刺客の影
――助けたい人。
心に浮かんだハンナの笑顔が、アルトに手を抜くことを許さなかった。
アルトが工作している間、シトリーは政財界のお歴々と次々会食を重ね、権力者とのパイプラインを増やしていった。
あっという間にケチャ包囲網が完成し、ケチャの秘書を陥落させたのだった。
「一体どんな手練手管を用いたんですか?」
「それは企業秘密ですわ」
ただ会食するだけで、何故皆が協力的になっていくのか、さっぱり想像も付かない。
ただひとつ言えるのは、その力がアルトに向けられなくて良かったということだけだ。
(貴族の人心掌握術、恐るべし……!)
周りにいる中立的な人達が、ある日突然敵にまわっている。
そんな光景を想像するだけで体の芯が冷えていく。
秘書を籠絡したシトリーはゼニスからすべての権利を剥奪し、そして、暴君断罪の実行の日を向かえたのだった。
「アルトに手伝って頂けたおかげで、思うような成果が出せましたわ。本当に感謝しますわ」
「いえ。僕は本当になにもしてませんので」
「アルトが情報を撒いてくれたおかげで、ずいぶんと動きやすくなったんですのよ? ただ……」
シトリーが言いにくそうに口をもごもごさせる。
「12将を辞退し、己の正義を見つけるためにユーフォニアを旅立った救世主……というのは些か盛りすぎではありませんこと?」
「そうですか?」
「わたくしがユーフォニアを出たのは、決して正義を見つけるためではありませんし、ユーフォニア12将も降格処分となったんですのよ? それをこのように扱われると、困ってしまいますわ」
「平民は英雄譚が好きですから。それくらい盛らないと、話題にすら上がらないじゃないですか。それに、シトリーさんにぴったりな物語だと思いますよ」
ジャスティスは古代語で正義を意味する。
だが、ジャスティス家とカーネル家が公爵家の双璧として君臨した歴史を鑑みると、その意味は若干変化する。
カーネルが仁。
であれば、ジャスティスは義。
利害を捨てて条理に従う。公のために尽くす気持ち。それが義であり、彼女のジャスティスなのである。
今回の件については、シトリーに義があった。
義を見つけた彼女は、かつてないほど生き生きしていたように感じられる。
だからこそ、シトリーにお似合いの物語なのだ。
「……アルト」
つま先を見ていたシトリーが不意に顔を上げた。
その目にはまた、なにかを思い悩むような、けれどすがすがしい光が灯っている。
「なんでしょう?」
「わたくしはイノハに救うべき民がいることを知りました。手を差し伸べるべき弱き人達を知ってしまいました。ゼニスキー商店は抑えましたが、過酷な労働環境はまだまだ存在しております。ですから、わたくしはこの地に残り、正義を貫きたいと考えておりますの」
「そう、ですか」
少し残念だけれど、彼女ならきっとそう言うとアルトは思っていた。
ゼニスキードを断罪して、これで終わるわけじゃない。
また第二、第三のゼニスキードが現われる。
そういう下地がイノハには存在している。
けれどこの地に彼女が残れば、きっと他の悪が芽吹くことが無くなるだろう。
アルトは納得したが、リオンは少し複雑そうな顔をしている。
リオンはアルトよりも1年ほど長くシトリーと旅をしている。その間に、侃々諤々喧嘩をし、けれど喧嘩したぶん情だって沸いているはずだ。
彼女にとってシトリーはもはや大切な仲間。
友人であるはず――
「これからシトリーで遊べなくなるのか……」
「……リオンさんはわたくしのことを何だと思っているんですの!?」
「おもちゃ?」
「ふんっ!」
「――いでっ! な、殴ったな!?」
「貴方が失礼なことを言うから悪いんですわよ!!」
「だからって手を出す必要なくね!?」
キィィ! とまた乱闘が始まる。
さっきまでのしんみりした雰囲気はどこへやら。
けれど二人の別れは、これくらいが良いのだろう。
しんみりなんて似合わない。
ひっかき傷で、涙目くらいが丁度良い。
□ □ □ □ □ ■ □ □ □ □ □
イノハの外壁にそびえ立つ鐘楼の屋根の上に、2つの人影が並ぶ。
屋根の上に至るための足場はない。通常の人ならば決してそこに昇ることが出来ない場所である。
つまりそれだけで、2人がただ者でないことがわかる。
「どうやらがんばってるみたいだねー」
「…………」
まるで少女のような1人が無垢な声で話しかけるも、もう1人の男性は無視をする。
「でもさー。おもしろくないよねー。ちょっと悪戯しちゃおっか?」
少女は口を歪めてそれは笑う。
「ふふ。いま奈落におとしたら、どんなかおをするのかなー? たのしみだねー」
「……」
子どもがはしゃぐような笑い声は、まだこの街の誰にも届かない。
それが届いたときにはきっと、『はしゃぐような』などとは決して表現出来なくなるだろう。
それは少女――教皇庁指定危険因子No4が、シトリーたちに狙いを定めた瞬間だった。




