その課題はいったい誰に与えたかったのかしら……?
「公女殿下にご挨拶申し上げます」
私は半歩ほど前に出て、カーテシーで公女殿下にご挨拶いたします。
カーテシーはなかなか辛い筋トレのようなものです。私は幼い頃からお祖母さまに鍛えられてはいましたから、それなりに耐えられますけれど……。
上位者との関係が悪い場合、この姿勢をずっと続けさせられるパターンもあるのです。ちょっとした嫌がらせというか、虐めというか……。普通はすぐに「楽にせよ」と言ってもらえるのですけれど。
レクルティアラ・リーゼンバーグス・オルディン公女殿下は……ウチのドクズな旦那様の不貞による婚約破棄で、ウェリントン侯爵家からミンスクの港を奪った敵、ということになります。
そもそもあのドクズな旦那様の不貞の被害者でもありますし。
これはかなり長い時間、カーテシーのままという可能性も……。
「いいのよ、楽にして頂戴」
……あら? 短いですわ? どうしたのかしら?
それでも油断してはいけないと思い、私はゆっくりと姿勢を戻します。できる限り、優雅に、です。
「初めまして。レクルティアラ・リーゼンバーグス・オルディンよ」
「はい、公女殿下にお声掛け頂き、誠に光栄にございます。エカテリーナ・フォレスター・ウェリントンにございます」
可能な限り言葉は減らしていくことにしましょう。普通なら、色々な意味で私に話しかけてくるはずがない立場のお方なのです。
現状、ウェリントン侯爵家の最大の敵と言っても過言ではないお方なのですわ……少なくともお義母さまにとっては間違いなくそうですし。
私のまわりには侍女たちとお友達のみなさんがいて、公女殿下のまわりにも同じようにご令嬢もしくはご夫人がいらっしゃいます。
壁の花として見ていれば面白い集団戦の始まりなのかもしれません。残念ながら私は今、片方の当事者ですのでそうも言っていられないのですわ……。
これだから高位貴族は面倒なのですけれど、この立場の恩恵も得ている身としてはあきらめざるを得ない部分もございます。
大夜会というこの場では逃げることもできません。
「ねえ、あなたとはグオン国のチューヤとショック国のクンミンのように、ツァオツー帝と向き合いたいの」
「さあ、クンミンはなかなか家を出ないとお聞きしておりますので、私にはなんとも申し上げられません」
「ふうん……カラパイを訪ねるのはかまわないと?」
「さて、クンミンがなぜロウビン帝に従ったのかは存じませんので」
公女殿下は……遠い遠い、東の国の故事で話しかけてきます。
ご自身がそういう例えを用いておきながら、私の返答に驚いてもいらっしゃるようですわ。
……それにしても、さすがは公女殿下ですわ。教養がとても深いです。図書館仲間のアリステラさま以外は今、この話を理解できていない気がします。
貴族の会話はとても面倒です。
それも、友好的ではないからか、かなり難しい話でこちらに仕掛けてきています。
グオン国の将軍だったチューヤと後にショック国の宰相となるクンミンは手を結び、ツァオツー帝の軍と戦ったと言われています。
また、クンミンは在野の賢人で、ショック国のロウビン帝に3度、カラパイの自宅を訪問されて、そこでようやく仕えたと言われています。
東の国の故事としては有名な話ではありますわ。でも、この国でこのような話を知っている者はそんなにいないでしょうけれど……。
公女殿下は私と手を組んで、誰かと……もしくは何かと向き合いたいようです。
戦いたいのかどうかはうまく濁していますわ。あくまでも向き合いたいとしかおっしゃっておりませんし。
チューヤとクンミンの関係も微妙ですわ。
互いに認め合ってはいたでしょうけれど、あくまでも一時的な同盟関係だったとも受け取れます。本質的には敵でもあります。
公女殿下のおっしゃるツァオツー帝がいったい誰を指すのか、という解釈も難しいところです。王妃陛下の可能性も、お義母さまの可能性もございます。また、別の方という可能性も……。
……どちらとも受け取れる表現が言質を取らせないための基本とはいえ、遠国の歴史までは普通の令嬢が身に付けるような知識ではありません。これは明らかに嫌がらせですわね。
それに、私としてはウェリントン侯爵家の敵となっている公女殿下と手を結ぶ訳にはいきません。
「……困ったわね。ツァオディエとは仲良くするようにと言われているのよ」
……ああ、犯人はやはり王妃陛下でしたわ。
ツァオディエはツァオツー帝の弟とされています。これまでの話は全て男性ですけれど、私も公女殿下も女ですから弟は妹を意味するのでしょう。
私を妹と考えているのは王妃陛下以外には……まあ、いないと思います。
子爵令息でしかない従兄のおにいさま方が公女殿下に対して私と仲良くしろなど、言えるはずがありませんわ。
「……海の宝石が欠けましたもので。申し訳ございません」
「ああ、そのこともあったわね……本当に難しいこと……」
おそらく公女殿下は……王妃陛下から私との関係改善というか、まあ、要するに私とは仲良くするようにと公女殿下へ申し付けたのでしょう。
私を心配してなのか、私を試すためなのかは判断が難しいところですわ……王妃陛下がいったい何を考えているのかが読めませんし……。
でも、王妃陛下は私には何もおっしゃいませんでしたから……つまり、私から公女殿下に歩み寄る必要はないということ、という理解でいいはずです。
ウェリントン侯爵家は賠償として海の宝石――ミンスクの港を差し出しましたし、そのことをある意味では恨んでいます。嫁いだばかりの私からすれば旦那様の自業自得だとも思うのですけれど……。
それでも公女殿下と簡単に打ち解けるというのはお義母さまが絶対に許さないことですわ。
「……何か、よい方法はないかしら?」
「申し訳ありません。私は女神エイトラプスと出会ってしまったようですわ」
公女殿下がちらりと目を細めて私をにらんだ。女神エイトラプスは運命を断ち切ると言われているからですわね。要するにお付き合いは断りたいと申し上げましたの。
王妃陛下から妹のように大切な私と仲良くしなさいと言われて公女殿下は困ってらっしゃる。
私はお義母さまからお叱りを受けることが分かっていて仲良くする訳にはいかないので困っている訳ですけれど。
……全てはあの浮気ゴミクズな旦那様のせいですわね?
まあ、王妃陛下から課題を出されたのは公女殿下であって私ではありませんわ。私が考えることではないということです。
基本的には社交界への顔出しを最低限で済ませるつもりの私には、この場さえ乗り切れば問題ないはずです。一番簡単なのは時間を稼ぐことですわね。
とりあえず、カーテシーの時間の短さから考えると、公女殿下は私に対して特に隔意を抱いている訳ではないようです。初対面で嫌われている状況よりは少しくらいはマシなのでは?
王妃陛下に仲良くしろと言われたら、それをどうにかしようと思う程度には私のことを尊重しているとも言えます。
ただ、遠国の故事で話しかけてくるくらいには、私を試そうという気持ちもお持ちのようですから、判断が難しいところですわ。
……まあ、お互い、旦那様の被害者的な立ち位置ではありますわね。
私と公女殿下は似ているとも思えるのです。
私は旦那様との契約婚でウェリントン侯爵家の経済力を利用したいと考えたのですけれど……。
……公女殿下が浮気ドクズ男な旦那様を利用してウェリントン侯爵家の経済力を削ろうと考えていたのか、王家もしくはリーゼンバーグス公爵家からそのように命じられていたのか、ですわ。
この教養の深さから推測すると、公女殿下ご自身で旦那様を利用したように思えるのです。
それだけの知識を学んできた努力をあのヤリチンドクズのために使う気になれなかったとしても……それは仕方がないような気がしますわね? あの旦那様ですから。はっきり申し上げるのなら同情したいくらいですわ。
浮気性の婚約者の不貞を利用して、ウェリントンの港のひとつをうまく手に入れたと思えばなかなかの策士ですわね。
「あら、フォラスの花が咲きそうね。そろそろ失礼するわ」
「では、どうか公女殿下にとってよい夜となりますように」
公女殿下から時間切れだと言われましたけれど……ああ、お義母さまがここに戻られたということね。
ウェリントン侯爵家から賠償を得たのだから、お義母さまとの関係は難しいですわよね。お互い、関わる必要がなければ大夜会の会場は広いですし。
去っていく公女殿下とそのご友人方、それと入れ替わるようにお義母さまがご夫人方と一緒に近づいてきました。
「……エカテリーナ? 何かありましたか?」
「いいえ、何も。少し浜風に吹かれた程度ですわ」
「浜風……ねぇ……」
お義母さまもご覧になっておりましたでしょうけれど、ミンスクの港を奪ったお方という意味も込めて浜風と例えさせて頂きました。
私はにこりと笑ってお義母さまにそのように答えました。
お義母さまも微笑みを返して下さいますけれど、目は笑ってませんわ。
王妃陛下も面倒なことを公女殿下の課題になさったものです……。
私への被害が甚大ですわ!
こうして大夜会は私に悩みの種を残して終わったのでした。




