第九十一話 同歳の二人
「殿……殿!」
「はっ!?」
半ば夢見心地にあった信之を、頼康の声が覚醒させる。見渡せば、戦場は大混乱となっていた。無理もない、何せ敵騎馬隊に戦線を真っ二つにされ、連携を失ったのだ。西は直江軍に、東は小早川軍に包囲され身動きが取れない。一人、また一人徳川兵が倒されていく。豊臣方にとっては戦功の大安売りである。
「ここはもう良い。圧し戻した上で突っ切るぞ」
「は?」
「分からぬか! 今は本陣が危うい。最低限の防御力を確保した上で、我らは本陣へ加勢に行く」
「ははっ!」
――信繁、思うままに行かせはせぬ!
ここからである。信之の底力が、兼続の度肝を抜いて行くのは。
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信之・宗茂らの壁を突破した勝永と信繁は、騎馬の機動性を最大限に活かして敵本陣へ迫る。西に家康本陣、東に将軍秀忠の本陣がある。
流石は家康と言うべきか、しっかりと危険を分割していた。一か所に自分と秀忠を固めてしまっては、何かあった時に全てが終わってしまう。どちらかさえ残れば、幕府は成り立つ。秀忠が死んだら家康は松平忠輝を後継に立てるだけ。家康が死んだらそのまま秀忠が全権を持つ。
どちらも討ち取らなければ、豊臣の勝ちは無いのだ。
「ここだ。袂を分かとう」
「達者でな、毛利殿」
「ふふ、楽しい旅でござったなぁ」
「御免!」
完璧と思われた防衛戦を破って見せた信繁と勝永の六千騎は、半々に軍を分けた。勝永は東へ、信繁は西へ向かう。通常ならこの好機にただでさえ尖兵と言える軍勢を分けるなど、考えられない愚策である。しかし、この策には大いに意味があった。信繁は、論理的に考えて策を立てていたのである。
本陣の家康に、信繁接近の報が届く。
「真田左衛門佐、及び毛利豊前守が軍五、六千! こちらへ突っ込んで来る模様にございまする」
「あの構えを突破して来たか! 慌てるな、ゆっくりと守備の準備を」
「恐れながら、その様な余裕はございませぬ! 本陣へ向かう全てが軽騎兵との事!」
「……その様な事が有り得るわけが」
「その後ろから、歩兵一万も突っ込んで参りまする!」
「馬鹿な……」
家康は混乱し、熱くなりかけた頭を必死に冷やし込んだ。まず、騎馬隊が先行し、歩兵が後からついて来ているという事実は、信じられないが騎馬隊の突進で数万の人垣を打ち破ったという事を伝えている。
――落ち着け竹千代。本陣の兵数は徳川二万、伊達・松平忠輝軍が一万。守備に徹すれば遂行可能、だが……。
よりによって近くにいるのが政宗だけである。秀忠に近づければ何をするか分からないこの男を自分の付近に配置させたはいいが、いざ敵兵が迫ってくるとなると何と心もとないことか。この上なき練度を誇る『中立軍』が、目の前にいるのだ。家康に政宗は信用できない。
果たして『自軍三万』対『敵数千』となるのか、『自軍二万』対『敵一万数千』となるのか、分かった物では無い。家康の胃がチクリと傷んだ。
「伝令を出せ。本多・榊原、それに真田弾正へ早馬じゃ!」
「ははッ」
一応言っては見たものの、家康は信之が既に動いている事を確信していた。言われてから動く様なタマではない。間髪入れずに家康はもう一手を放つ。
「政宗の陣に伝令じゃ」
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「直江兼続の精鋭部隊に苦戦! 将兵が次々とお討死、体勢を立て直せませぬ!」
「くそっ、先程の騎兵が勝負の分かれ目じゃったか!」
直江軍に良いようにされている状況に、本多忠政は苛立ちを隠せない。一刻も早く本陣に加勢しなければならない状況なのに、完全に足止め――どころか数をみるみる内に減らされていく。まさしくジリ貧であった。
「榊原も助けたいところだが、これでは自軍が精いっぱいじゃ、クソッ」
「殿、真田弾正様より伝令にございまする」
「義兄上!?」
直江軍にバラバラにされかかった真田・本多・榊原の一万の軍は、信之の指示で数か所に集まり塊を造り始める。その奇怪な行動に、直江軍が面喰う。
「何だ……!?」
「馬鹿者、攻撃の手を緩めるな! 真田弾正の、苦し紛れだという事が分からぬか」
兼続の叱咤で、再び攻勢に移る直江軍。しかし、その一瞬の間を与えた事が命取りであった。
「完成、だ」
「な、何だこの隊形はッ!?」
有名な八陣の中では、※方円の陣に最も近い様であった。が、方円よりも密集し、尚且つ二重、三重の壁が出来ている。前列の壁には長槍を構えた精鋭がしゃがみ、後列の壁には前列の兵の肩から銃口を光らせた鉄砲衆。こんな陣形は御館の乱以降、戦歴の長い兼続でも見た事が無かった。
「これは……これは一体?」
「敵は防御の陣形を敷いた! 逃げ腰ぞ、攻めよー!」
「待て、しばし待て!」
それでも兼続は名将である。焦る必要は無い。まずは見た事の無い陣形の中にある意味を探す。だが、その前に勇んだ兵達が突っ込んでいく。
「手柄、寄越せやぁ!」
「ぐう!」
しかし拍子抜けであった。本多、榊原の方陣は方円と全く同じ効果であり、攻めあぐんではいるもののこちらの攻勢は崩れない。普通の戦いであった。
ならば、数で攻めるのが定石である。
「よし、絶え間なく攻めよ!」
「うおおー!」
とはいえ方陣の防御力は高い。足止めは成功したが、結局体勢を立て直されたと言っていい。信之にしてやられた、と兼続が舌打ちをした、その時である。
「兼続様! 大変でございまする」
「なんじゃ、休まず攻めよ」
「さ、真田弾正の軍に……味方約一千が!」
「いっ……せん?」
兼続の頭が熱を放つ。攻めているのはこちらなのに、そんなに被害が出るわけがない。そう思って、自ら真田軍の付近へ馬を走らせると、彼の網膜に驚愕の光景が舞い込んだ。
「これは……!?」
方陣へ突っ込む直江軍の歩兵を、陣内の鉄砲隊が次々に打倒していく。鉄砲隊が弾を込めている間、低姿勢の長槍兵が敵との距離を保つ。そして、弾が込められれば……。
「放て! 適当に撃っても、必ずや当たる! 時間をかけるな!」
「おおおーッ」
そう、敵兵はすぐそこで槍兵とやり合っている。それと同じ間合いから鉄砲を放つのだ。火縄銃とはいえ当たる確率は五割以上と言っていい。つまり火傷の熱にさえ耐えられれば、槍を装備した銃兵が超近距離から狙撃を行う様な物である。
攻め続ける直江軍の数が、恐ろしい早さで減っていく。
「馬鹿な……こんな事が!?」
兼続は悟る。信之はこの最悪の事態を想定し、こんな使うか分からない陣形を組む練習を、貴重な銭をはたいて雇った家臣に強いていたというのか? 否、そもそもこんな陣形を思いつく方がどうかしているのだ。
信繁は騎兵で敵陣を突き破るという、有り得ない事をやってのけた。だが、今の信之は……それ以上に有り得ない事をやっているではないか。まるで、手が何本もある神の如き所業……。
――奴は……愛染明王か!?
そんな意味の無い事を考えている間に、百、また百と兼続の兵が戦闘不能になっていく。『攻めている側の兵が』ゴリゴリと削られていく、常識外の現象であった。
「退け! 直江軍、一時後退!」
「それを……待っていた!」
信之軍も、兼続の猛攻にいっぱいいっぱいだったのである。ここで退却してくれる事に感謝しつつ……信之は兼続に最後の打撃を与える。
「狙撃隊! 構えぇ-ッ」
「なっ!?」
「今度はよく狙え……てぇーッ」
――ヒュッ、パァン。
信之自慢の狙撃隊が、兼続の兜を狙い打った。それを見てすぐさま、田辺城帰りの精鋭達が駆けつける。訓練された兵達は、大将が狙撃されれば一目散にそれを守るのである。
「待て、儂を守らずとも良い! そんなに一度に後退しては……」
その言葉を放った時には、既に遅かった。精鋭達が信之の軍を全く気にせず兼続を守りに戻ったため、その隙をついて……信之軍は影も形も無くなった。信じられない統率で全軍が動き、消えた。
二千余りの兵を失った上、足止めに失敗した事を悟った兼続は、まだ本多・榊原の残る戦場を見て、心の中で叫ぶ。
――真田信之……やはり、やはりあ奴めか!!
信之軍五千が、遂に豊臣の包囲を突破。向かうは勿論、『本陣』であった。
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「あの狸親父め、まさか儂を前線に追いやるとは」
政宗は直江・小早川攻めへの援軍に追いやられていた。政宗の兵力は五千、松平忠輝の三千と併せて八千の兵を率いて前進している。奇襲をかけられ、当然本陣を固める策に出るかと思われた家康のまさかの采配に、政宗は自身があまりに抜身であった事を悟った。
「自覚はあったつもりであるが、のう」
この采配により、政宗は動きにくくなった。以前信之に話した通り、信繁の奇襲に乗じて自分も徳川を攻めるつもり予定であった。だが、信之の加勢を得られない以上兵力が足りないため、家康の暗殺に軌道修正するつもりだったのである。
だが、その思惑すら阻まれた。家康は政宗を物理的に遠方へ追いやる事で、暗殺を回避したのである。片倉重長と共に、苦虫を潰したような顔で馬を走らせる。
「如何なさるのです、殿」
「もはや、やる事は一つ。徳川の為に……む?」
政宗の独眼に飛び込んで来たのは、『真紅の六文銭』であった。猛然と突進してくる信繁が、移動中の政宗の軍と鉢合わせた。
「父上、あれは……」
「伊達か! 家康は目の前ぞ、相手にとって不足はない!」
政宗の軍勢を確認した信繁は燃えた。ここで政宗を蹴散らして勢いをつければ、あの家康を……。そう思うだけで体が火照る。
一方の政宗主従も、信繁の姿を確認してしまった以上、見逃すわけにはいかない。
「一当りするぞ、小十郎」
「御意! 皆の者、相手は『あの』真田ぞ、油断するな!」
「はっ!」
徳川の御曹司である忠輝の手前、交戦は避けられない。政宗としては軽く捻るつもりであった。が……。
「何だ、あの騎馬は!? 全く怯えを知らぬのか!?」
「水野、本多、榊原らの徳川軍を悉く蹴散らした我が騎馬隊! たかだか一万余りで止められると思うな!」
信繁は四千の騎馬と後に続く歩兵で、全く止まらずに伊達兵を突き崩していく。流石の政宗も、今の信繁の勢いを止めることは出来ない。何せ騎馬に恐怖が伝搬しないのでは、どうしようもない。今に限って言えば、信繁はこの大坂で誰よりも強い将である。
「小癪な、二代目片倉小十郎が相手じゃあ!」
血管を浮き上がらせ、勇んで槍を振り回す重長だったが、政宗が右肩に触れる。『無用』と言っているのだ。
「小十郎、道を開けてやれ」
「は?」
「さりげなくだ……良いな? 突き崩されたフリをしろ」
「……ははっ!」
少しづつ、少しづつ陣形を変えて行く。まるで信繁に道を示す様に。そしてあっという間に、信繁は伊達・忠輝軍一万を通過して駆けて行く。
「義父上!」
「忠輝様、申し訳ござらぬ。奴らの尋常ならぬ突破力に面喰った様で」
「父上の本陣が危ないのでは? 引き返しましょうぞ、今なら真田を挟み討ちに出来る」
「いえ、恐らく他軍に援軍要請を出しているはず。それよりも我らはこのまま直江・小早川討伐に向かいまする」
「そ、そうか……」
若い忠輝は政宗を義父、そして軍略の師として信頼していた。それを巧みに利用する政宗の頭の中には、信繁が家康を討ってくれる、という期待が仄かに存在していた。
政宗と信繁は同年である。四十八を迎えてなおあの若々しさ。政宗は信繁の活躍に、不覚にも心躍ってしまった。
「やってみせろ、我が友の弟。儂の儚い夢を……」
忠輝に気づかれぬように呟いた政宗が前方を見やると、冷や汗が額を伝った。もう一つの、『黒地に金』の六文銭が、猛然と駆けて来たからである。
「やれやれ、忙しい十二文であることよ」
家康本陣、混沌の激突まで、あと数刻。
※方円の陣……八陣の一つ。大将を円で囲む様な防御陣形。
続きは金~日曜を目指します。
当初の予定と変わって、少し物語は長引きそうです。




