第八十八話 大軍消滅
可児吉長と薄田兼相は、平野川(もう堀は無いが)側から攻めよせる二万の大軍とガプリ四つに組んでいた。
「おらおら、堀を埋め立てさせた癖に、未だに二の丸すら攻略できぬとはなぁ!」
「徳川何するものぞ! やはり城攻めは不得手と見える」
程々に挑発を混ぜつつ戦う姿は、吉長の老練な手練手管を実感させる。感情を煽る事が、戦場で如何に大切かを分かっているのだ。攻めを単調にさせることで、防衛戦は幾分楽になる。
「可児殿、時間に注意されたし」
「応、分かっておる。が、何なのじゃこの策は? むざむざ不利になる様な……」
「某にも皆目見当つきませぬ。が、伝心殿の仰ることですから」
吉長と兼相は、昌幸(伝心)から指示を受けていた。申の刻になったら、ジワジワと圧されている『フリ』をしろ、という指令である。
何人もの主の元で、五十度以上の戦に立ち会って来た吉長には、敢えて退却を演じるという策が如何に有効な物かは分かっていた。だがそれは、飽く迄野戦の話である。この防衛戦において、ワザと二の丸を明け渡す意味が分からなかった。
――だがあの軍師が耄碌爺で無い事もまた、分かるのじゃ……。
故に吉長は、指示に従う。有能な上司の指示に間違いはない。彼の長い人生で学んだ事であった。
「む、どうした薄田」
「いえ、何か……」
兼相は、ちらりと見えた本丸の姿に何か違和感を覚えた。あの荘厳な大坂城が、どこか心もとなく見えた。
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木津川口で奮闘する明石全登、木村重成は昌幸の指示通り、申の刻に後退する。
「今じゃ、圧せ圧せ!」
「敵は士気が下がっておるぞ! 大坂を制すは今じゃあ!」
当然、敵の士気はうなぎ上り。指示とはいえ、この状況で味方の士気を維持するのは難しい。昌幸の指示は、下がっては圧し、また下がっては圧す……という難題であった。
「明石殿、我らは……」
「言うな長門守(重成)! 伝心の言葉は信用できる。今はただ従うのみじゃ!」
「は……はっ!」
ジワリ、ジワリと時間をかけて、本丸へ徳川軍が近づいて行く。守る大阪勢三万、攻める徳川勢六万。その六万の兵全てが、二の丸と本丸の間に攻め寄せている。
「ここまでは作戦通り……よし、可児らと合流し、最後の奮戦じゃ!」
「さ、最後とは!?」
「え!?」
全登は、自分の口から出た言葉に重成ともども驚いた。そしてその瞬間、体が作戦の意図を頭より先に汲取っている事に気づく。
「そうか、我らは……」
「あ、あのエセ軍師! 我らを嵌めたというのでございますか!?」
「馬鹿、お前はズレとるのぉ、長門」
「可児殿!? しかし我らは……」
平野川口も本丸入口まで圧され尽くし、吉長と兼相が合流する。二人の顔もまた、全登の様に悟っていた。
「我らは援軍無く籠城しているのだぞ。乾坤一擲、死中に活を求めると言うが、俺にいわせりゃ『死中』に入る前に手を打っておかねば勝てる物も勝てぬさ」
「はぁ?」
「乾坤一擲の前に、最善な状況にしておくんだよ。それが俺達だ」
「生贄ではございませぬか」
「馬鹿、誉じゃ。我ら三万を攻めるのに、敵は何万来てくれる」
「……あっ」
「そう言う事じゃ。何と誇らしき哉」
吉長は状況と裏腹に、本当に誇らしい顔をしている。
「戦一筋六十余年、最大の武功は関ヶ原かと思うたが……間違いなくここであるの」
「さて、行くか」
「重成、行くぞ」
「……ああ、某も誇らしい! ウォオオオオッ」
この上無く不利な状況で、大坂側から鬨の声が上がる。その声は、床に伏せった昌幸にも届いた。
――まるで、我が兄達を見ている様じゃ。命を残さず使い切る勇敢さ……。
ブフッ。
昌幸の手には、鮮やかな血の色が乗った。
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「時間との勝負でござるな」
玉造口に控えている勝永が信繁に話しかける。二人にはそれぞれ一万の兵が割り振られた。だがその分、二人は多大な役目を背負っている。
「騎馬は二人合わせて六千騎か。多いのか、少ないのか……」
田辺城から連れて来た馬や、兼続が入城時に集めたもの、更に買い足した馬……全て合わせたものである。通常ならば全体に対する騎馬兵の数は、一割以下である。正面に集結した六万の兵の中の騎馬兵が、何と全てこの二人に与えられたのである。常識外の割り振りであった。
「合図が聴こえたら、直ぐに突撃でございまするか。狼煙の類でござろう」
「いや、毛利殿。狼煙ではございませぬ」
「は?」
「合図は、もっと雄弁な物と心得ておりまする」
信繁は大坂城の天守閣を見つめながら、静かに語る。勝永には、信繁の複雑な感情は読み取れなかった。
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「ぬおおお、一人でも多く道連れにしたらぁ!」
大坂城。遂に本丸まで圧し込まれた可児吉長らは、体中に走る乳酸を振り払いながら刀を振るう。その中で吉長は、室内戦だと言うのに槍を手放さない。
「可児殿、天井に引っかかりまするぞ」
「じゃかぁしい、『笹の才蔵』にはいらぬ心配じゃあ!」
そう言うと突きのみで、二人、三人と刺していく。槍術では如何に相手の武器を踏み、奪うか、という点に焦点が当てられるが、室内戦だと相手は必然的に刀を使う。その状況で槍を縦横無尽に振り回せるなら、一対一で負ける道理はない。
「そうりゃああ!」
今は齢六十を超える指揮官であるのに、まるで若い一兵卒の様な運動量であった。喉を掻っ切っては、死体の口に笹を咥えさせていく。家臣には次々に獲られる首の重さが辛く、それ故に生まれた知恵である。
例え論功行賞が行われないとしても、必ず証拠は残していく。功名一心、常に戦場に身を置いた男の生き様であった。
だが、その生き様にも終焉の時がやって来た。
「十人では足りぬ! 二十人でかかれ!」
「ぐわっはは、それよそれ! もはや普通の戦場は飽いた、趣向を凝らさねば、のう!」
矢継ぎ早に一人一人が飛びかかるのではなく、円を描くように囲んで圧殺する。吉長には露払いをする部下がいたが、それらも全て死人となった。
「ぬおらっ」
「ぐふぅッ」
それでも隙を見て、利き手側の敵兵を串刺しにする。その重さを利用して、肉体を刺したまま槍を振り回す。
「化物めが!」
「そうら、地獄への道連れは後何人かのう! フハハハ、ハ……?」
突然、膝が床に落ちた。一瞬、吉長は何が起こったのか気づかなかった。落城を目前にした緊張感と、戦いから来る昂揚感が、彼に筋肉の痙攣を気づかせなかった。
老いからは、逃げる事が出来ない。肉体のそれなら、尚更であった。
「い、今じゃあああ!」
無数の切り傷が吉長の体に刻まれた。痛いはず、苦しいはず。だが、それより先に感じるものがあった。
――こんなにも……熱い……ッ。
「可児殿!?」
「才蔵様ぁぁーッ!」
勝家、光秀、利家、成政、正則らの猛将の元で、何時、何時でも先駆けて来た。将にも民衆にも愛された華を持った男、可児才蔵吉長。享年六十二、大坂城本丸に散る。
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「伝心殿!」
明石全登と木村重成が、天守閣の昌幸の元へ駆けて来た。吉長と、薄田兼相の戦死を自ら伝えるために。
だが、昌幸こそ虫の息であった。
「ヒュー、ヒュ……」
「で、伝心殿! 無理をなさるから、言わんことではない!」
「どう、ふぅ、なっておるか」
「あなたの指示通り、敵軍を本丸に『入れるだけいれましたよ』」
その言葉を聴いた瞬間に、昌幸は飛び起きた。
「真か」
「ええ、早く合図を送って頂きたい」
「何?」
「するのでござろう、爆破」
昌幸は、全登という男を低く見積もった事を後悔した。意図を理解できるのは信繁と兼続、親次ぐらいだと思っていたのだが……。流石は宇喜多家の大黒柱と、認めざるを得なかった。
「だが貴殿は馬鹿だ。城が無ければ、後の事は如何するのだ」
「さぁのう」
「さぁは無いだろう。秀頼様が生き延びられたら、そこからが大変なのだ」
「『あの家』が何とかしてくれるであろう」
「あの家?」
その時、遂に階段にまで敵兵が登って来た。本丸の激戦は、徳川軍に軍配が上がった様である。
「時間が無い、合図を教えて下され」
「火薬庫の起爆が合図よ」
「なっ……」
「儂が行くつもりであったのだ。だがここ一番で、うっ……発作、が……」
「伝心殿!」
「某が参ります!」
重成が名乗り出た。全登は若い命を散らす事を躊躇したが……。その瞳に気圧された。諦めていない諦めの表情。勝利を捨てず、命を捨てる。戦国の、特に若者では珍しくない事であった。
「秀頼様のお役に立てるならば」
「長門守……」
「すまぬ若人。恨むなら儂を存分に恨め」
「恨み申しませぬ。真田の軍略ならば、必ず徳川を討てると……信じておりまする。御免!」
重成が風になる。睨み付ける全登を、昌幸は笑ってごまかした。
「あんな餓鬼でも、儂の正体を見抜きおるか」
「……」
「表裏比興、斬りたくば斬ってもよいぞ……うぐっ」
「……一番手柄は」
「決まっておる。天地がひっくり返ろうが、お主らよ」
「有難き幸せ。御免」
全登を見送る昌幸の視界は、半分以上が黒く塗りつぶされていた。
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「ふっ、家臣も散り散り、俺だけが残ったか」
走る重成は、正室・青柳の事を思い出していた。今年の一月に婚儀を終えて、まだ一年も経っていなかった。この戦いの直前に、別れの盃を交していた。最期の夜は、わんわん泣かれたのを覚えている。
まだ重成は二十二、青柳に至っては十九である。蝶よ花よと育てられた青柳にとって、今最大の悲劇が起ころうとしている。
――仲睦まじく老後まで……などと、俺も甘い事を考えたものだ。
和睦はなったと考えていた見通しが甘かったのもあるが、『自分だけは死なないのでは』と、どこかでそう考えていた自分が滑稽に思えてならない。
「いつ、どうやって死ぬか。それを思い描くのが忠臣ではないか。俺が間違っていたのだ」
死期を悟った重成は、満足感に溢れていた。冬と夏、重成の若さでここまでの功績を挙げたものはそうはいない。間違いなく歴史に名が残る。だが、それは秀頼に殉じてこその功名である。
――ここで逃げ出せば、全てがオシャカ。そう、この爆薬に火を点ければ……!
甲冑を脱いで、俊足を飛ばして火薬庫まで辿り着いた。ぼろきれの様な服装が誇らしい。これもまた、功績である。
「秀頼様、そして青柳……さらばでござる!」
その時、首根っこに力強い、後ろ向きの力を感じた。重成はそのまま、部屋の外側まで吹っ飛ばされる。
「こんな大功、貴様如き若僧に譲ってたまるか」
「て、全登……殿!?」
明石全登が、配下を引き連れて火薬庫に達していた。その配下数人が重成の体を拘束している。
「放さぬか! 明石様、これは某の仕事にございます!」
「貴様は元々、秀頼君の小姓らしいな。ならば最後、秀頼様の死ぬ直前まで側にいるのだ」
「全登様、まさか某を……」
「離れろ。 思い切り遠くへ連れて行くのだぁ!」
その合図と共に、いつの間にか駆けつけた重成の家臣が、主を引っ張って避難していく。
「長門ぉ! 運が良ければ、末永く幸せになれようぞ!」
「て、全登様ぁぁぁ!」
火薬庫に残ったのは、全登と家臣十数名のみ。残りは未だ、本丸で死闘を繰り広げている。
「済まなんだな、お前達」
「満足でございます。宇喜多の意地、存分に示せました故」
「儂も満足だ。では、地獄でな」
「御意!」
――秀家様、お達者で。
火薬庫に火が点くと同時に、その階にいる者がほとんど砕け散った。それに呼応して、各地点に昌幸が配置しておいた爆薬担当……言うなれば神風特攻を引き受けた者達が、続々と自爆していく。
「う、うあぁぁ!!」
「何だ、上の階で爆は……ギャッ」
被害は一次、二次それぞれで莫大であった。本丸に突入した五万の兵が、次々に粉塵と化していく。
「に、逃げろ逃げろぉぉぉ!」
「無理だ、入口にも火薬……ガホォッ」
「ち、千切れた人間の体が飛んでくるぅ!!」
「止めろ、止めてくれぇぇぇ!」
何人の松永久秀がいるのか、徳川軍には見当もつかない。爆破を凌いでも、木片や人間の体が矢のようなスピードで飛んでくる。それは城外で備える兵達にも有効であった。混乱が混乱を、死が死を呼ぶ地獄がそこにある。大坂城が、牢獄と化し……攻め込んだ六万の兵が事実上、消滅した。三万の豊臣兵と共に……。
「うぎゃあああ!」
「おげぇぇぇぇ!」
昌幸は天守閣で、朦朧とする意識の中で爆破音を聴いていた。ヨロヨロと、天守閣の手すりに捕まって外を見る。出丸に翻るは真紅の六文銭。その遥か先に、微かに見えるのは……黒地に金の六文銭であった。
昌幸はそれが、岩櫃で家族仲良く過ごした我が家の庭とダブって見えた。毎日の様に、庭や吾妻川で槍の稽古を繰り返した二人の息子が……。今、比べ物にならない規模の、戦争という現実の中で対峙している。
「ク、ククク……まさかこの儂が最後に執るのが、こんな馬鹿の様な策とはな。齢を取ったわ……愉快じゃのぉ、源三郎よ」
ヒューヒューと言う自らの呼吸音が、爆破音と混ざって耳に『心地良い』。昌幸にとって、戦争とは人生その物だった。自らが育て、敵視した最高傑作に、手塩にかけた肉薄者が挑もうとしている。この図を見れる幸せが、昌幸の頭から死の恐怖を引き剥がす。
「ありがたや、我が息子達……願わくば、最後に見せてくれ」
昌幸は気を失いそうなほどの大声で、聴こえるはずもない信繁に向かって叫ぶ。
「これで五分じゃ、弁丸ぅッ! 仇花、咲かせてみせよ!」
声は届かずとも、爆発の音は合図となって届く。燃え落ちる大坂城。豊臣軍、決死の策。その火蓋は文字通り切って落とされた。
続きは木・金曜です。




