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Twelve Coins Of Hades ―戦国真田十二文銭―  作者: 大培燕
第八章 夏の陣、究極の策 ―信繁灼熱篇―
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第八十六話 捨て身の忍

「何だ……!?」


 退却してきた後藤軍を接収した信繁の胸を、熱い何かが打った。又兵衛の最期を詳細すぎる程に聞いたせいである。

 まるで小田原の時の自分以上の武勇。そんな事が人間に出来るのか、どれほどの覚悟で宗茂に向かって行ったのかを想像するに、頭より先に体が理解したらしい。頬を涙が伝う。


「前方の敵、退却した模様!」

「そうか……」


 前方にいた片桐、溝口軍を奇襲で退却させた信繁は、昌幸へ報告すべく筆を取り始めた。


「後藤殿、天晴でございました」


 信繁は六文を握りしめた。


                    ******


「まさか、立花の輜重隊がのう……」

「申し訳ござらぬ」


 家康は不機嫌であった。如何に相手が死兵とはいえ、正面を攻める時に限っては野戦でやられているではないか。忠朝が作ってくれた勢いが又兵衛によって止められてしまった。輜重隊以外にも手痛くやられている。


「まぁ、後藤又兵衛を討ち取ったのだ。まずは祝着じゃ、諸将に報せよ。指揮官の首を競って獲るがよい」

「……」

「何じゃ宗茂、その方の栄誉であるぞ」


 敢えて宗茂を褒める家康だったが、あの又兵衛の気合いが大坂城全体に伝染していたらと考えると、流石の宗茂でも不安であった。


「三方向からの攻めが理想じゃが、しばらくは木津川口、平野川口の二方面で攻めようぞ。そちの兵は傷ついておる故、しばらくは下げて休ませよ」

「はっ」

「宗茂」

「何でございましょう」

「強いか、敵は」


 一瞬口ごもったが、宗茂は隠さなかった。


「強うございます。くれぐれも、細心の御注意を切らしませぬよう」

「……肝に命じるとしよう」


                    ******


「頼康」

「はっ」

「如何に思う」


 水野、立花に代わって真田丸正面に回されたのは、信之であった。十分な距離を取っているため、当分は開戦の兆しはないが。

 信之はこの戦況に思う所があり、頼康に意見を求めた。


「如何に、とは」

「宗茂が篠山に砲台を運んだとて、出丸が壊されるだけ。そうなったら城に逃げ込んで、本来の籠城戦を始めるまでの事だ。にも関わらず、損害を無視して大筒の機能不全を狙って来た。向こうの軍師がな」

「確かに、妙でございまするな」

「恐らく、お前の考えている通りだ」

「え?」


 信之は顎髭を摩りながら続ける。


「あの出丸を残す事に意味がある。正面から攻めさせぬ事に意味があるのではなかろうか?」

「まぁ、攻める方角が限定される方が守りやすくなりまする。その考えは……」

「普通ではない。幾らなんでも後藤又兵衛、長宗我部盛親という猛将を失ってまでする事では無い」

「その心は?」

「……陽動」


 頼康が顔をしかめる。実は、彼も信之と同じ結論に辿り着いていた。二人はずっと敵の軍師の指揮下で戦ってきたのだ。今迄の合戦の記憶から、その腹の内を、ぼんやりと読めていたのである。


「敵を両脇に分散させ、頃合いを見計らって中央に奇襲をかける」

「その分散のために、必要なのが信繁様と出丸、と?」

「然りだ。つまり、我らのすべきことは」

「信繁様に気づかれぬように、篠山に大筒を運ぶ?」

「流石は頼康。全て見通しておったか」

「茶化さないで下され。殿、お下知を」


 しかし大筒を運ぶには人数と手間がかかる。そして何より敵の斥候にバレれば、宗茂と同じように奇襲を受ける筈である。


「南から大筒を運ぶしかない。大御所様に伝令を」

「しかし信繁様なら、草を放っているやも」

「かもな……然らば如何する」

「こちらも忍を放ちましょう。均衡した状態でなら、こちらに分があるかと」

「よし。才蔵を呼べ」


                   ******


「後藤、長宗我部を失うとは……クソッ!」


 城内では可児吉長、明石全登らの諸将と秀頼・昌幸が軍議を行っていた。中央の出丸での被害と戦果が、あまりにも目まぐるしいためである。


「家康とて、攻城戦でいたずらに兵力を損なう事が愚策である事は承知していよう」

「ならば、伝心殿の作戦通りと言う訳か」

「左様。ここまでは」

「その効果は、早速両翼に現れておりますぞ」


 二人は木津川口、平野川口において、二の丸での攻防戦が激化している旨を報告した。


「よし、ここからは出来る限り相手を消耗させる」

「一ヵ月が目安となりましょう。では、我らはこれで」

「ゴフッ、ゴフッ! お待ちなされませ」

「伝心殿?」


 再び戦場へ戻ろうとする吉長と全登を、昌幸が呼び止める。


「ご老体、自愛した方が良いぞ」

「心遣い痛み入る。されど、一ヵ月はやはり長いでのぉ」

「何?」

「奇襲は……七日後に変えようと考えておりまする」

「何ぃ!?」


 昌幸の発言にその場の将が仰天する。一週間では、相手の兵力をほとんど削れない。兼続と親次が昌幸を睨んだ。


「些か承服しかねるが……考えを聞こうではないか」

「志賀殿は、このまま家康が一ヵ月も二方向のみの攻撃に甘んじるとお思いか?」

「そのための真田丸ではないのか、伝心殿」

「そうじゃ。あの立花ですら一杯食わせたではないか」

「左様。しかし、時間が経てば敵は必ず、ゴハッ……真田丸を攻略しにかかりましょう」

「何故ぞ」

「敵には、あ奴が……真田弾正大弼がおります故」

「信繁殿の兄か?」

 

 その名を聞いて、兼続が眉間に皺を寄せる。考えてみれば、ここにいる者達の所領が無くなっているのも、関ヶ原で信之が起死回生の手を打ったからである。忌々しい存在であった。


「奴がいたらどうだと言うのだ」

「弾正は真田丸正面から動きませぬ。これは恐らく、信繁の動きを測っているかと」

「真田は次に如何する?」

「フー、フー……恐らくは、真田丸の破壊に動くはず」

「如何して? 自ら攻めて来ても、結果は今までと変わるまい」

「ゴフッ……大筒を、南から運ぶかと」

「何と!?」

「故に、一週間かそこいらで真田丸は破棄せねばなりませぬ」


 出丸が崩れれば、三方向からの城攻めとなる。そうなれば外に味方のいない大阪軍は、ジリジリと追い詰められ始める。


「皆々様、覚悟を決められよ。正面が手薄になっているうちが勝負にございます」

「直江殿、小早川殿。どう思われる?」

「儂は伝心殿に賛同致す」

「小早川殿と同じく。だが、本当に弾正が大筒を用意しているなら、機動力が落ちているはず。まずそこを突いてからだ」

「どう突くと?」

「奇襲だ。俺と信繁が行って参る」


 昌幸の考えを読んだ信之だったが、更にその考えを昌幸と兼続に阻まれようとしていた。


                   ******


 次の日の夜、信之は才蔵に指令を出していた。大筒を運ぶ際に、奇襲を完全に防ぐ事が肝要。そのための見張りを立てるためである。


「というわけだ。才蔵、砲台の動きを悟らせるな」

「ははっ」

「思えば、長かったのぉ、お前とも」

「これで最後の様な事を仰らずとも」

「この戦が終わったなら、お主も里でゆっくりでき様な」

「忍に休息など必要ありませぬ。死ぬまで殿にお仕え申す」

「愛い奴よ。行け」

「はっ……殿」

「何だ?」

「殿こそ、ゆっくりお休みください。殿は真田家の灯にございまする」

「……ああ」

「御免」


 才蔵の表情は、どこか哀愁が漂っていた。年は信之と大体同じ。十八の頃から、同じ戦場を駆けて来た戦友である。いくら休む様に言っても、休んで来なかった出来人。信之は才蔵なしではここまで来られなかったとすら思っていた。


「よし、これで大筒を篠山に運ぶ準備が出来た。大御所様に連絡を……」

「御注進!」

「何だ、信繁に動きが?」

「はっ、真田丸から、こちらに攻め込む軍勢あり!」

「何、俺の考えを読んだと言うのか!?」


 真田・直江の軍が二千の兵を連れて、篠山前方に陣を張る信之に奇襲をかける。信之は大筒の動きを悟られないために、やや前方に出てきてしまっていた。


「不味いな。篠山に退こうにも間に合わぬ」

「ここは榊原殿らに援軍要請を致しましょう」

「無論だ。だが、最低でも一撃は耐えねばならぬな」


 信之は手早く鉄砲隊と弓隊を準備させる。出し惜しみしている状況では無い事は、戦漬けだった長年の経験からハッキリと分かる。砲台の準備に人数を割いてしまった分、信之の手駒は少ない。だが上手くすれば、大筒を使わずに真田丸を落とせるかもしれない。


「右翼を狙うぞ……よし、放てぇ!」


 ありったけの火縄銃が火を噴いた。兄弟対決の幕が開く。


                    ******


 と思われたが、実際には信繁は三千の兵とともに、真田丸に留まっていた。


「佐助」

「はっ」

「儂が臆しているいると思うてくれるなよ」

「左様な事は……」

「御家老は様子見じゃと申された。ならば、ここで儂の手の内を兄上に見せるのも勿体が無いのだ」

「承知しておりまする」

「勝負は、最後の突撃じゃ」


 そう呟いた時、自陣に歓声が轟いた。雑兵達がなにやら喜んでいる様子である。前方で人垣を作っていた兵達が、わらわらと分散していく。


「何だ!?」

「おい、お前達! 勝手に持ち場を離れるな!」

「いえね、味方が徳川の敵陣から、酒を奪って来たんでさぁ」

「……何だと?」


 自軍はそれほど勇ましかっただろうか。喜んでいいやら、叱っていいやらという戦果であったが、ともかく敵も来ないと知っている兵達の気は緩みに緩んだ。


「何とした事だ、これは」

「殿さま! 敵方から奪った酒でごいす、是非ご賞味を!」

「信繁様、なりませぬ。まず拙者が毒見を」


 家臣がずい、と信繁の前に出る。信繁に酒を献上しようとした男はあからさまに不機嫌な顔を見せた。


「おらぁ、殿さま喜ばそうと思うて、命懸けで奪って来ただ!」

「ふざけた事を。真に信繁様を想うなら、毒見をさせて当然であろうが」

「どけったらどけ!」

「それ以上言うと、斬り捨て……」


 そういいかけた家臣の喉を、刃が貫いた。佐助が瞬時に反応し、信繁を後方にやる。


「曲者ぞ! 出合え、出合えーッ」

「ふっ、このザルさ、真田の兵とは思えぬな」

「貴様……才蔵か!?」

「信繁様、御命頂戴!」


 才蔵の部下たちもほっかむりを脱ぎ、乱戦を始める。才蔵の狙いはただ一つ、信繁の首である。


「兄上の命か!?」

「某の独断にござりまする! 兄弟が御命を奪い合うなど、これ以上あのお方に背負わせはしない!」

「信繁様、某にお任せを!」


 才蔵の短刀を、佐助が受け止める。二人の血走った視線がぶつかり合う。


「おのれ才蔵! 信繁様は討たせはせぬぞ!」

「佐助、お主が信繁様を止めておりさえすれば!」

「我が主が、歴史の陰に埋もれて行くのを黙って見ておれるかぁぁぁ!!」

 

 佐助の手裏剣を、才蔵が紙一重で交す。頬に裂傷が生じたのも気にせずに、強烈な前蹴りを放つと、佐助は後方へ吹っ飛んだ。


「喰らえ!」

「何のッ!」


 真下へ降ろした刃を、転がりながら二発、三発と避けて行く。上手くかわしたと思った佐助だが、その隙に才蔵は信繁の逃げた方向へ疾走する。


「させるか!」

「邪魔をするな!」

「信之様の名声まで落とす気か、愚か者!」

「俺がやらねば、あの方自身の手で信繁様を殺してしまう。それだけはさせられぬ!」

「戯言を!」


 拳を二発、三発と放つ二人。その全てをかわし、全てを捌く。昌幸が息子達に与えた、一流の忍同士の攻防。それが信繁の目の前で繰り広げられる。

 才蔵は焦っていた。油断させて見事に侵入したとはいえ、ここには数千の兵がいる。時間をかければ信繁を逃がしてしまう。


「どけぇ!」


 才蔵の強烈な一太刀を受けた佐助が後ずさる。才蔵は出来た空間を見逃さず、火薬玉を投げつける。


「うわっ」

「さらばだ、佐助」


 佐助の周囲が真っ白に染まり、才蔵の姿を見失う。気配でようやくどの方向に行ったか分かる程度であった。そして才蔵は真っ直ぐ、信繁へと駆け寄る。


「弟君、御覚悟を!」

「兄上は良き忍を持った……」


 才蔵は驚いた。超軽量級である忍の素早い動きに、信繁はついて来るではないか。暗殺は容易だと思っていた才蔵に、更なる焦りが生まれる。


「慶次郎殿も、お前と全く同じことをした」

「えっ」

「頼まずとも、部下が命を捨ててくれる。やはり兄上は、天下人の器であるな」


 才蔵は覚悟を決めた。この男を殺すには、刺し違えるしかない。


「うおぉぉぉ!!」


 才蔵はついに体ごと、信繁に突進する。だが。


「才蔵、貰ったぞ!」

「なっ」


 佐助はわざと大きな掛け声をかけ、自身に隙を作った、訓練された才蔵の体は、隙だらけの佐助の胴を逃す事が出来ず、反応を止められない。


――ズブッ。


「かっ」

「はっ」


 佐助の胴を才蔵の短刀が、才蔵の体を信繁の長刀が斬っていた。二人は痙攣し、喉からそれぞれの主君の名を発している。


「のぶ……しげ……さま」

「佐助!」

「歴、史に……名を……」

「喋るな。手当を」

「ゴフッ」


 断末魔と共に血飛沫が信繁の頬にかかる。その様子を、かろうじて才蔵も見ていた。


――信之様……先に逝っておりまする。


 昌幸の見出した二人の忍の結末は、相討ち。享年は、共に不明であった。


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