第232話 ここより第5部おまけ くのいち「鬼の霍乱(かくらん)」
ここからは第5部の後日談。ほのぼのとした日常が展開されます。読んでいただけると嬉しいです。毎回知恵を振り絞って書いています。
くのいちは風邪をひいて学校を休んでいた。松戸彩子の妊娠騒動はデマだと分かり、ほっとしたところで今までの騒動が心身に響き、珍しく体調を崩したのだ。
「こういう時はいっぱい寝て治すのが一番」
と布団にくるまっているが、彼女は実家近くのマンションに一人暮らし。何となく寂しい感じはする。早く元気になってみんなとおしゃべりしたい。ヒッキーを怒らせない程度にいじめたい。
いつの間にか眠っていた彼女。ふと玄関の『ピンポーン』という音に目を覚まされる。ドアを開けると強がいる。
「おうくのいち、授業でやったプリントを届けに来たぞ」
「あ、来てくれたんだ強。中に入って」
強は玄関から上がる。
「きゃっ!」
強は玄関先でパジャマ姿のくのいちに抱きつき、そのまま押し倒す。
「ちょっと強、何やってるの。やめて!」
「玄関でつまずいちまった。これは不可抗力だ」
「病気で寝ている女を押し倒すなんて最低よ。早く帰って!」
「今日の給食はフランクフルトなんだ」
「それがどうかしたの!」
「お前が食べ終わるまでみんなは昼休みに入れないんだ。早く食べろ」
「あ、あたしフランクフルトを食べるとおかしくなっちゃうのにぃ!」
「だまっておとなしく口に入れろ」
くのいちの上にのしかかり、フランクフルトを口に押し込もうとする強。
「誰か来てー」
「へっへっへっ。こんな時間に誰も来やしないさ」
「黒猫でも飛脚でもいいから来てー!」
何を言っているのだ、くのいちは。
「ごめんくださーい、宅配便でーす」
突然飛脚が玄関に現れる。
「(うわ、本当に来た)」
強に押し倒されているくのいちが応対する。
「あ、お世話様です。どこにサインをすればいいですか?」
と澄ました口調のくのいち。
「それよりお嬢さん、大丈夫なんですか?」
と心配そうな飛脚。
くのいちは押し倒されたままの姿勢でボールペンを受け取り、書類にサインをする。
「品物は床に置いて下さい」
「わ、分かりました。では失礼します、お嬢さん」
書類を受け取って飛脚は去って行く。
「ねえ強、いい加減にして。やめないと警察を呼ぶわよ」
「俺が何かした証拠でもあるのか? 呼んでみろよ」
くのいちは押し倒された体勢のままで叫ぶ。
「おまわりさーん!」
玄関先に警官が現れる。
「私、ちゅくば署から来ました。お嬢さん、大丈夫ですか!」
くのいちは押し倒されたままで落ち着いて答える。
「あ、お巡りさん。パトロールご苦労様です。何でもありませんから」
「何でもないって、あなた大変な事になっているじゃありませんか!」
「これはパトロール中のおまわりさんにねぎらいの声をおかけしただけです。ご迷惑かけて申し訳ありません」
くのいちは押し倒されたまま、四本指で敬礼のポーズを取る。
「紛らわしい事はしないで下さいね」
そう言って警官は去って行く。
「いい加減俺の思い通りになれ、くのいち!」
そう言いながらフランクフルトをグイグイと口に押し付ける強。
「分かったわ。あんたの好きにしていいけど乱暴はやめて。でもその前に……お湯をいただかせて下さい」
なぜフランクフルトを食べる前に入浴が必要なのか、作者でさえ不明。
「分かった。特別に入浴を許可してやる」
くのいちを立たせて風呂場に向かう二人。強に肩を抱かれ強引に脱衣所に入る。
「まさか、一緒に入るの?」
「当たり前だろう。ウブなネンネじゃあるまいし」
「それだけは堪忍して。じゃないとお母さんを呼ぶわよ」
「お前が呼ぶと本当に来そうだからやめろ」
「おかあさーん!」
と叫ぶくのいち。すると、
「一恵、起きなさいよ、一恵」
と天から声とともにまぶしい光。彼女は思わず目をつぶる。
暫くして目を開けると、目の前にはスーツ姿のくのいちの母親。隣にお手伝い兼秘書の若い女性を連れている。
くのいち自身はパジャマ姿でベットで横たわっている。夢を見ていたのだ。
「一恵、風邪の具合はどうだい?」
「お母さん。あれ私、夢を見ていたのね。強は?」
「俺ならここにいるぞ」
と強が母親の背後から現れる。手には調理用の太いフランクフルトのパッケージを持っている。直径は六センチくらいとかなり太め。これは正夢か。いや、夢よりパワーアップされている。
「そ、そのフランクフルトであたしに何をするつもりなの、強。そんなの入らないから! 絶対無理!」
「やってみなくちゃ分からないだろう?」
「一恵、せっかく強君がフランクフルトを用意してくれたんだ。素直に受け入れな」
「ダメだったら! お母さんも見てるのよ!」
「一恵、今日はわざわざ強君がお見舞いに来てくれたんだよ」
「何か軽いものでも作ろうと思って食材を用意してきたんだが、お前フランクフルト嫌いだったのか」
「強が美味しく料理してくれるなら食べる」
「いきなりハードル上げるなよ」
「じゃあ私は先に帰るから、強君ともうちょっとゆっくりしてな」
そう言って母親は帰って行く。
元気な人が思いがけず病気になる事を鬼の霍乱と言うらしい。現代では死語か。




