第96話 ヒッキーの仮想現実の世界にもデータが組み込まれていたくのいちの母親
ヒッキーとミルクのいるチャペルに入ったはずが、バーチャルなくのいちの実家に空間転位させられた二人。その仮想現実で強はくのいちの母親と再会する。守備範囲の広い強は、このアラフォー女性と親睦を深めてしまうのか?
そこは何故かくのいちの両親の家のリビングルームになっている。
バスローブ姿で優雅にソファに体を預けてワイングラスをくゆらせているアラフォーの美しい女性。座面より少し低いお洒落なローテーブルには背の高いグラスとワインボトルが置かれている。長い黒髪にすらりと伸びた手足。くのいちの母親その人である。大分お酒が入っている。
「お母さん! ……ってここあたしの実家?」
「あら強君、いらっしゃい。また会いに来てくれたの? 嬉しいわ。ちょうどお風呂あがりのワインタイムに浸っていたところ。あなたも一杯どうかしら?」
「また会いに来てくれた?」
と呟くくのいち。
「あ、お母さんなんですね。いつもお世話になってます。あいにく俺、未成年なんで」
くのいちの母親は右腕を強の頭の周りを囲む様に抱き抱える。
「じゃあ良い子のつよしくんにはノンアルコールのシャーリーテンプルがいいでしゅかね?」
強の頬がくのいちの母親の胸に押しつけられる格好になる。強は赤面する。くのいちは慌てる。
「お母さん! 強に迷惑でしょ!」
「おや一恵、居たのかい? たまに家に戻る時には手土産の一つも持ってくるもんだよ……あ、だから強君がここにいるんだ?」
「違うわよ! ほら、強、母さんから離れて!」
くのいちは強を強引に引き離す。
「そういえばこの前お前が持ってきた、季節労働者の黄色く酒焼けした肥満児のクマみたいなぬいぐるみ、カッコ悪いから粗大ゴミに出しておいたからね」
「えっ、嘘でしょ! あたしのお気に入りのハニーポッターのぬいぐるみなのに! あれ、博物館と交渉してやっと手に入れたのよ……もーっ、許せない! キーッ!」
くのいちは部屋にある天狗のお面、信楽焼の狸、『高い化粧品』と書かれた瓶などそこらじゅうの物を母親に投げつける。
「親に向かって何て事するんだい!」
母親も負けじと養命酒の瓶やあぶない下着や電気マッサージ器などあらゆる物を投げ返す。
強はその戦場に巻き込まれる。彼はその辺にあった銀色のヘルメットを被り、しゃがんで頭を伏せてやり過ごす。
くのいちはソードプリンシパルを鞘から抜く。
「おっと」
くのいちの母親は動じる気配を全く見せない。
「今日もまた、一段とお美しい」
とよそ行きの声でソードプリンシパルが言う。
「いつも多額の寄付を当学園に納めていただき感謝のしようもございません、マダム」
ソードプリンシパルと会話するくのいちの母親。
「校長先生、お上手ですわね。はしたない娘ですがこれからも宜しくご指導下さい」
「お陰で学園内の防犯カメラの設備を増強できました」
「素晴らしい事ですわね」
ソードプリンシパルは口調をいつもの調子に戻していう。
「お嬢、こんな事してていいのか?」
「お母さん、また来月伺いますんで今日のところはこれで」
強は無理矢理くのいちを引っ張って部屋から出て行く。ヘルメットは被ったまま。
強は大人の世界を垣間見た気がする。
「うーっ、いつもあたしの大切な物を勝手に捨てやがって。あの母親、いつか倒す!」
そう言って、部屋を出た通路で剣をブンブンと振り回すくのいち。
「お嬢、取り敢えず俺様を鞘に収めろ。俺はここぞという時以外は鞘を被っている体質なんだ」
この男の子のヒミツに関わるセクハラトークで気持ちを逸らそうとしているソードプリンシパル。しかしくのいちはきょとんとしてスルーしている。
なんとなく気まずい沈黙が流れた後、彼女はソードプリンシパルを鞘に収める。
「おい強、お前がしっかり教えてやらないからお嬢が俺様のセクハラトークをスルーしちまったじゃないか」
「教えるって……」
強は少し赤面して慌てる。
「校長、いくらなんでもそれはヤバいっすよ」
「校長じゃない。ソードプリンシパルだ」
割井校長自身はダイブには加わってはいないが、遠隔操作で現実世界からダイブの世界にコミュニケートしているのだ。
「話を本題に戻すが、これは空間転位だな。ゴブリンの大群に襲われた時も喰らった奴だが。ヒッキーを探し出すのはちょっと面倒だぞ」
そんな話は上の空で、くのいちは強を睨みつける。
「あんたに聞きたい事があるんだけど」
「何だよこんな時に」
「『また会いに来てくれたの』ってどういう意味?」
「えっ、そこ?」
「あんた、あたしの母親とどういう関係なの?」
「家賃は最近、お前の実家で渡す事が多いだろう。その、学校で渡すのもアレだし」
(本当はお家賃を渡す時にこんな事があった。くのいちは知らない。)
「そっか。……べ、別にあたしはあんたを疑っていたわけじゃないんだからねっ! ……でもゴメン」
「ノリツッコミの次はツンデレにも進出か」
二人は暫く廊下を小走りに動き回りミルクを探す。その時不意にくのいちが少し恥ずかしそうに呟く。
「……鞘に収めろって言うけどさぁ、モザイクがかかっていてよくわからなかったんだもん……男の子のヒミツ……」
「モザイク無しの実物が目の前にあるじゃないか、お嬢」




