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Twelve Coins Of Hades ―戦国真田十二文銭―  作者: 大培燕
第八章 夏の陣、究極の策 ―信繁灼熱篇―
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第九十二話  十段突破

「皆の者、我らはこれより南下して大御所様を守る!」

「ははっ」

「いざ、参る……うっ!?」


 南下しようとする信之の袖が、何か重い物に引っ張られた気がした。これから起こる出来事に対し鬱に囚われた信之の体を、重い重い何かが引き止める。その正体は……。


「三成……か?」


 信之は眼を瞑って、三成の御霊に念を送る。これは何の真似なのか、と。だが信之は陰陽師ではない。当然、返答は得られなかった。

 よって、想像する。三成は信繁を討つのは他家に任せろ、と言っているのか。それとも今からでも宿敵家康を討て、と言いたいのか。信之の知る限り、前者に決まっていた。

 信之は関ヶ原以降、三成の呪いに精神的負荷を課せられてきた。そう思っていた自分の浅はかさを今になって気づく。


「そうか、お前は俺を呪っていたのではなく……」


 今悟った正しい三成像が、これから起こる悲劇に立ち会う――否、悲劇を作り出す最後の勇気をくれた。


「ありがとう、三成。だが、俺もあ奴も、責任は取らねばならぬのだ……行かせてもらう」


 怨霊の制止を振り切って、信之は馬を引く。六文の旗と共に、最後の戦場へ。


                   ******


「何だ、この人数は……」


 騎兵の後に続き人垣を脱した歩兵を待つ間、信繁は木津川の方角……家康側の本陣に配置された兵の数を見て、秀忠側に向かった勝永の死を悟った。家康の守りを固めるのは、藤堂・井伊の切り札の他には、徳永・一柳等の小大名が連なるのみ。その他の強豪は、全て秀忠の護衛に回したのである。

 当初の予定……というより信繁の論理では、二手に分かれた自分と勝永に、それぞれ半数の敵が群がる計算であった。ともすれば、集まったところで出来るのは拙い連携である。北の立花宗茂を小早川が、そして兄たる真田信之を兼続が封じれば、もう援軍は零である。今の自分達の勢いであれば家康と秀忠、両方を討ち取れる筈。その予定であった。


――秀忠は討てぬ……終わったのか。否、まだ……まだ俺がいるではないか!


 秀頼の背後は、燃え盛る大坂城。敵はもう残っていない。ならば、信繁のする事はただ一つ。キリリとした表情で、兵達の様子を確認し、最後の口上を述べる。短く、分かり易く。


「皆の者、六文は持ったか?」

「しかと!」

「そなたらは良い兵であった。其方らが徳川でなく、この儂について来てくれた事は生涯の誉じゃ」

「勿体なきお言葉!」

「殿、下知を! すべきことは一つにござる!」


 誰もが六文銭を握りしめ、覚悟を決めた顔をしている。信繁は自分を恥じた。何もかもを諦め、大坂に来た自分の散り際に、これだけの数の兵を道連れにする事に心が痛んだ。


          平時は兵を赤子の如く慈しみ。戦時は芥の如く使い捨てよ


 幼少時に信之に読んでもらった孫子の一節。つくづく、自分は大将には向いていない事が身に染みて分かる。だからと言って、もう戻る事は出来ない。今の信繁には、この先起こる全ての出来事が見えていた。


「狙うは、豊家に仇する徳川家康の首一つ。いざ、真田は三途の川へ突撃せん。かかれぇぇ!」


 灼熱の時間が動き出した。


                   ******


「行かせぬ!」


 先鋒の徳永昌寿が、物凄い速さで進軍する信繁の歩兵に挑む。数は信繁が五千、うち歩兵は半分、騎馬が半分である。歩兵の数なら互角であった。

 交戦を開始するや否や、一柳軍、溝口軍の二千が横っ腹を突かんと押し寄せる。信繁にとって不利な陣形である。しかし。


「歩兵、道を開けよ!」

「なっ……ぐわぁ!!」


 信繁は包囲する時間を奪った。歩兵との呼吸を合わせ、あの人垣を破った騎馬隊を突撃させる事で強引に徳永の壁をこじ開ける。如何に小さな馬とはいえ、加速度と共に槍や鉄砲への恐怖のない馬にぶちかまされれば一溜りも無い。当時には存在し得ない存在が二千五百。同数では勝てる道理もなく、約五千の兵を持つ三軍は悉く打ち破られた。

 半刻も経ってはいない。交戦から包囲へ移行する時間のズレを読んだ、信繁の神憑り的手腕である。

 

「まず一つ!」


 信繁は更に歩を進める。狙いは家康である事は明らかであるため、各隊は我先にと信繁を止めに来る。

 信繁にとってやりにくい事は、各個撃破がでいない事。百戦錬磨の家康により、必ず二隊以上でぶつかる様に指令が出ていたのだ。溝口軍と村上軍が信繁に襲い掛かる。


「大助! 鉄砲隊を」

「はっ!」


 時間をかければ背後に残した三軍が体勢を立て直し、挟撃される。迷っている暇はなかった。歩兵と騎兵の間に守っていた、虎の子の鉄砲隊を繰り出す。


「引き付けすぎず、中間で放つのだ!」

「それでは威力がつけられませぬ」

「狙う必要は無い。指示に従うのじゃ」

「……はっ」


――パァン!


 命中率は低いが、足元への射撃を喰らい右翼の前陣が浮き足だつのが分かる。引き付けて撃つのが理想だが、それでは時間がかかりすぎる。速やかな殲滅には、鉄砲隊だけでは足りなかった。


「騎馬隊、出よ!」


 蹄が土を蹴る音が、二軍を震え上がらせた。足が止まるや否や、恐れを知らぬ馬が突っ込んで来る。慌てて左翼が支援を行おうとすれば、鉄砲隊が再び射撃を行い、動きを封じる。

 攻める側と守る側。指揮も違えば士気も違う。今の信繁は止められる気がしなかった。


「歩兵、来い!」


 正確な槍衾でトドメを刺すべく、歩兵が前進する。既に散り散りになっている二軍を相手に、功名を競う様に追い打ちを掛ける。しかし、誰も首を拾わない。


「三途の川へ首を持って行っても、荷物になるだけだから」


 兵の一人一人の覚悟が、誰が言わずとも規律となって伝搬していた。身軽なまま、たらふく飯を腹に入れて力の漲ったまま、信繁軍の快進撃は続く。


ふたぁつ!」


                   ******


「よくぞ耐えた本多殿、榊原殿! 後はこの政宗にお任せあれい!」


 政宗は兼続の猛攻に耐えていた本多・榊原軍を撤退させると、兼続との交戦に入った。


「北陸での決着をつけようぞ!」

「邪魔だ、俺は真田弾正を追わねばならぬ!」


 信之を追わなければ、信繁と家康を討つ為の障害となり得る。昌幸の決死の策を活かせぬまま家康を取り逃がす事は、兼続にとって死ぬ以上に恥辱である。

 が、相手は政宗。当代最強の一角である。如何に兼続と上杉旧臣の組み合わせとはいえ、信之に痛めつけられ消耗している今では相手にならない……。と、思われた。


「秀頼の捕縛が最優先じゃ! 秀頼を探せ、おらぬかぁ~」


 政宗の軍勢の挙動がおかしくなり始める。兼続と交戦中にも関わらず、隊列を乱しバラバラの行動を始めた。侮辱されたと思い、一瞬頭に血が上った兼続だが……。


「否、好機じゃ。全軍、ひと塊となり伊達軍を突っ切れ!」

「うおっ、直江が逃げるぞ! 追え、逃がすな!」


 明らかな隙を見せた政宗の対応は遅れた。兼続は包囲を突破し、信繁の援軍として駆けて行く。


「殿……」

「いやぁ天下の伊達としたことが。隙を見せたのう。小十郎」

「やはり、わざと?」

「さてな。さぁ、秀頼を探すとするか」


                   ******


「三つ、四つ!」


 堀直寄、秋田実季の軍をも、信繁は簡単に、短時間で打ち破って行く。ここに集まったのは、秀忠よりも家康への恩を返さんとする義将達。いずれも一筋縄でもいかない相手なのだが、信繁の采配と勢いから来る突破力を止めることができない。


 そしてついに、信繁の前に徳川の『二強』、藤堂軍と井伊軍が立ちふさがる。初戦の傷から先鋒を辞退した両者だが、未だその牙は鋭利であった。


「左衛門佐! ここは通さぬぞ!」

「弾正殿には悪いが、貴殿の首はここで討ち取る!」


 この二隊は百戦錬磨、単純な突撃には容易に対応して来る。歩兵、銃兵と騎兵の連携が肝要である、と誰もが考えるところであった。だが、信繁の判断はその常識をも突き破る。


「鉄砲を寄越せ!」

「はっ」


 銃兵から火縄銃を受け取ると、馬上で着火する。


「騎馬鉄砲!? 馬鹿な、当たるわけがあるか!」


 信繁は迷わず放つ。二丁、三丁と銃を受け取り、使い捨てつつ放つ。不安定な馬上での射撃は当然、当たらない。だが、その銃撃で無理やり開けた空間に、グイグイと信繁は入り込んでいく。気づけば、陣形は信繁一人に寄って歪に変えられていた。


『火縄銃の命中率など、たかが知れた者。要は、敵をどれだけ脅せるか。当たったら死ぬという恐怖と音。それを味あわせてやるのよ』


 かつて、信之と鉄砲の談義もやった。火薬の香りと放たれる熱が、懐かしい記憶を呼び覚ます。そして……。


「騎馬隊、歩兵の道を切り開け!」

「御意ッ」


 信繁の作った道に、機動力の高い騎馬隊が間髪入れず飛び込んで行く。乱戦に持ち込む暇もなく、藤堂・井伊軍の陣形が真っ二つに分けられた。そしてそこへ各個撃破を狙う歩兵の槍が飛ぶ。


「騎馬の足を止めろ、簡単な事ではないか!」


 普段なら、ちょっと脅してやれば馬は怯えだす。しかし今真田軍が乗っている騎馬は、既にその恐怖を打ち破った経験からか、刃物や飛び道具に晒されながらも、進むことを止めない。空前の存在であった。


「五つ、六つゥ!」


 そして藤堂・井伊でさえも突破した信繁の前に、遂に家康の親衛隊が姿を現した。内藤、酒井、保科、小笠原。いずれも名の知れた猛将の後を継ぐ者達である。


「この世の果てはあれぞ、家康ぞ! 皆の者、川を渡る準備は良いか!」

「応ッ」

「真田左衛門佐信繁、参る!」


 ここまで来た信繁には自らを鋒矢ほうしの陣の先頭に立てて、ただただ突破力を増す事しか頭になかった。そしてそれこそが最適解であった。一人一人が信繁に引っ張られ、一騎当千の働きをせざるを得ない。


「何をやっている! 相手は五十路いそじ間近の老人ではないか!」


 分からないのも無理はない。命のやり取りをする場に限っては齢の問題ではない。『肝』が物を言うのである。そして信繁は誰よりも太い肝を持つ大物であった。かつて信之が彼に期待した通りの働きを、正に今見せている。

 肝を冷やすのではない。灼熱の戦場の中で、肝を燃やして進んでいる。推進剤と化して進んでいる。


「七、八、九、とお! 左衛門佐、十の軍を打ち破りけり。我に敵なし、徳川何するものぞ!」

「殿に続けぇ、頂点まであと僅かぞ!」


 爛々とした目が捉えるのは、眼前に迫った葵の紋である。戦国の勝利者から、確実だった筈の勝利をもぎ取る。その直前まで、遂に来たのだ。

 

 だが、交戦中にその葵の旗が西へ迂回し、北側へ逃げて行くのが見える。


「本陣を捨てて逃げる気か!?」


 家康ほどの男が、往生際の悪い行動をすることが不可解であったが、信繁は即座に追撃を開始する。ここまで家康を追い詰めた男は、きっと信玄公以来に違いない。機動力に勝る騎馬で、グングン家康に迫る。

 だがその足は止められた。正確には、真田軍全員が状況を理解するのに一刻を要した。そしてジワリと伝わる、状況の悲しさを恨まずにはいられない。


 葵の旗を追いかけていた筈だった。しかし、今眼前に見えるのは……。


――御仏よ、あなたはとことん悲劇がお好きらしい。


「弟とは、思わぬ」

「やはり、こうなる運命でございましたな」


 真紅と黒地。十二文銭が対峙した。大坂夏の陣、決着の時。幕引きは、真田兄弟対決。

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