第229話 精のつく食べ物
「あらまあ。ちょっとタイミングが悪かったわよね。じゃあ二週間後の土曜日はどう? バッチリじゃないの。お布団も完璧に干して、シーツ類も洗って待ってるわよ」
二週間後って……もしかして危険日を計算しているのか? 数学が得意な琢磨でも瞬時にこの計算には頭が回るまい。さすが強の母親は賢者だ。彼らの心の中で琢磨がツッコミを入れる。
「さすが強君のお母さん、参りました。二次関数、三角関数、微分積分、指数対数、行列数列に漸加式……実生活にはまるで役に立たないのですね(泣)」
普通の社会人になった時、数学でちょっとでも役に立つのは統計学と確率の計算くらいか。
ヒッキーレベルになるとゲームプログラムの為の必要な物理や数学の知識だけは既に大学教養課程レベルまでマスターしている様だが。それさえも強の母親の『妊娠の確率を高める戦略』には及ばない。
「しかしですよ」
と脳内の琢磨がしつこくツッコミを続ける。
「受精はどんなに早くても三年の夏休み明けまでガマンさせた方が良いのではないですか? 十月に妊娠が発覚して大学の推薦が決まるのが年明け、その時に妊娠3ヶ月。そこまで行けばバレずに出産まで持っていけます」
そうか。だったらこのイベントはガーディアンデビルズの連載があと一年は持ち堪えるまではお預けだな(涙)。薄々気付いてはいたが、この賢者 (強の母親)は後先考えずに突っ走る傾向がある様だ。
「ありがとうございます、お母さん。気持ちの整理がついたらまたご連絡いたします」
くのいちはそう言って一旦部屋に戻る。部屋では彩子と強が話をしていた。
「強君、さっきのプロレスごっこ、凄かったね。あのまんじ固めにはしびれたわ」
「おいおい、恥ずかしいから秘密にしといてくれよ」
くのいちはすでにツッコミを入れる気力は残っていない。
「彩子、やっぱ自分の体は大切にした方がいいよ」
いきなりそんな事を言われて戸惑う彩子。
「あ、ありがとう。くのいちって優しいんだね」
「彩子ちゃんに強、今日はいきなり押しかけちゃってごめんね。また部室で会おう
そう言ってアプリでタクシーを呼ぶくのいち。
「タクシー、すぐ来るみたいだから」
荷物を持ってくのいちは帰って行く。
「今日はお疲れ。また週明けに会おうぜ」
「くのいち、月曜日もよろしくね」
と彩子。
彩子はくのいちの襲撃を見事に交わしたのだ。確かにくのいちの突発的な事情があったにせよ、彩子の女子力がくのいちの戦意を大幅に削ったのは間違いない。やっぱり正義は勝つのだ。めでたしめでたし……って今晩のイベントがまだ残っているのを忘れていた。
昼過ぎまで彩子、強、母親の三人はテレビなど見ながらまったりと過ごす。頃合いを見計らって彩子が言う。
「お母様、私夕食の買い出しに行って参ります」
「彩子ちゃんにそこまでしてもらっちゃ悪いわよ。私がやるよ」
「いえ、今晩お世話になるのですからせめてこれくらいは」
「じゃあお願いしちゃおうかな。主婦はちょっとでも家事から解放されるとリラックスできるのよね」
強の母親は早朝からパートで働いていたのだ。
「強、あんたは彩子ちゃんの荷物持ちをしなさいね」
嬉しそうな彩子。ところで今晩はどうなるのだ? くのいちとの既成事実のプランはお流れになった。母親はどう考えているのか?
歩いてスーパーに向かう強と彩子。
「夕食はカレーでいいかな?」
「俺がカレー好きなのを知っていたのか?」
「わぁ、丁度良かったね」
と微笑む彩子。明るく振る舞う彼女は可愛げがある。
スーパーに到着し店内を周る二人。テナントで出店している魚屋さんの前を通りかかる。
「お嬢ちゃん、今日はいい牡蠣が入っているよ! 彼氏に作ってあげたらどうだい?」
「(今日はカレーだから必要無いか)」
と、軽く会釈して魚屋の店主の前を通り過ぎる彩子。
「牡蠣は精がつくよ。彼氏も喜ぶよ」
今時こんなセクハラ紛いの発言をする魚屋も稀だが、どうやら昭和気質の様だ。雇われでなく、自分で店を切り盛りしている店主だとこれくらいのバイタリティは必要なのか。
通り過ぎようとしていた彩子の足がピタリと止まる。彼女はスマホを手にして『牡蠣』と検索する。
『牡蠣はカラスミ同様、亜鉛を大量に含有しています。精のつく食品です』と検索結果が出る。
更に『亜鉛』を検索する彼女。『亜鉛は欧米ではセックスミネラルと呼ばれ、男性ホルモンの増加、勃起力や精子数の増加には欠かせません』と表示される。
彩子は魚屋の店主に近寄る。
(彩子ちゃん、声に出しちゃダメー。でももっと大声で言って欲しい気も……)
「精の出そうなやつ、3袋下さい」
「毎度ありぃ、可愛いお嬢ちゃん」




