34.大痴話喧嘩とVSスライムの妖獣と人魚の妖獣 その1
紐野繋達が住む街には川が流れている。しかも、それなりに大きな。その川の片隅に魚影が見える。かなり大きい。そしてその周りの水は何故か緑色をしていた。その緑の中を、その大きな魚は泳ぎ回っているようだった。やがて異変が起こる。その緑が、ゆっくりとせり上がり、川の上に伸びようとしていたのだ…… が、そこで女子高生の声が聞こえると、その緑の動きは止まり、再び川の中へ引き込んでいった。
「――なんか、今日、二見、機嫌悪くない?」
朝の道を複数人の女子高生が登校している姿が見える。ブレザー制服。やや速足で進む女生徒が一人。大きな編目で髪を後ろに結んでいる眼鏡の女の子。彼女が速いので、二人の女生徒が追いかけるような形になっている。その眼鏡の女の子の名は二見愛。もちろん、魔法少女キリの正体の女子高生だ。
「悪くないわよ!」
と、彼女は返す。
他の二人は顔を見合わせる。
「先週は機嫌が良かったじゃない。てっきり彼氏とデートなのかと思っていた」
長髪の女生徒が尋ねると、「彼氏じゃないわよ、あんな奴!」と二見は返す。
背の低い女生徒が感想を漏らすように言う。
「デートをしていたのは認めるのね」
長髪の女生徒が続ける。
「つまり、その彼氏じゃない奴とデートで喧嘩をして機嫌が悪い訳だ」
「悪くないって言っているでしょう?」
「おー。そうかそうか」
と長髪の女生徒は頷く。
その後で背の低い女生徒が言う。
「多分、それって目撃証言のあった読書喫茶で一緒にいた男の子ね。一部の男子がショックを受けていたニュース。別れたのなら、別れたってアナウンスしておいてあげた方が良いかな~?」
それを聞くなり、二見は振り返ると、目を剥いて抗議をする。
「誰が別れたって言った?!」
「彼氏じゃないのでしょ?」と長髪の女生徒。
「そうよ」
二見は口を尖らせていた。少し考えから続ける。
「彼氏じゃないから、別れるもへったくれもないってこと」
その彼女の態度に女生徒二人は同時に軽く溜息を漏らす。
「ま、喧嘩して会わないでいるうちに、自然消滅っていうのもあるあるパターンだから、そのうち本当に彼氏じゃなくなるかもね」
と、背の低い女生徒が言う。するとそれに二見はギョッとした反応を見せて、明らかに軽く狼狽をした。長髪の女生徒はにやーっと笑う。
「他の学校の子でしょう? 会う機会もないだろうから、そうなるかもねぇ」
二見はそれに慌てた。
「別に会う機会がない訳じゃないわよ!」
妖獣が出現すれば、きっと紐野もやって来る。
「つまり、仲直りしたい訳だ?」と長髪の女生徒が言うと、二見は顔を赤くしながら、
「彼氏じゃないけど……、仲直りできるのならしたい」
と、渋々といった感じで認めた。
それを聞くと、長髪の女生徒は彼女の首に腕を回しながら言う。
「よーっし、かわいい反応だ。お姉さん達に何があったのか詳しく話してみなさい」
「あんた、同い年でしょが」と二見はそれにツッコミを入れた。
「――何かあったの?」
体育の授業。紐野繋は呆然としていた。今は別のチームがドッチボールの試合をしている最中で特にやる事がなかったのだが、それにしても彼の瞳は明らかに死んでいた。生気がない。そんな彼の様子を見て、村上アキが話しかけたのだ。体育は別クラスと合同で行われるのがこの学校では普通なのだが、その日は偶々それが村上アキのクラスだった。
「何かあったように見えるか?」と紐野が返すと、「それはもう見事なまでに」と村上はあっさりと応えた。
少し考えると紐野は尋ねる。
「今更、見栄を張っても仕方ないから言うけど、僕は女友達が少ない」
男友達も少ないのだが。
「だからよく分からないんだ。女友達と喧嘩したらどうすれば良いんだ?」
村上は数度頷いた。
「なるほど。要するに魔法少女キリと喧嘩をしてしまった、と」
「誰がキリだと言った?」
「どんな事があったの? サポート役が魔法少女と喧嘩をしたらまずいでしょう? もし妖獣が出たりしたらさ」
「なんでキリと喧嘩をした前提で話を進めているんだよ、お前は?」
「で、どんな事があったの?」
自分のツッコミに構わずに質問をして来る村上に、渋々ながら紐野は事情を説明し始めた。
「僕が悪いかどうかは、正直分からないのだけどさ……」
二見愛はふてくされていた。
「……なるほどねぇ。彼氏がデートの最中に暴漢に襲われている他の女の子を助けにいって、更にそれであんたの知り合いの他の男の人を巻き添えにしちゃった、と。なんかやんちゃな人なのね。聞いていた印象と随分違うわ」
長髪の女生徒がそう感想を言う。
高校の教室、二見は友人達に事情を説明し終えたところだった。魔法少女である点と、ピエロ怪人と闘っていた件についてはもちろん伏せたのだが。
「いや、ま、陰気で大人しいタイプなんだけどね。普段は」
「いきなり豹変するんだ? ちょっと怖くない?」
「いや、そーいうのともちょっと違うのよ。説明は難しいのだけど」
事情を説明し切れない所為で、ちょっと誤解を与えてしまったようだ。
「素直に巻き添えにしちゃった人に謝れば良いのに。謝らないのだもの」
それを聞くと、長髪の女生徒と背の低い女生徒は顔を見合わせた。
「もう一度、確認だけど、その巻き添えにしちゃった男の人ってのも、あんたの知り合いなのよね?」
「そうだけど?」
「で、なんでかデートの最中に電話がかかって来て偶然会っちゃった、と?」
「だから、そうだって。説明したでしょう?」
言い難そうにしながら背の低い女生徒が口を開く。
「それ、彼氏の立場からしたら、謝りたくなくて当然じゃない?」
「なんでよ?」
「なんでって、そりゃ、彼女がデートの最中に他の男からの電話に出て、しかもその男が会いに来ちゃったらムカつくでしょう」
背の低い女生徒が言い終えると、長髪の女生徒が続ける。
「喧嘩している最中に飛び込んでいったっていうその人にも問題はあるしね。巻き添えくらうって分かりそうなもんじゃない」
その二人の指摘に、二見は何も反論ができなかった。追い打ちをかけるように、長髪の女生徒は言う。
「そもそも、あんた、本当に彼氏がその人を巻き添えにしちゃった事を怒っていたの?」
「なによ、それ?」
「私にはその彼氏が他の女の子を助けに行った事を怒っているように思えたのだけど?」
「なっ!」
その指摘に二見は目を大きくする。
「違うわよ! それについては仕方ないと思っているもの。ま、弱いくせに危ない事をするなとは思ったけどさ」
「本当~?」
「本当よ」
友人二人は疑わしそうな視線を彼女に向けていた。その視線に見られるうち、どうも彼女は自信がなくなって来たようだった。
「ま、どちらにしろ、それで彼氏ばかりを責めちゃ可哀そうよ。少なくとも、その点くらいはあんたの方から謝った方が良いのじゃない? 巻き添えになった男の人にも非はあったって。話を聞く限りじゃ、自分から謝って来るようなタイプでもないのでしょう?」
二見はその長髪の女生徒からのアドバイスに頬を膨らました。ただ、反論はしない。葛藤しているようだった。そして、
「ま、次の会う機会に、ちょっとくらいは謝ってみても良い…… かも」
と、かなりの間の後にそう応えた。一応、気持ちの整理がついたらしい。
もちろん、“会う機会”と言うのは、妖獣の出現を意味していたのであるが。
紐野繋は憮然としていた。
「――危険を承知の上で、他の女の子を助けに行ったら、そりゃ怒るのじゃない?」
体育の授業が終わった次の休み時間、村上アキが紐野繋の教室で、事情を説明し終えた彼にそう指摘をしたからだ。
「いや、あいつが怒っていたのは、そっちじゃなくって……」
「男の人を巻き添えにしちゃった事を怒っていたって言うの? んー、そっちはむしろオマケじゃない? 多分、君の身を心配したのと他の女の子を助けに行ったのに嫉妬したっていうのが本心だと思うけど」
「なら、そう言えば良いじゃないか」
それっぽい事も言っていたような気がするが。
「本人も自分の本心に気が付いていないっていう事はあると思うよ?」
そう言われて、紐野は自分自身も似たような経験がある事を思い出す。以前、キリを助けたいと思っていたのに、彼は自身の本心に気が付いてはいなかったのだ。
「……それは、でも……、僕が悪いのか?」
「良い悪いの話じゃないよ。彼女との間にある感情のもつれを解消する為には、“謝る”のが必要ってだけ。まぁ、“謝る”事で、彼女に仲直りしたいってのを示すのだね。一種の儀式みたいなもんだと思えば良い」
その手の感情的な人間関係のやり取りは紐野の苦手な分野だった。自分に面倒くさい面があるのも分かっている。そして、その自覚があるからこそ、彼はそのアドバイスをなんとか受け入れられた。つまりは彼も魔法少女キリと仲直りをしたかったのだ。
次の日の学校、
教室で二見愛はスマートフォンを眺めていた。魔法少女ファン・コミュニティにアクセスをしている。何か妖獣出現のニュースが入っていないかチェックしているようだ。もちろん、紐野とできる限り早く仲直りがしたいからだ。彼と自然と会える機会は妖獣退治の時くらいしかない。
ざっと眺めてみたが、信頼できそうな妖獣出現のニュースはなかった。ただ、川に緑の部分があって、それがまるで生き物のようにうねっているという謎の報告が上がっていた。妖獣だとは思えないが、一応、彼女は行ってみる事にした。もちろん、紐野が来るかもしれないからだ。
放課後、
紐野繋は電気屋で拡声器を購入していた。妖獣と遭遇した場合を考えて、離れた位置から魔法少女にアドバイスをするのには、拡声器があった方が良いと考えたのだ。更に双眼鏡が家にあったのでそれも持って来ていた。これで遠距離から状況を把握し易くなる。
今まで、魔法少女キリと一緒に闘う時は、彼女が彼を守ってくれていた。だから近くに妖獣がいてもそこまで心配はなかったのだ。つまりは彼は無自覚の内に彼女を頼っていたのである。だが、彼女以外の魔法少女が彼を守ってくれるとは限らない。いや、守ってくれはするだろうが、そこまで意識を割いてはくれないだろう。実際、ポイズネスと一緒に闘った時は、彼女はむしろ彼に危険な役割を与えたのだから(彼女は彼女でかなり特殊な性格をしているが)。
それで彼は、キリなしで妖獣退治に向かうに当たって、より慎重にいく為に、遠距離からサポートできるよう、拡声器と双眼鏡を持っていく事にしたのである。
……もっとも、その時、魔法少女ファン・コミュニティで彼が見つけた情報が妖獣の情報とは限らなかったのだが。
なんでも川の一部が緑色に変色しているらしいのだ。それがブヨブヨとした生き物に見えない事もないのだとか。ただ、その中を大きな魚が泳いでいるのを見たという者もいるから、妖獣である可能性は低いと彼は判断していた。恐らくは自然現象か、誰かが塗料の類を川に流してしまったのだろう。
“……ま、それでもキリが来ているかもしれないからな”
彼はそう思うと、川が緑に変色してしまっている処へと向かった。
私は魔法少女です。
ただし、一度も妖獣退治には出ていません。討伐数1体で、この前はピエロ怪人を偶然にやっつけてしまいましたが、不運な事故のようなものに過ぎません。
魔法少女になって、私は不幸な目にばかり遭っているような気がします。だから魔法少女の契約を結んでしまった事を後悔しています。
――ただ、先日、少しだけ良い事があったのです。
魔法少女達をサポートする爆弾男さん…… ネットで調べたら本名は紐野繋さんというらしいのですが、その彼に私はピエロ怪人と相対した時に助けられてしまったのです。彼は私を守る為に爆弾を使ってくれ、そして彼が護身用にと渡してくれた爆弾のお陰で、私はピエロ怪人のお腹の中から逃げ出す事ができたのです。
ネットで見た限りでは、彼はあまりよくは思われていないようで、陰気な性格だとか、人付き合いが苦手だとか書かれてありましたが、それで私は、彼は不器用なだけで本当は優しく勇敢な性格だと知ったのです。
……私だけが、本当の彼を知っている。
そう思うと、なんだか胸がポカポカして来ました。
私が彼を支えてあげたい。
いえ、本当の彼を知っているのが私だけとは限らないのですが。彼には魔法少女の彼女さんがいるみたいなので。
ただ、その彼女さんとは、そのピエロ怪人との闘いの際に大喧嘩をしてしまったみたいなので、やっぱり今現在は、彼を支えてあげられるのは私だけなのかもしれません。
『――おお、そうなのかい? そうなっちゃうのかい、君は?』
K吉君が現れた時に、その紐野さんについての話になり、どうしてなのか詰問されてしまったので、仕方なく気になっている旨を伝えると、K吉君はそのような戸惑った反応を見せました。
「なによ? 何か文句があるの?」
と言ってみると、
『いや、いいよ。いかにもダメンズ女子な感じで、君に似合っているような気もする』
などとK吉君は返して来ました。
何か引っかかりましたが、気にしないで協力するように求めてみると、意外にも『いいよ』とK吉君はオーケーをし、なんとか彼の居場所を教えてくれたのです。K吉君によると、なんでも今彼は川に向かっているらしいです。川が緑に変色した部分を調査する為に。
別に彼と会ったところで、何がどうなるものでもないかもしれません。ですがそれでも私は何かを期待して川に向かってしまったのでした。
川に着くと、K吉君が言った通りに彼はいました。コンクリートでレンガ模様に舗装された桟橋の端で、鉄柵に肘を乗せ、双眼鏡で川の様子を観察しています。
……私には気が付いていないよう。
私は少しそれを寂しく感じてしまいました。私に気が付いて欲しい。もう少し、この川岸の道が狭かったなら、それを言い訳にして彼に近付けるのにと悔しく思います。遠目で眺めながら、“あの時、ピエロ怪人から助けてもらった女子高生です”と声をかけようかと悩んだのですが、その勇気が出ませんでした。そしてその時に、ふと私は“誘い香”を使ってみる事を思い付いたのです。
あれは妖獣を誘う効果しかないとは聞いていましたが、もしかしたら、普通の人間にも少しくらいは効くかもしれないと思ったのです。気が付いてもらえるくらいには。
それで私は、そっと魔法少女に変身をすると、誘い香を使ったのでした。
残念ながら、彼はまったく私に気が付いてはくれませんでした。
ええ。“彼”は。
しかし、その代わりに、それから信じられない現象が起こってしまったのです。なんと、川の中から緑色をした粘性のある何かが大きくせり上がって来たのです。
私は思わず固まってしまいます。
その緑の何かが姿を見せるなり、紐野さんは後ろを振り向くと、青い顔で猛ダッシュで駆け始めました。もちろん、私に気付いて向かって来てくれている訳ではありません。その緑の何かから逃げているのです。
そして次の瞬間、緑の何かは、まるで小山が倒れて来るように、恐らくは私目がけて迫って来たのです。まるで津波のよう。
私は彼と一緒に、駆けてその場から逃げ出しました。




