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27.記憶が欠落した少女

 大きなカタツムリの姿をした妖獣だった。車くらいはある。横に倒れた状態で道路の真ん中で殻に閉じこもり、出てこない。この妖獣の所為でこの道路の交通は禁止されていた。かなりの迷惑だ。防御力だけはやたらと高い妖獣で堅い殻が多少の攻撃なら簡単に跳ね返してしまう。アイシクルが氷結させたが効いているかどうかは分からなかった。

 「ファイヤビーがいたら良かったのにねぇ」

 と、半分氷塊に覆われたカタツムリを見てライが言った。

 確かに熱による攻撃ならダメージを与えられそうだ、と紐野繋は思う。

 が、それからライはこう続けるのだった。

 「エスカルゴって美味しいらしいじゃん」

 「食えないからな」と、彼はそれにツッコミを入れた。

 ここ最近、妖獣退治に積極的に参加していた魔法少女ファイヤビーは今回は出て来ていなかった。ただ、先日のショウジョウバエの妖獣の件を知っている紐野とキリは“無理もない”と思っていた。彼女はより深く毒が回っていたからまだ身体は弱っているだろうし、精神的なショックも大きいはずだ。むしろしばらく休むべきだろう。

 ただ、そのお陰で今回の妖獣を退治するのは大変になってしまったのだが。

 

 ――毎度のことながら、そのカタツムリの妖獣はいつの間にか現れた。道路を走る車か何かが変化して、巨大なカタツムリになったと言われても信じてしまうかもしれない。カタツムリにしては異様に速く、車と並んでいたので、時速40キロ~60キロくらいは出ていそうだった。

 それだけなら大した害はない。

 だが、この妖獣は粘液を発し、しかも舌歯で削り取っているのか道路を酷く傷つけてしまう。粘液の所為で車がスリップ事故を起こすし、もちろん、道路の損壊も問題だ。

 だから、キリはこの妖獣を攻撃したのだが、

 直ぐに殻に閉じこもってしまい、それ以降は出て来ないのである。でかいし、危険もあるかもしれないから、交通は禁止になってしまった。

 

 石っぽい灰色と白と茶色が混ざった殻の模様。茶が混ざってる点以外はどことなく石灰石っぽい。

 紐野繋は殻に閉じこもったカタツムリが安全だと判断すると、アイシクルの氷が覆っていない部分に近付き、至近距離で殻の材質をじっくりと観察していた。爆弾を使って壊せそうかどうか判断したかったのだ。

 「うーん」と、少し触れて考え込む。

 重量感がある硬質な感じ。少なくとも彼の手製の爆弾で破壊できるようには思えなかった。一度くらいは試してみても良いが、“文字化けメールの主”達に迷惑をかけるのはできる限り避けたい。控えた方が良いだろう。

 「プラスチック爆弾を使えば破壊できるのじゃないの?」

 不意に頭の上から声が聞こえた。

 キリだ。

 殻の上に座り、殻を観察している彼を見ている。足をプラプラさせているのが可愛いと不覚にも彼は思ってしまったが、口には出さなかった。恥ずかしいから。

 確かに彼女の言うようにプラスチック爆弾なら爆破できるだろう。が、

 「もったいねぇよ。威力が高いから危ないし」

 と彼は返す。理由はそれだけではなかった。やはり文字化けメールの主への配慮だが、それについては彼女に話す訳にはいかない。

 「でも、こいつ、多分、まだ生きているわよ?」

 コンコンッ と半分氷に覆われたカタツムリの殻をキリは叩く。

 「だろうな」

 このまま魔法少女達が帰って氷が溶けたら再び動き出すに違いない。紐野とキリは同時に腕を組んだ。

 「ま、悩んでいても仕方ないわね。何度でも攻撃をし続けるしか手はなさそうだし。煩いだろうから近所迷惑になっちゃうけど……」

 そう言ってキリは杖を持った手を上げる。連続で風の魔法を叩き込むつもりだろう。

 「そっか。じゃ、離れてる」

 と言うと、紐野は後ろの退こうとし、そこで近くに見慣れない少女がいるのに気が付いた。肌が青白く目元に印象的なくまができている。ゴスロリ系ファッションに身を包んでいて、明らかに陰キャでちょっとアレな見た目。そういうのを気にしない人ならば可愛いと思うかもしれない。

 「フフフ。お困りのようですね」

 と、そのゴスロリ少女は言った。

 「あれ? 一般の人が入って来ちゃったの? ここ、交通禁止になっているはずだけど」

 キリは彼女を見てそう言った。

 「ノンノン」と返すと、陰キャな見た目に反してアグレッシブに彼女は名乗った。

 「わたしは、魔法少女ラブリン・ポイズネス! 以後、お見知り置きを!」

 指でⅤ字をつくり、それを目元にやってポーズを決めている。アイドルみたいな。それをキリや紐野やアイシクルやライは無言で見つめた。

 しばしの間、

 「あの……」

 と、彼女は口を開いた。

 「けっこー恥ずかしいので、何か反応をしていただけると助かるのですが。勇気を出したのに」

 「あ、ごめんなさい。ポージングをする魔法少女は随分と久しぶりだと思って」

 とキリがそれに返す。

 「凄い。あたし、ポージングを決める勇気はなかったなぁ」

 その後にそうライが続け、アイシクルは頷いていた。当のポイズネスは真っ赤になっている。ちょっと涙ぐんで。ちょっと可哀想。

 「とにかく、新人の子ね?」

 「はい。初陣です」

 「大歓迎よ。これからよろしく」

 そう言うとキリは彼女に近寄り握手をする。気まずい雰囲気をなんとか誤魔化そうとしているようだ。

 ただ、そこで紐野が言う。

 「いや、待て。そいつ、本当に魔法少女かどうか分からないぞ。ただのコスプレ女かもしれない」

 「紐野君!」とそれをキリが注意する。紐野は構わず続けた。

 「魔法少女だって言うなら、魔法を使って証明してみせろよ」

 が、ポイズネスは動じない。

 「フフン。言われなくてもそのつもりです」

 にやりと笑った。

 それから彼女はカタツムリの殻の上によじ登り始めた。

 うんしょ、うんしょ、と。

 紐野はツッコミを入れる。

 「いや、空飛べよ」

 「まだ、空飛ぶの怖いんです。そのうち練習して自由に飛べるようになってみせます」

 「ああ、最初の頃は怖いわよね」とキリがフォローを入れた。それからキリにも手伝ってもらって殻の上に「よいしょ」と登り切ると、彼女は声を上げる。

 「毒毒スペシャル! マジカル濃硫酸!」

 いつの間にか、彼女は手にビーカーのような物を持っており、その中には液体が入っていた。彼女の言葉が正しいのなら、濃硫酸なのだろう。

 「これで今からこの殻を溶かします」

 そして、彼女はそう宣言した。

 「いや、それ、学校の理科室から盗んで来たとかじゃないよな? それに量が足らなくないか?」

 その紐野のツッコミに彼女は「フフフ」と返す。

 「これはただの濃硫酸にあらず。魔法の濃硫酸なのです」

 勝ち誇った表情で彼女は飛び散るのを怖がってか屈んでマジカル濃硫酸を殻に垂らし始めた。すると、みるみるうちにカタツムリの殻は溶けていく。言った通りだ。やがてぽっかりと大きな穴が空く。中からはぬめっとしたカタツムリの身体が見えていた。気持ち悪いが柔らかそうだ。

 「どうです!」

 両手を腰に当てたポーズで彼女は誇らしげにしていた。そして穴を示しながら続ける。

 「さあ! これで後は煮るなり焼くなりしてしまってください。簡単に退治できると思います!」

 「止めは自分で刺さないのか?」と、それに紐野。

 「まだ最初なので! まずは先輩方に手本を見せてもらおうと思います!」

 表情を見る限りでは、カタツムリが思いの外気持ち悪かったのであまりやりたくないと思っているようだった。

 だが、そう彼女が宣言したタイミングだった。カタツムリの中から、粘液にまみれた触覚が出て来て、彼女の足を掴んで一気に引きずり込んでしまう。

 「あ~!」

 なんだか、ちょっと間抜けな悲鳴。

 「ちょ! ポイズネス!」とキリが声を上げて助けようとして杖を構えたが、彼女の魔法ではポイズネスまで巻き込んでしまう。そこで素早くライが反応した。

 「磁界獣S! 行きなさい」

 青を縁取ったような黒の姿になったライの使い魔が殻の中に飛び込んでいく。彼女が使役する獣は磁界獣になった状態では、SとN間で強い引力を生じさせる事ができるのだ。やがて無事に磁界獣Sがポイズネスを引き上げると、キリの風やアイシクルの氷で無事にカタツムリの妖獣は退治する事ができた。

 因みに、ポイズネスは嫌がったが、死体処理が大変なのでカタツムリの殻はもっと溶かしてもらった。

 とにもかくにも、魔法少女達の役目はこれで終わりである。引きずり込まれた所為で、ポイズネスの全身にはべっとりと粘液が付着していて半泣き状態だったが、初陣としてはまずまずの成果だろう。理想が大きかったのか、本人はがっくりと落ち込んで去っていったが。

 

 “なんで、あんな地味な妖獣を出して来たのかと思ったが、ポイズネスのお披露目の為だったんだな”

 

 トボトボと歩いて帰っていくポイズネスを見ながら紐野はそんな風に思っていた。

 殻に閉じこもるという妖獣は発想は面白いかもしれないが、どうしたって派手なアクションには繋がらない。魔法少女達の魅力をアピールするのには不向きだろう。だが、初心者には優しいし彼女の魔法とも相性が良い。初めての相手としては適している。

 そこで彼は気が付いた。

 “――でも、もしファイヤビーがやって来ていたら台無しだよな?”

 ファイヤビーの炎なら容易に倒せそうな相手だったのだ。彼女が出て来ていたら、ポイズネスの出番はない。精々、死体処理班を楽にする為に殻を溶かすくらいだろう。

 “……もしかして、K太郎達はファイヤビーが現れないのを知っていたのか?”

 それが単に休息の為だというのなら問題はない。だが、本当にそうなのだろうか?

 俄かに紐野の不安は大きくなっていった。

 ただ、ファイヤビーとの連絡手段はない。ショウジョウバエの妖獣の時に彼女から送られて来たヘルプメッセージに返信をしてみたが、何も反応がなかった。K太郎達が手を回しているのかもしれない。

 “さて、どうするか?”

 

 カタツムリ妖獣の死体処理のアルバイトを終え自宅に戻って、スマートフォンを確認した紐野は、村上アキから返信が来ているのに気が付いた。アルバイトの前に『ここ最近、部分的記憶喪失の少女が近所に出たって噂はないか?』と彼に質問をしていたのだ。もし仮にファイヤビーに、引退した魔法少女、キリカと同じ処置が施されていたのなら記憶が欠落している少女が何処かにいるはずだと考えて。幸いなことに、彼は知っていたようだった。

 『隣町に住んでいる日野幸江って女の子が、部分的に記憶喪失になったってちょっと前に噂になっていたよ』

 どうも紐野が参加していない生徒同士のネットワークでは多少話題になっていたらしい。日野幸江には男性の恋人がいるらしいのだが、その彼が話を広めてしまったようだ。若年者にはありがちな話だが、閉じられているとはいえネットに個人情報を流す事のリスクを理解していない。もっともそのお陰で今回は助かったのだが。

 更に村上にメッセージを送って、記憶が欠落した少女、日野幸江の通っている高校を教えてもらうと、紐野は次の日にその高校を訪ねてみる事にした。

 

 次の日、紐野は仮病を使って高校を早退して早くから日野幸江の高校に行き、校門近くで彼女が出て来るのを待った。もし彼女がファイヤビーであったのなら性格からいって部活はやっていないと彼は予想したのだ。放課後になったら、直ぐに出て来るだろう。

 スピーダーのように魔法少女の正体は変身時と大きく印象が変わっている場合もあるようだが、なんとなく、ファイヤビーならばあまり印象は変わらないのではないかと彼は思っていた。だから、認識阻害が働かない自分になら見抜けるだろうと。単なる勘に過ぎないのだが。

 放課後を告げるチャイムが鳴った。たくさんの下校をする生徒達が出て来る。彼は日野幸江を見逃してしまうリスクを恐れて誰かに尋ねてみようかと悩んだが、結局は誰にも話しかけられなかった。魔法少女達と協力し合うようになって、コミュニケーション下手で人との関わりを恐れる性質は多少は改善されているが、まだまだ治ってはいないのだ。

 やがて運良くファイヤビーによく似た女子生徒を発見する。彼女が恐らくは日野幸江だろう。

 「あの……」

 と、声をかける。仮に彼女がファイヤビーであったとしても、自分を忘れている可能性が高い。かなり緊張をした。案の定、彼に声をかけられて彼女は、

 「あ?」

 と表情を歪めて彼を見た。目で威嚇している。

 「あんた何?」

 「いや、君、日野幸江だろう?」

 「そうだけど、だから、何?」

 緊張を誤魔化す為か頭を軽く掻くと彼は続けた。

 「記憶を部分的に失くしているって聞いて、ちょっと気になる事があってさ。少し質問がしたいんだ」

 「はあ? なんであんたがそれを知っているのよ? って、ああ、そうか。噂を聞いたのね。まったく、あいつの所為でこんな変な奴まで来ちゃったじゃないの。後で文句を言ってやるんだから」

 とそう言い終えると、彼を無視して彼女は進み始めた。彼は慌てる。

 「いや、だから、質問があるんだけど?」

 「どうして、質問されなきゃならないのよ?」

 そう言いながら彼女は突然止まった。

 「――って、どっかで見た事あると思ったら、あんた、魔法少女達と一緒に闘っている爆弾男じゃん!」

 どうやら紐野は自分で思っているよりも随分と有名になっているらしい。

 「って事は、質問って妖獣とか魔法少女絡み? もしかして、あたしの記憶欠損って妖獣が関係しているの?」

 日野幸江は驚きを隠せないといった様子でそう言った。

 「そうだな。もしかしたら、関係があるかもってくらいだが」

 彼は慎重にそう返す。もちろん、K太郎の監視を警戒したのだ。

 「ふーん。なら、質問されてあげても良いわよ」

 と、それから彼女はそう言った。

 “いかにもファイヤビーらしい感じだな、こいつ”

 と、それを受けて彼は苦笑した。

 

 人気のない近くの公園まで移動すると、紐野繋は日野幸江への質問を開始した。ベンチに座っている彼女に向けて尋ねる。

 「まず、君が記憶が欠損した日だが、もしかしたら3日前じゃないか?」

 その日は、ちょうどショウジョウバエの妖獣と闘った日なのだ。彼女は首を左右に振る。

 「違うわ。2日前。3日前の昼辺りからの記憶もないけど」

 「なるほど」

 もちろん、3日前以前じゃなければ矛盾はない。それから彼はスマートフォンでカレンダーを出すと日付を示しつつ尋ねた。

 「じゃ、この日の出来事は覚えているか? 夕刻だ」

 その日は顔なしブロントサウルスを倒した祝賀パーティがあった日なのだ。ファイヤビーは出席していて、根津を追いかけ回していた。

 「覚えていないわね」

 「オッケ。じゃ、次はこの日」

 次に示したのは顔なしブロントサウルスと闘った日だった。

 「覚えていない」

 「うん。なら、次だ」

 紐野が確かめている日付はどれもファイヤビーが現れた日だった。彼の予想が正しければ、彼女はファイヤビーになっている間の記憶を失っている…… 或いは、コピーされていないはずなのだ。

 やがて質問が全て終わる。彼の予想通りに彼女はファイヤビーが現れた時間の記憶を全て失くしていた。

 「……で、結局、これが何なの?」

 日野幸江が怪訝そうな顔で質問をして来た。その質問を無視して彼は尋ねる。

 「最後にもう一つだけ質問だ。僕に覚えはないか? 僕が魔法少女達と一緒に妖獣と闘っている動画以外で」

 「ないわよ。だって初対面でしょう?」

 彼女は怪訝そうな顔のままでそう答えた。

 「オッケ。よく分かった」

 そう返すと、彼はこう結論付けた。

 “今、目の前にいるこの少女は、恐らく、ファイヤビー自身ではなく、そのコピーだ。だからこそ、ここまで完全に記憶を消せているんだ”

 一度刻印された記憶を完全に消すのはきっと難しい。しかし、コピーなら取捨選択していけば良いのだから、それよりは簡単になるはずだと彼は考えたのである。

 以前に現れた不可視の少女……、廃ビルで闘って消滅してしまったあの少女は、彼の予想では二見愛…… 魔法少女キリのコピーが劣化した存在だった。つまり、魔法少女のコピーを作れる能力を持つ連中がいるのだ。恐らくは、K太郎達が所属している組織なのだろうが。

 そして、その連中はファイヤビーを捕らえた後、彼女の魔法少女だった記憶以外をコピーして、今、目の前にいるこの日野幸江を生成したのだろう。

 彼は頭を抱えた。

 だとするのなら、今頃、本物のファイヤビーは……

 

 「ねぇ、どうしたの? あんた、大丈夫?」

 

 気が付くと、紐野は頭を抱えたまま目に涙を浮かべていた。日野幸江が心配そうに彼を見ていた。ファイヤビーから、こんな優しい声をかけられた事は一度もない。それが痛烈な皮肉に彼には感じられた。

 “守れなかったか……”

 落胆する。

 恐らく、あの後、ファイヤビーは妖獣に襲われたのだろう。そして捕まった。きっと連中にはこの世界の死は意味がないだろうから、あの時のハエ野郎かもしれない。別の違う奴かもしれないが。

 「大丈夫だ。時間を取らせて悪かったな。君にはどうやら関係がない話だった」

 彼がそう応えると、彼女は怪訝そうな顔のまま「そうなの? なら、良いけど」とそう言った。

 

 それから紐野は、今もきっと何処かで苦しめられているだろうファイヤビーを想い、歯を食いしばると、

 “必ず助けてやるからな”

 と、心の中で呟いた。

本編とはまったく関係のないオマケ

挿絵(By みてみん)

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