第93話 ミルクが『やれ』と言ったらあなたは……
青春には賞味期限がある。同じ事をするにしても、旬を過ぎてからでは得られる感動がくすんでしまう。『やれる内にやっとけ』という作者の老婆心ながらのアドバイスは、くのいちと強に届くのであろうか?
強はくのいちの背中に手を回し顔を近づける。くのいちは一瞬嬉しそうに顔を赤らめるが、すぐに顔を伏せる。
「待って。あなたが私にキスしようとしているのは、ミルクに命令されたから?」
「そういう話だったろう?」
「じゃあ何? ミルクが死ねと言ったらあなたは死ぬの? ミルクがやれと言ったらあなたは私とセックスするの!?」
随分と過激な物言いである。しかしつい数時間前にくのいちは、ミルクからとても口にはできない様な拷問を受けた。その反動が心に溜まっていたのと、『これ以上ミルクの手のひらで転がされたくない』という思いがあり、こんなセリフが口を突いて出たのであろうか。
一方の強は面くらいながらもくのいちを落ち着かせようとする。
「王様ゲームはもう終わっている。命令を実行するかは俺達次第じゃないのか?」
場面再び宿の施設のチャペル。琢磨と手を繋いで祭壇に向かってバージンロードを歩いているミルクのハネムーン妄想が続いている。
「常夏の南の島〜。飛行機で徹夜で八時間って聞いたけど若さで乗り切ろ〜!『空気が乾いているから夏でも気持ちいい』って言うよね〜。海岸沿いの目貫通りを歩き疲れたら〜青いシロップがかかっているかき氷を食べるの〜。現地では『シェイブドアイス』って言うんだよね〜」
ミルクの頭の中に曲が流れる。
「ビーチボーイズの曲の生演奏が聞こえてきて〜。夜はホテルの部屋の灯りを消すと窓際から夜景が浮かんで、ロマンチックなムードになるのよね〜。テーブルにはホテルの差し入れのコナコーヒーとバナナ〜。ダーリンが私の肩にそっと腕を回してきて……」
ミルクは突然背後から修道女に話しかけられる。
「ハネムーンはハワイがお望みかい?」
ミルクが振り返ってよく見ると、宿屋の受付をしていた老婆が修道女の格好をして立っている。
「あ、あなたはシスターだったのですね。てっきり受付のおばちゃんかと思っていました」
「神父が今日は育児休暇でね。働き方改革ってやつさ。受付のおばちゃんがシスターのコスプレをしていると思ってくれていいよ」
「ちょっとイタイですね〜」
というミルクの余計なひと言をシスターはスルー。
「ハワイと言えばマカデミアナッツチョコはマストアイテムだね」
「私ハワイの食べ物の事ばかり考えちゃって〜。まだ行った事も無いのに〜。でもハワイっていいですよね〜」
「私のハワイのお気に入りスポットはハナウマ湾さね」
シスターはオルガンの前に腰掛け、演奏を始める。エルビスプレスリーの『ブルーハワイ』。
「あ、プレスリーだ〜」
「素晴らしい。戦前からあるみんなが知っている曲だけど、プレスリーのバージョンが有名だよね」
「おじいちゃんがよく私に歌ってくれました〜」
シスターが頭上で指をパチンと鳴らす。すると教会の景色は突然ハナウマ湾のビーチに変化する。透明な海と浅瀬のサンゴ礁、抜ける様な青空。視力検査の輪っかの様な形の地形が、強い波の侵入を防ぎ湾内には優しい波が打ち寄せる。
「このビーチでのんびり昼寝するもよし。シュノーケリングでサンゴや海洋生物を観察するもよし。帰り道でマラサダ(揚げパン)を買って、『昭和四十年代の給食の揚げパンと同じだ!』とノスタルジーに浸るのもよし。ビーチから駐車場までの坂道で足腰を鍛えるのもよし。『この辺、シャワーも更衣室もないじゃん』と愚痴るのもよし。……それで、お嬢ちゃんは誰と行く予定なんだい?」
「心に秘めた人はいるんですけど〜……」
「取り敢えず式の予行演習をしてみるかい? 好きなドレスが選べるよ」
「えっ、いいんですか〜?」
「勿論だよ」
シスターが再び頭上で指をパチンと鳴らす。景色は一変して宿の衣装部屋になる。広々とした部屋に高い天井と豪華なシャンデリアが目を引く。ハンガーにかかる多種多様のドレス。華やかに飾りつけられたマネキン。脇には例の機械メイドが付いている。彼女は相変わらずメイドキャップをやや目深に被っている。彼女はミルクに話しかける。
「ごゆっくりお選び下さい。試着室は奥にございます」
「うわぁ、素敵〜。どれにしようか迷っちゃう〜」
今になってやっとミルクは琢磨が居ない事に気付く。
「あれ、琢磨さんは?」
「あのイケメンの男の子はさっき一人で衣装部屋に入って行ったよ。後であんたも彼の衣装を見てあげなよ」
とシスター。




