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プロローグ

 香水売りの水園シイカは軽く微笑み、顔の横で瓶詰めの香水を揺らす。香水の色は水色をしていた。とても透き通った春の晴天のような水色だった。あるいはシロップのような強くねっとりとした甘さを感じさせる、煌めいた水色だった。

「リュウちゃん、コレは悪い薬よ、」シイカは抑揚のない声で言う。しかしその抑揚のなさがかえって僕を動揺させる。「彗星の涙」

「……彗星の涙?」僕は軽く微笑んで聞き返す。「彗星の涙って、そんな色なの?」

「こんな色なのよ、リュウちゃん、」シイカは抑揚のない声で言って口角の端っこを片方だけ持ち上げて笑う。「彗星を見たことはない?」

「ない、」僕は即答する。そして夕日に視線を向ける。教室の窓から潤沢に注がれているオレンジ色のグラデーションを。僕らは、それに包まれ、微睡むように、覚醒している。「彗星なんて」

「そう、」シイカは僕が彗星を見たことがないことについて、とても嬉しがっているようだった。だから僕のことを莫迦にするように鼻から軽く息を漏らして笑い、首を斜めに傾げて群青色の髪を揺らす。「これは彗星の色よ、間違いなくね、そして誰が何と言おうと我らが宇宙を駆け巡る彗星の涙なのよ、これは」

「彗星はまだ見たことはないけれど、彗星の涙はそんな色をしていないと思う、」僕は鋭く尖った蓋を持つガラス瓶の中で、シイカの指先の加減に合わせて酷くゆったりと動く水色の液体を口を尖らせて反論する。「僕は天体のなんたるかについての専門的な知識を、あいにく持ち合わせていないけど、なんとなく、でも確実に、彗星の涙はそんな色をしていないって断言出来る、僕はもっと不純だと思う、だって天体の涙でしょ? そんな風に青空みたいに透き通っていないと思うし、もっと濁っているっていうか、どろどろと色んな溶け合わないものが混ざっているっているか、不純なものだと思う、香水売りが手を加えて色をつけたっていうなら、まあ、分からなくもないけれど、純粋天然なものとは思えない」

「純粋天然なものよ、これは」シイカはわざと目を丸くして見せて、不服だと言う表情をわざわざ拵える。香水売りの水園シイカはわざわざそう言った表情を用意するのが習性のようだ。あるいは単に、可愛い子ぶっているだけなのかもしれないけれど。

「そうは思えない、」僕はポケットからスマートフォンを取り出し時刻を確かめた。この街は確実に夜に近づいていた。僕は夜の間もなくの到着に小さく喜び、シイカに向けて笑った。「ああ、まず、彗星の涙というものが本当にあるかという議論はなしにしてね」

「これは本当の彗星の涙よ、正真正銘のね」シイカはあたかも権威のある裏付けをしっかりと背負っているという風な、軽やかでかつ滑らかな口ぶりで言う。

「ほほう、」僕は気のない返事をする。そして斜めを見る。どこまでも果てしなくこの世界を覆い潰す、グラデーションの強い光源に、僕は目を細める。「あいにく今の僕には香水売りの味付けのなってない冗談に付き合っている暇はないの、久しぶりに会えて懐かしい気持ちになれて、なんだか気持ちがすんとしていて、そのすんの分くらいは感謝しているけれど、とにかく香水売りと長い時間話している余裕は、今の僕には全くないんだよ、残念だけど」

「そう、残念、」全く残念そうじゃない表情で言う。そして僕の手に「彗星の涙」を握らせる。「急ぐの?」

「悪いね、約束があるんだ」

「約束?」シイカは片目で僕の目の中を覗き込む。

「彗星を見に行くんだ、これと奇遇にもね」

 そして僕はパヒュームを自分の首筋に振りかけた。


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