも来なさい」
無言で視線を落としたものの、コンスタンは嫌だとは言わなかった。言えなかったのだろう。カミーユの言葉がこたえていたのかもしれない。
「コンスタン」
カミーユに呼ばれると、コンスタンはゆっくりと再び国王エルネストへ向けて頭を下げ、そしてブレーズ公爵に従った。
連れていかれたのは、控えの間である。
気勢を削がれたコンスタンは、先に入室したブレーズ公爵の後に無言でついていく。
扉のまえで、カミーユが入ってよいものか迷っていると、ブレーズ公爵の眼差しがこちらへ向けられた。言葉はないが、いつもの静かな笑みが浮かんでいる。どうやら入ってこいということらしい。カミーユはうなずいた。
扉が閉まると、ブレーズ公爵は二人を椅子に座るように促す。
扉を閉めたのは、いつのまにかそばにいた近衛隊副隊長ノエルだ。子供たちの目付役といったところだろうか。
結果的にコンスタンは、ブレーズ家に縁のある者ばかりに囲まれることになった。
「コンスタン殿、どうぞお座りください」
公爵が指し示したのは、背もたれと肘掛の部分に、唐草の透かし模様が施された長椅子だ。
「カミーユも、いつまでそうしているのだ。かしこまることはない」
扉のそばで突っ立っていたカミーユは、おずおずとコンスタンのそばまで行く。
けれど、椅子に座るのをためらう。ロルム家のコンスタンや、ブレーズ家の二人に比べ、カミーユはあまりにも身分が低かった。
そんなカミーユに、ブレーズ公爵は笑いかける。
「久しぶりだな、カミーユ」
ブレーズ公爵は夏前から領地に戻っており、ユスターの侵攻を受けて急遽再び王都を訪れたのは数日前のことだ。
王宮に戻ってからカミーユと公爵が顔を合わせるのは、これが初めてのことである。
「公爵様、ご機嫌麗しく――」
「そのような堅苦しい挨拶はいい。そなたはベアトリスの子なのだから、我が子も同然」
「あ、ありがとうございます」
嬉しいやら、恐れ多いやらでカミーユは言葉に詰まる。
「そなたも座りなさい」
指示を受けて、コンスタンのすぐ隣にカミーユは腰かける。豪奢な長椅子に並ぶ少年らは、普段よりもひと回り小さく見える。
小卓を挟んで腰掛けに座ったブレーズ公爵は、ゆったりと二人に話しかけた。
「先程はいっしょにいたようだが、二人は知り合いなのかな」
カミーユとコンスタンは顔を見合わせる。それから視線を公爵へ戻して、友達ですとカミーユが答えた。
ロルム家は王弟派であり、かたやデュノア家やブレーズ家は国王派である。友人だと言ってよいものか測りかねたが、それでもカミーユは堂々と答えた。気のせいかもしれないが、ノエルの視線をこれまでより深くカミーユは意識した。
「そうか、友達か」
なんでもないようにブレーズ公爵は繰り返す。
「友を持つことはいいことだ」
と、一般論に話を差し替えてから、公爵は視線をコンスタンへ移した。
「コンスタン殿は、故郷のご家族や家臣、それに民を案じておられるのでしょう」
はい、とコンスタンはブレーズ公爵を見据える。
「一国を相手に、西方の諸侯だけで立ち向かうのは困難です。国王陛下がなぜ正騎士隊を戦地へ向かわせてくださらないのか、どうしてもお聞きしたかったのです」
うなずきながら、ブレーズ公爵は「もっともです」と答える。
「陛下は、ロルム領や周辺の領地を見捨てるおつもりでしょうか」
攻撃的な言い方が気になり、ちらとカミーユはコンスタンを見やったが、声に出しては制止しなかった。
「そのようなことはありませんよ」
穏やかに公爵は言う。
「ですが――」
「私の話を聞いてもらえませんか、コンスタン殿」
「…………」
「陛下は、この国を守るために最善の道を模索しておられます。けっして、竜の尾を見捨てようなどとは考えてはいない」
「ではなぜ」
そこで、ブレーズ公爵は次のように説明した。
すなわち、北の脅威に備えて正騎士隊は王都からは動かせぬこと、けれど正騎士隊に所属する有能な将官フランソワ・サンティニの一隊はすでに前線へ派遣されて戦っており、さらには西方諸侯のうちでも最強の軍事力を有するベルリオーズ家に、国王は出兵を命じたことなどである。
方々ですでに話題になってきたことだが、少年らにとっては初めて聞く話である。公爵の説明が終わるや否や、コンスタンは疑問を口にする。
「それで本当に国境は守られるのですか」
「ベルリオーズ家が出兵すれば、周辺の貴族が呼応します。彼らが一丸となれば、正騎士隊と変わらぬ力を発揮するでしょう」
「けれど呼応するのは、王弟派諸侯だけでは?」
「我がブレーズ家からも、全兵力とはいきませんが、一部を戦地へ向かわせるつもりです。その旨、すでに息子フィデールには知らせを送ってあります」
「そう、なんですか」
コンスタンは、納得したような、けれど腑に落ちぬような、複雑な表情だ。
「陛下のお考えは理解していただけましたか」
視線を伏せて考え込んでから、ゆっくりとコンスタンはうなずく。ブレーズ公爵の揺るがぬ静かな笑顔のまえでは、どうにもいつもの調子が出しにくいようだ。
コンスタンのうなずきを納得したものと受け止めたらしく、ブレーズ公爵は視線をカミーユへ移す。
「久しぶりにそなたともゆっくり話したい。が、今日は時間がない。今度は庭園でも散策しながら話を聞かせてくれないか」
「もちろんです」
恐縮してカミーユは頭を下げた。




