第211話 くのいちの聖水
週が明けて月曜日の昼休み。久しぶりの登校で教室にいる彩子にくのいちが会いに来る。くのいちは肩にトートバッグをさげている。
「彩子、体調は大丈夫?」
「う、うん。お陰で元気になってきたよ。ちゅくば山登山、楽しかった?」
「うん、楽しかったよ。頂上の木が一本、無惨に折られていたのがインパクトあったけど。なんかバットみたいな棒状の物で何十回も叩かれた様な跡がついていたわ。マナーの悪い登山者っているものね」
それはチョコがやったものだろう。彼女は彩子から手に入れた呪いの藁人形でガシガシ呪いをかけていたのだから。
くのいちが話を続ける。
「外人の登山者も結構いたよ。山頂の食堂で、外人が、どの食べ物を注文したらいいかわからなくて、ミルクに英語で訊いていたなぁ。
あいつ、山菜うどん、とろろそば、きつねうどん、けんちんうどんなんかを英語で説明していたけど外人は理解できなかったみたい。とうとうミルクがキレて、『だったらカレーを注文しろ!』とか言っていたのは笑えた」
「じゃあその外人さんはカレーを注文したんだね?」
と彩子。
「ううん。その外人はなぜか『カレーだけは絶対食べない』とか言って、今度は『おでん』と書いてあるのぼりを見つけて『これは何だ?』とミルクに訊いていたみたい」
「ミルクちゃんでもキレる事あるんだ?」
と彩子。
「『英語で話すと〜クッションを置かずに言葉が出ちゃうよ〜』とか言っていた。『おでん』と書いてあるだけだと説明は絶望的だったみたい」
ミルクは万引き少女節陶子を捕まえた時も、興奮して『手首を斬り落とせ!』とか英語で叫んでいた。
それはさておき、くのいちの微笑ましいエピソードを聞いてちょっと羨ましく感じる彩子。
(あれだけ準備して、結局ちゅくば山へも登れず)
「みんなで行くとやっぱ楽しそうだね」
「彩子も来れたらよかったのにね……あ、そうだ。あんたにお土産を持ってきたよ」
くのいちは肩に掛けていたトートバッグからペットボトルに入った液体を差し出す。
「山頂で聖水を汲んできたよ。万病に効くんだって。あんた体調崩してたでしょ? 飲んでごらんよ」
くのいちから受け取ったペットボトルの液体をしげしげと見つめる彩子。黄色い液体である。ほんの少し濁っている様な。
「こ、これがくのいちの聖水?」
「そうだよ。生水だと良くないかもしれないから、煮沸してお茶にしてみたよ。飲んでみて」
くのいちの言葉には全く悪気はなさそうではあるが、彼女には独特の圧がある。ここは無下に断るわけにもいくまい。
その時、彩子の頭に再び例の奇妙な考えが浮かぶ。
「(ちゅくば山登山で遭難に見せかけて私を葬る計画に失敗したくのいちは今度は自分の聖水を私に飲ませようとしている?)」
本当に大丈夫なのか、この聖水。毒は混入してはいないだろうか?……いやいや落ち着け、彩子。もし猛毒が入っていてそれで彩子が即死でもしたら明らかに下手人はくのいちという事になる。そんな凡ミスをくのいちが犯すだろうか?
「うわあ、美味しそうなお小水だなあ。飲みたい飲みたい」
と緊張して棒読みの彩子。
「お小水だとオシッコになっちゃうでしょ。これは聖水」
くのいちのこのセリフを聞いて何人かの男子生徒が聖水に目をやる。もしやくのいちの黄金水にでも興味があるのか?
「〽︎あ、そーれ。彩子ちゃんの飲むとこ見てみたーい!」
とはやす男子生徒達。
彩子はペットボトルのキャップを外し意を決して聖水をごくごくと飲む。
「どう、お味は?」
「ほのかな甘みがあって美味しい」
「でしょ? あたし糖尿病だから」
とボケをかますくのいち。
しかしこの冗談は彩子には通じなかった。
「(やっぱり聖水って黄金水だったんだ!)」
折角三日間の休みの後で登校したのに、この日彩子は昼過ぎに早退をする。
自宅のベッドで横になる事数時間。時刻は午後五時頃。彼女は『謎の失踪事件ファイル』というYouTubeチャンネルを視聴して心を落ち着けようとしていた。するとその時、突然の上腹部痛に見舞われる。
「(これはもしかして聖水のせい? あれに遅効性の毒が入っていた?)」
くのいちの聖水にちこう性の毒が混入していたなど、失礼にも程があるではないか! しかしその十五分後、彩子は救急車の中にいた。吐血をして倒れたからだ。
ちゅくば山頂の食堂の外人さんのエピソードは作者の実体験によるものです。




