39.魔法少女ハンティング
ドアを開けた紐野繋は、その妙な暗い空間を素早く観察し、視界の隅に魔法少女キリの姿があるのを発見した。触手に捕らえられている。
“予想通り…… かな? いや、あっさり捕まり過ぎか。暗い所為で、あの黒い触手が見えなかったのか”
と彼は冷静に分析する。
「キリ…… そんな男を信頼して簡単に会いに行くからそういう目に遭うんだよ。少しは警戒心を持ってくれ」
彼の注意を無視してキリは叫ぶ。
「逃げて繋君! こいつ、強い! あなたじゃ敵わない!」
その言葉に根津は感心を示した。
『おお。素晴らしい。こんな状況でも助けを求めるのじゃなくて、飽くまで彼の心配をするのですか。
……それとも、私との濃密なひと時を邪魔されたくなかったのかな? デートの誘いにも直ぐに応じてくれたしね』
「騙されないで! 嘘だから!」
根津の言葉を必死に否定するキリに向け、紐野は穏やかに返す。
「ああ。分かっているよ、キリ。どうせそいつは僕の就職を世話するとか、そんな話で誘い出したのだろう?
……ただ、一応言っておくけどな、僕は面倒くさい性格をしているから、そーいう事をされると意固地になる」
「分かっているわよ! だから、まずはわたしが話を聞こうとしたんじゃない!」
その彼の反応に、根津は意外そうな声を上げた。
『ほほー。君はもっと猜疑心が強いかと思っていましたよ。予想以上に彼女との信頼関係が深くなっていたのかな?』
「ま、キリは僕の進路を心配していたみたいだからな。予想はできた。でも、それ以上に、お前らなら、そーいう事をしたがるだろうと思っていたんだよ。悪趣味だから。女が男の為にした行動を勘違いされたまま無残に犯される…… どうせ、そーいうシチュエーションを実現したかったのだろう? 残念だったな。僕が引っかからなくて」
紐野の言葉に根津はつまらなそうな顔を見せる。
『確かにそそられる展開ですが、オマケ程度のものですよ。悔しがり、絶望をしている君の目の前で彼女を犯せるのなら、それで充分に目的は果たしています』
「なっ!」とそれにキリが反応をした。
「本当に変態!」
睨みつける。しかし、根津はその視線をむしろ嬉しそうに受け止めていた。紐野は軽く溜息を漏らす。
「そりゃ、僕が悔しがって絶望した場合の話だろう?」
ポケットの中に手を入れると、ゆっくりと近づいていく。
もちろん、それはハッタリだった。仮に彼の目の前でキリが辱められたなら、彼は間違いなく激しい怒りの感情を抱く。それが分かっているのか、根津は軽く馬鹿にしたような顔で彼を一瞥すると、キリのスカートの中に入れていたゴムの触手で彼女の太ももを撫でた。その不快感に耐える為か、キリは目を瞑る。それを見て彼は思う。
“お! キリが目を閉じた。チャンスだ!”
ポケットの中に予め入れておいた閃光弾を握ると、それを放り投げた。この日の為に作成しておいた自家製だ。閃光弾は根津の目の前で爆発すると、激しい光を放ってその目を潰した。その間で彼はもう一つのポケットから別の爆弾を取り出し、キリを縛っている触手に向かって投げた。爆撃が触手を焼き切り、キリは解放された。直ぐに根津の視力は回復したが、その瞬間にキリと紐野は距離を取った。
残念ながら、紐野が開けて入って来たドアは閉じられていたので逃げられなかったが、少なくともピンチからは抜け出せた。
「廃ビルで僕を襲った黒いゴムの触手はやっぱりお前の物だったんだな。あの時に見せてくれたお陰で準備ができたよ。僕を舐め過ぎだ、根津」
それから彼はリュックの中からライトを取り出した。スイッチを入れる。全方向に光を放つタイプでかなり明るい。
「暗い場所で、その黒い触手はかなり見え難いけど、光があれば別だ。これで簡単にはくらわないぞ」
目が完全に回復すると、根津は逆上した。
『おのれ、紐野繋ぅ!』
触手を放つ。だが、ライトに照らされているお陰で迫って来る触手はよく見えた。
「風の渦の障壁!」
キリが風の魔法でゴムの触手を弾く。攻撃に転じた事で根津の守りは薄くなっていた。その隙を見逃さず、紐野は爆弾を投げる。クリーンヒットだった。根津は弾け飛び、異空間の黒い地面の上を転がった。
「キリ! 今のうちに畳みかけるぞ!」
「うん」
二人は止めを刺そうと転がった根津に向けて駆け出した。だが、その時、ライトの灯りの死角になっている場所から触手が伸びて来て、紐野の足首を掴む。足を取られた彼は転ばされ、そのまま引きずられた。
『調子に乗るなぁぁぁ!』
根津は彼を近くに引っ張っていた。恐らくは人質に取るつもりだろう。だが、紐野は素早くポケットに手を突っ込むと、中から小型の爆弾を取り出して彼の顔に向けて投げた。大きな爆発ではないが、目くらましにはなる。その隙にキリが飛んで杖を大きく振りかぶった。
「風の斧!」
杖を叩きつけるようにして風の攻撃をヒットさせると触手は切断された。自由になった紐野をキリは抱きかかえて飛ぶ。根津は逃がすものかと触手を放ったが、カウンターで紐野は爆弾を投げていた。再び根津にヒットし、彼は吹き飛んだ。黒い地面に転がる。
――動かない。
つい“やったか?”とそれで紐野は思ってしまったが、この程度で倒せるはずがないと直ぐに思い直す。いや、そもそも倒しても無駄なのだが。
数十秒ほどの静寂の間が流れる。紐野には自分の吐息が随分とうるさく聞こえていた。
やがて、
『アッハッハッハ!』
笑い声が響いた。
根津がゆっくりと起き上がる。
『なるほど。流石の名サポート振りですね、紐野君。数々の妖獣をコンビプレイで倒して来た実績は伊達じゃない。この戦闘はあなた達の勝ちで良いですよ』
その表情は、多少は悔しそうにしているように見えた。
『ですが、私は何もあなた達とアクションゲームを楽しもうとしているのではありません。
……そろそろ良いでしょう? 出て来てください、運営スタッフ』
その言葉にキリは首を傾げる。
「運営スタッフ?」
意味が分からないのだ。
だが、紐野は理解できているようだった。“いよいよ姿を見せるか”。身構える。ここからが本番だ。
そして、次の瞬間、突然、彼は後ろに勢いよく引っ張られたのだった。尻餅をつく。キリと離されてしまった。彼女の傍に戻ろうとしたが、見えない壁があって近づけない。しかも、そこでライトの灯りが消えた。
暗闇の中、「風の渦の障壁」とキリが魔法を使う声が聞こえた。続いて「きゃっ!」というキリの悲鳴が聞こえ、部屋が明るくなると、そこには触手で両手両足を床に縛り付けられて仰向けに寝かされた彼女の姿があった。そして、
『やあ、久しぶりだねぇ、違法少年』
紐野の近くにはK太郎が姿を見せていたのだった。
猫か兎か狐か分からないような風貌の白い獣。とても可愛い姿をしているが、それがこの空間では不気味で不吉に思える。ニヤリとK太郎は笑った。
二見愛……、魔法少女キリは、涙ぐんだ瞳でK太郎を見ていた。暗闇の中、悪あがきで防御魔法を使ったがほとんど意味はなかったようだ。タイミングを外されたのか、魔法は空振り、床に倒されてしまった。しかも、縛られて身動きが取れない。
「あんたら、グルだったの?」
彼女はショックを受けていた。
K太郎は何も応えない。ただ、彼が彼女を嵌めた事は明らかだった。彼が彼女と契約をしたのは、この為だったのだ。怪しい存在だとは思っていたが、まさか騙されているとは思っていなかった。
根津が彼女にゆっくりと近づいて来る。
『少々、余計なアクシデントがありましたが、これでようやく本来のイベントに進めます』
何本もの禍々しい黒い触手を身体から生やし、それを彼女に向けて近付けていく。紐野を見ると必死に何かを叩いていた。見えない何かに阻まれて近付いて来れないのだ。
『この触手を見てください、魔法少女キリ。廃ビルの時よりも硬くしてあるのですよ。液体に近いと触れている感触があまりなくてつまらないですからね。液体は液体でまた別の趣きがありますが、やはり女性を楽しませるのには硬くなくては』
黒い触手はそれから彼女の頬を撫で、胸を軽く愛撫し、同時に太ももにも触れた。
「ヒッ!」
不気味な感触に竦み、彼女は小さく悲鳴を漏らした。
「キリ!」
と、紐野が彼女を呼ぶ声が聞こえる。心配している声だ。それを聞くと彼女は一度目を強く瞑った。
“駄目だ。彼を心配させちゃいけない”
そう自身に言い聞かせ、芯の強さを取り戻すと彼女は瞳を開いた。
「繋君。大丈夫。心配しないで。わたし、こんなの全然平気だから。こんなのただ身体をあちこち触られるだけじゃない。それくらいなんともない!」
その言葉に、根津は感動を覚えたようだった。
『ああ、素晴らしい。まだ自分よりも彼を気にかけているだなんて。本当に君は美しいね。魔法少女の鑑だ。魔法少女はこうあるべきなんだよ』
しかし、それからニタァと嫌らしい笑みを浮かべるとこう続けた。
『そんな君が、これから私の触手でよがり狂うかと思うとゾクゾクしますよ。高潔で優しい精神を持つ君が、あまりの快感に抗えず、私の目の前で堕ちていくのです』
目をきつくするとそれにキリは返す。
「絶対に、わたしはそんな事にはならない! いいえ、なったところでどうせ薬とかの所為でしょう? そんなの本当のわたしじゃないから全然平気!」
嬉しそうに根津は笑う。
『そうかい? なら、試してみようか?』
そして紐野を見ると続けた。
『紐野君がそれを見てどんな反応を見せるのか、とても楽しみだよ』
が、そう根津が言い終えたタイミングだった。
「あははははは!」
突然、紐野が笑い声を上げ始めたのだ。意表を突かれ、全員が彼に視線を向けた。怪訝な顔で根津が尋ねる。
『どうしました? 気でも触れましたか?』
「いや、悪い悪い」とそれに彼は返す。
「あまりにベタベタな台詞だったもんだから、思わず笑っちまったよ。陳腐だな」
『何?』
軽く怒りの表情を見せた根津に対し、不敵な笑みを浮かべながら紐野はこう言った。
「――何もかも僕の予想通りだ、この馬鹿野郎どもが」
そう言った後で、何故か紐野繋は根津ではなく、K太郎に視線を向けた。
『へー。面白いことを言うじゃないか。でも、そもそも何を予想していたかが分からないな』
K太郎はその視線に気が付いたらしく、彼の挑発にそう返す。
「お前らにとっての僕の役割は、嫉妬に狂うモテない男なのだろう? ようやく彼女ができた僕が、残酷にも目の前で彼女を抱かれて絶望するってシチュエーションを狙っていたんだ。バレバレだよ。一応、茶番に付き合ってやったけどよ」
そう説明した後で、彼は再び根津を見やった。呆れた表情で言う。
「しかし、こんなくだらない事をする為に、お前はいくら払ったんだ? もう少しマシな金の使い方をしろよ」
そして、一度切ってから、再びK太郎に視線を向けて続ける。
「お前らもだ。運営スタッフ。こんなくだらない商売を考え出しやがって」
K太郎も根津も何も応えない。キリが尋ねた。
「繋君。どういう事? 運営スタッフって? 商売? わたしには何の事かさっぱり分からないのだけど」
軽く溜息をついてから、彼は返す。
「つまり、君ら魔法少女は商品だったって事だよ」
「だからそれが分からないの」
やや躊躇したようだったが、それから紐野は彼女に説明を始めた。
「初めてキリと会った時から、変だとは思っていたんだよ。あのナメクジ妖獣、お前を丸呑みにしようとしていただろう? 次に出会った時に退治した、イソギンチャクの妖獣も変だった。触手系のモンスターだったからな」
キリは首を傾げる。
「それの何が変なの?」
「キリは分からなくて当然か。丸吞みに触手。どちらもエロ系に定番のモンスターなんだよ。女性を襲って辱める……。今の根津も触手を生やしているけどな」
「なっ!」
それを聞いてキリは顔を赤くする。彼は説明を続けた。
「他の妖獣はそれほどエロ要素は強調されていない。しかし、恐らく結界内に現れているだろう魔法少女を一対一で襲う妖獣は、どうやらエロ要素が強いみたいなんだよ。これは世界中の事例でもほぼ共通している。しかも、結界内でキリが闘った妖獣はお前を捕まえようとしているように見えた。そして、もう少し経ってから現れたファイヤビーを襲ったハエの妖獣もそれは同じ。恐らくは彼女を捕まえようとしていた。因みに、女の子が虫に襲われるってパターンのエロものもある。しかも、それら妖獣には知性があるように思えた。
なら、当然、こう推測するべきだ。これは“魔法少女ハンティング”なんじゃないのか? ってな。もちろん、エロ目的の」
それからK太郎を見やると彼は続けた。
「そもそもこいつらが魔法少女と契約する理由が不明だった。魔法少女のほとんどは可愛い女の子ばかりだしな。魔法少年が少ない理由もそれで説明が付く。こいつらが実は魔法少女ハンティングの運営スタッフだって言うのなら納得ができる」
あまりの話にキリは震えていた。
「つまり……、わたし達は知らない間に商品にされていたっていうの? まさか、妖獣もK太郎達が用意していた?」
「そうだよ。運営スタッフは魔法少女と契約して、妖獣退治というショーを開く。そして、そのショーで人気になった魔法少女を客にハンティングさせて金を稼ぐっていうビジネスをしていたんだ。
もしもハンティングに成功したら、作りものじゃない本当の魔法少女を、ユーザーは性的に凌辱できるって訳だ。恐らくはかなりの高額で取引されているはずだ」
ようやくそこでK太郎が口を開いた。
「――見事だね、違法少年・紐野繋。よく気が付いた。
あれら妖獣は特注のアバターでね、魔法少女を襲い捕らえる用のものだ。結界はオプションで付けられる。ハンティング中に部外者に邪魔されたくはないだろう? 音を遮断するもの、広範囲の光学迷彩などなど、物理的に遮断するものもあるにあるが値が張るのであまり付ける人はいないな。だからこそ、君にキリのハンティングを邪魔されてしまった訳だが」
「しかも二度もね」
K太郎はくすりと笑う。
「流石に客からクレームが入ったよ。ルール通りとはいえ“あんなのありかよ?”ってね。でも、まさか、爆弾を使う一般人が邪魔をして来るとは思ないだろう? 特別ルールにするか、それともこのまま進めるかで悩んでいたところで根津さんからこんな申し入れがあったんだ。
“――私が彼女を買おう。爆弾魔の違法少年とセットで”と」
それを聞いてキリは根津を凝視した。紐野が再び口を開く。
「もちろん、キリや僕を助ける目的じゃない。この男はNTR…… 寝取られ、じゃなくてこの場合は寝取りだが、寝取りをしたかったんだ。ハンティングなしで魔法少女を買うのは更に高額のはずだが、こいつはその金を出したのだろう? 呆れるくらいの変態だよな。キリをどう売ろうか悩んでいたK太郎達は渡りに船とばかりにその申し出を喜んで受け入れたのだろう。
ただ、あの頃はまだ僕とキリとの関係はそこまで深くなかった。寝取ろうにも、そもそも恋人同士じゃない。だからK太郎達運営は一計を案じたんだ。僕を違法少年として契約して妖獣退治に参加させる。それでキリとの関係を深めさせようとしたんだ。それくらいしか、K太郎が僕と契約を結ぶ理由が見つからないからな」
紐野が説明を終えると、根津は『フフフ』と笑った。
『正解だ。君らを観察しているのは楽しかったよ。恥ずかしくなるような不器用な青春恋愛。我慢できずに途中からつい参加してしまった』
そこまでを聞いてキリが再び口を開いた。
「――ちょっと待って」
「なんだよ?」とそれに紐野。
「さっきからわたし達を“客”に売るって言っているけど、そもそもその“客”って何者なのよ?」
それは、すなわち、今、目の前にいるこの触手を生やした男が何者かという問いかけでもあった。
彼は溜息を漏らす。
「キリ、それは今更だろう? K太郎達はそもそもこの世の物理法則を無視しまくっているんだ。魔法の力を与えたり、認識阻害をしたり。そんな事ができるのが、この世界の住人であるはずがない」
「じゃ、何者だっていうのよ?」
それに淡と彼は返した。まるで何でもない事のように。
「――この世界の、上位の人間だよ」




