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レオンとアベルが見つかったことについては、すぐにフリートヘルムのもとへ報告がなされた。
「そうか、ユスターだったか」
王の書斎。
文様のみが施された白い壁には、三美神が描かれた大きなタペストリーがかかっている。
家具はすべて木の風合いが活かされたもので、城内の優雅さに比して落ち着いた趣の部屋だった。
報告を受けると、肘掛椅子に脚を組んで腰かけるフリートヘルムは、驚いた様子もなく、相変わらずのんびりした口調だ。けれど、普段どおりの口調や表情のなかにも、わずかに鋭利なものが感じられた。
「彼らは、レオン王子ともうひとりの使節を捕らえ、リオネル・ベルリオーズ殿らに対しシャルムへ帰国するよう圧力をかけていた次第です」
報告のため参じたのは、事の次第をジークベルトから聞いたヒュッターである。
「二人は無事なのか?」
「レオン王子は無傷ですが、少年のほうは食事を与えられておらず、救出時に怪我も負ったそうです」
「あのような娘に、むごいことをするものだ」
「は?」
ヒュッターは「娘」という言葉が聞こえてきたので、思わず問い返した。
「娘、でございますか?」
「だれが娘などと言った。見つかったのは少年だろう? 耄碌したのか、ヒュッター」
「すいませぬ」
謝りつつ、ついに耳の聞こえが悪くなってきたのだろうかと、ヒュッターは耳たぶを引っ張る。
「少年は助かりそうか?」
「は、ジークベルト様がエリーアスを呼び寄せ、手当てさせております。命には別状ないかと」
エリーアスとは、フリートヘルムの主治医であり、むろんエーヴェルバインで最も優れた医者である。
「アルノルト兄上もアルノルト兄上なら、ジークベルトもジークベルトということか」
「どういう意味で?」
「さあ、わからないけれど」
謎な言葉が多い国王に戸惑いながら、ヒュッターはいまひとつの重大な報告をしようとした。
「陛下、今回の件ですが――」
「シュトライト公爵がからんでいたか?」
「ご存じでおられましたか」
驚きの声をヒュッターが上げると、フリートヘルムは口元にかすかな笑みを浮かべる。
「そんなことだろうと思っていた」
「なぜですか?」
「ジークベルトから、シャルムの使者を伴ってシュトライト邸へ赴いてほしいと頼まれた時点で、彼が絡んでいる可能性があるのだと感じていた。それに、よからぬことを企む者は、焦ると尻尾を出すものだ」
「……シャルムの使節二人を監禁していた者のなかに、シュトライト公爵の配下がおりました」
「生きているのか?」
「はい。猿ぐつわを噛ませてあります」
「それはいい。彼らは生きた証拠になるだろう。他国の王子を、私の許可なく捕らえ監禁した重大な罪だ。証拠が生きているうちにシュトライト公爵を捕らえよ」
「今すぐに、ですか?」
「だれよりも捕らえたいと考えているのは、そなたではなかったのか? なにをためらう。すでに布石は打ってあるのだ。あちらも覚悟はできているはずだ」
「あちらに覚悟ができているからこそ、抵抗される可能性もあります」
「軍を動かしてもかまわない。確実に捕えろ。ようやく拘束する機会を得たのだから。……ついでにジークベルトを襲った事実を白状させなさい。兄上の仇だ。簡単には死なせない。命あるかぎり監獄に繋いでやってもいい」
普段のフリートヘルムからは想像できぬ、激しい発言だった。
いつもはなにも考えていないかのように呑気なふうであるのに、いざとなるとこのような冷静さ――冷徹さを示すのだ。
フリートヘルムの根底にあるのは、やはり二十年のまえのあの事件にほかならない。
カロリーネの言うように、アルノルトの死という出来事が、フリートヘルムの言動に未だ大きく影響している。
「マティルデ王妃様はいかがいたしますか」
「彼女は、ユスターの使節を頻繁に寝室に引き入れていると聞く。父親やユスターの使節と共に、くだらぬ計略を練っていたのだろう」
「…………」
「マティルデはシュトライト公爵の分身に過ぎぬ。証拠が挙がり次第、共に投獄しろ」
王妃が他国の王子監禁に加担していたとなれば、ローブルグ王室の醜聞である。けれど、フリートヘルムの命令は、徹底してシュトライト家を粛清せよというものだった。
むろんそれは、かわいい教え子であるアルノルトが悲惨な最期を遂げてから、ヒュッターが切望し続けていたことでもある。
「かしこまりました」
様々な思いはあれど、望みがついに現実となるという喜びに勝るものはない。深い感慨と共に、ヒュッターは深々と頭を下げた。
――すると。
「見舞いにはいけるのかな?」
突然問われたので、最初ヒュッターはなんのことだかわからない。
「見舞い?」
「だから、水色の瞳の天使を見舞いに行けるのかと聞いているんだ」
「天使とは……シャルム使節の少年のことですかな?」
「他に見舞う相手がいるか?」
逆に問われて、ようやくヒュッターは話がもとへ戻ったのだと知った。会話が円滑にいかないのは、やはり自分が耄碌したせいかとヒュッターは内心で首をひねる。
「アベルという名だったかな」
ひとつ咳払いして、ヒュッターは答えた。
「まだ目が覚めていないようなので、気がついたら連絡するように伝えておきましょう。ですが、相手はまだ子供。いくらなんでも陛下のお相手には――」
「心配するな。あのような小娘にはそういった意味での興味はない」
「は……」
答えてから、ヒュッターはやはり「娘」という言葉が聞こえてきた気がして、顔を上げる。だが、フリートヘルムは涼しい表情だ。やはり聞き間違えだろうかと、ヒュッターは自らの耳を軽く押さえる。
「恋の相手にはならないが、なかなかおもしろい者ではある。早く回復することを願っている」
「陛下のお心、しかと先方へは伝えておきます。どちらの国と手を組むか……これで明確になったわけですな」
ヒュッターがしみじみと言うと、フリートヘルムは素知らぬ面持ちで髪をかき上げる。
「さあ、どうかな。まだリオネル殿の口からは正式に来訪の目的を聞いていないからね」
「それはどういう……」
「言葉どおりの意味だ」
意味ありげなフリートヘルムの発言に、ヒュッターはかすかに嫌な予感を覚えつつ、シュトライト公爵の逮捕のため、いったん退室したのだった。
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木漏れ日が足元を彩っている。
このような深い森の奥にも光は届き、花は咲いているというのに――。
木の幹に残された文字は、なにかの鋭い刃先を使って記されたものだ。その文字に指先を触れながら、ジュストは沈痛な面持ちで黙りこんでいた。
「ジュスト殿、まだしばらくここにおられますか?」
遠慮がちに供の者が尋ねる。
ジュストはようやく文字から視線を外した。
「いいえ、もうけっこうです」
そう答えながらも、文字の記された木の根元を再び見つめる。ジュストの様子に気づいて、濃い髭に口の覆われた男が説明した。
「ちょうどここにもたれかかるようにして、殿方は亡くなられておられました」
丁寧で正しい言葉遣いだが、訛りは強い。その言葉にじっと耳を傾けながら、ジュストはうなずく。
「喉をひと突きです。急所を知っていたのでしょうなあ」
――ジャン・バトンという男とは面識がない。けれど、ジュストはその光景を想像することができた。
ここラクロワ地方の外れにあるボーロンの森の奥で、ナタンの従者ジャン・バトンは喉元に短剣を突き刺し、自死していた。
それを発見したのは、この森で猪を狩る猟師である。自殺者の近親者が見つからなかったために、遺体はすでに近くの礼拝堂に埋葬されていた。
ジャン・バトンの行方が判明したのは、精緻な捜索の結果である。
ビューレル邸の兵士や憲兵を動員した捜索以外にも、見慣れぬ者や遺体があったら報告するようにと各所へ触れまわったところ、この猟師の報告が上がってきたのである。
死者がジャン・バトンそのひとであると判明したのは、発見者の供述から風貌と服装が酷似していたこと、死者の短剣に記されていたのがジャン・バトンの名の頭文字であったこと、そして木の幹に記されていた不可解な文字からだった。
木に記されていたのは、たったの数文字である。
「これはどういう意味でしょう?」
ビューレル邸からジュストの供をしている兵士がつぶやいた。
『私は嘘をついた』
ジャン・バトンが残した言葉は、たったこれだけ。
――嘘をついた……。
なんの嘘だろうか。
なぜ死なねばならなかったのか。
これまでの経緯を詳細に知っている者であれば、少しばかりの想像力を働かせることはできる。
すなわち、ジャン・バトンはなんらかの嘘をナタン・ビューレルに対してついた。その結果ナタンは、ジェルヴェーズに斬りかかり、返り討ちに遭ったと。
こう考えるのが最も単純である。
果たしてそれが真実なのか。
だとすれば、なんのためにジャン・バトンは嘘などを口にしたのだろう。あんなにも忠実にナタンに仕えていたというのに。いったいどのような嘘を吹き込めば、ナタンにジェルヴェーズを殺す決意をさせることができるのか。
ジャン・バトンの死と、遺言をもってしても、謎は依然として残っていた。
「遺体は、どのような表情だった?」
後方に控える猟師は、ジュストに問われて思い出しながら答える。
「……目が開いていましたね。猪の死に顔とはまた違っていましたよ。開いたままの目に、哀しみのようなものが映っていました」
「哀しみ……」
「猪の死に方は激しいんですよ。でも、死ぬときは思いのほか安らかな顔をしていましてね。いや、表情がないだけかもしれませんが……それに比べると、ご遺体の死に顔はなにか強く感じさせるものがありました。それが哀しみという言葉が的確なのかは、よくわかりませんがね」
「そうか」
すでにジュストらはけっこうな時間を、ここで過ごしていた。猟師もビューレル邸から供をしている兵士も、辛抱強くジュストの現場検察につきあっている。
ジャン・バトンが死んだとなれば、もはや当時の状況を知る術は残されていなかった。
彼が、なにをナタンに告げたのか、なんのためにそれをしたのか――当事者が二人とも死んだ今、事実は永久に闇のなかだ。
『私は嘘をついた』
その言葉の意味を知るため、そして、なにか手掛かりを探すため――ここにいれば大切なことが判りそうな気がして、ジュストはジャン・バトンが自死した現場から離れることができなかった。
けれど、いつまでもこうしているわけにはいかない。
待っていても、ジャン・バトンが戻ってきて事実を話してくれるわけでもなく、木の幹に残された文字を見つめていても、それが自ずと形を変えて過去を語るわけでもない。
早くビューレル邸に戻り、クロードへの報告をまとめねばならなかった。
「手間をとらせた」
そう言って、ジュストは猟師にいくらかの金を渡す。
「こんなにもいただけるので?」
手のうちに光るものを見つめて、猟師は目を丸くした。
「報告したこと以外にも、ジャン・バトンを見つけ、礼拝堂に葬ってくれた礼も入っている」
猟師は恐縮しながら金を受けとり、頭を下げる。
その姿には目もくれず、ジュストは馬を繋いである場所へ向かいながら、考えていた。
今後どのようにして事件の真相を解明すればよいのだろう。
望みは薄いが、同時期に失踪した門番レオポルト・コシェがなにかを知っていることを願うしかない。あるいは、すでに彼も――。
不吉な予感を思考の隅に追いやりながら、ジュストは馬に跨った。




