第八十三話 二つの軍議
「殿、真田左衛門佐、ただいま参りました」
「よう参った。ほれ於市、そなたの父君が参ったぞ」
「父上!」
秀頼と話していた信繁の次女・於市が、信繁の元へ駆け寄る。
「これ於市! 殿の御前であるぞ」
「あ……ご、御容赦を、殿下!」
「よいよい。信繁、よう参った。親子水入らず、楽しき時を過ごせ」
「ありがたき幸せにございます」
信繁は秀頼に呼ばれ、大坂城に人質として大坂に入れている愛娘・於市の元へやって来た。最後かも知れない面会のためである。
「息災か?」
「はい。秀頼様にも『よくして頂いて』おります」
「左様か。ならば、今後の事を話しておこうと思う」
「今後、でございまするか?」
信繁は於市の両肩を掴むと、力強く説いた。
「良いか。この戦、どちらに転ぶかは未だ分からぬ。徳川の優勢だが、気合はこちらに分がある。故に、儂と大助はこの城と運命を共にする覚悟じゃ」
「左様な事を! 生きて帰って下さいまし」
「最悪の場合の話をしておるのだ! 黙って聴かぬか!」
信繁の剣幕が於市を黙らせた。信繁は強張った顔を無理に笑顔へと造り替え、続ける。
「儂が死んだら……そなたじゃ。そなたが生き残れば、この戦勝ちじゃ。そう思うて、儂の為に兄上の所へ逃げよ」
「父上……」
「何があってもじゃ。あ、阿梅(三女)の心配はいらぬぞ、考えてある。なに、飽く迄最悪の場合の話じゃ。案ずるな、儂は生きて戻る」
ポンポン、と頭を撫でてくれる父の優しい顔が、於市に別れを悟らせる。
「上田に嫁いだ阿菊(長女)も、きっと助けてくれよう。お主も蟄居中に嫁がせてやりたかったが、すまなかった」
「その時は私は病気で、生死の境におりましたから。助かったのが奇跡だと、医者も仰っていたではありませぬか」
「そうだ。一度失った命じゃ、しっかり守れ」
「……父上」
「もうお主一人の命ではないのだ。絶対に、絶対に死んではならぬぞ」
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信之の向かった方角が東であったため、真田家臣団は焦った。
「まさか、このまま進み江戸を襲う気では?」
「信繁様の味方をなさるのか?」
様々な憶測が飛び交ったが、そうでは無かった。向かった先は因縁の地、甲州天目山である。付近まで来ると、信之が何をしたいかという事を皆気づく事が出来た。信之が頭を垂れ手を合わせると、頼康や才蔵ら家臣も皆それに倣った。
――勝頼様。最後の戦いとあい成りそうでございます。無力な小僧に、どうかお力添えを願います。
「すまなかったな、皆の者。行くぞ」
信之は西進を開始した。再びの戦勝報告と弔いを、天におわす主に約束した。
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大坂城では、主だった諸将を集め軍議が行われていた。
「では伝心、頼む」
「……」
「伝心!」
「……ッ!? ははぁっ!」
顔を覆う諸将が続出する。昌幸はもはや、朦朧としている状態であった。病による全身への苦しみ、老齢ゆえの免疫力の無さが、謀将の頭に雑音の侵入を許す。生きている事が奇跡である。
それでも、昌幸以上の軍才を持つ者などいない。彼がこの場を取り仕切るしかないのだ。だが以外にもこの軍議の場こそ、昌幸にとって何よりの治療でもあった。血湧き、肉踊る場であった。
「ゴフッ……では、説明し申す。方々、心して聞かれよ」
歴戦の各将が息を飲む。伝心の正体が昌幸であるという事、勘の良い者はもう勘付いている。徳川を二度も破った伝説の策士の講義。それ故の緊張であったかも知れない。
「まず、南の出丸に真田殿、それに長宗我部殿に入っていただく」
「冬と同じではないか」
「同じでござる。ゲホッ、まず、この出丸の有効性を、家康に再確認してもらう」
「上手くいけばよいが」
「必ずうまくいきまする。この出丸と真田・長宗我部ならば」
咳き込む伝心の自信が、各将に伝わる。何せ冬に二万以上の前田軍やその他を撃退した真田丸である。顕在している事が頼もしかった。
「さて、問題はそこからでございます。敵は南からの侵入を諦め、側面からの攻城戦に切り替え申す」
「で、あろうな。問題は前回の和議の際、外堀を埋め尽してしまった事だ。木津川口、平野川口共に、天然の堀による防備がウリであったのに」
「ゴホッ、志賀殿の申す通り。大坂城は今や、そこいらの城と変わりありませぬ」
「伝心殿、何という事を申すのじゃ!」
「しかし現にて、仕方のない事にございます。されどこの通常の城、中々どうして持ちこたえる物にございます」
昌幸は、籠城の天才である。大坂城でなくとも、指揮次第で籠城は可能な事を誰よりも知っていた。
「平野川口は可児殿、木津川口は明石殿に守っていただく。この側面の防衛に全力を傾け、籠城いたしまする」
「待て。冬もそうであったが、これは援軍のない籠城ぞ。籠城を続けても、光明などなにも生まれぬではないか」
兼続がすかさず意見する。それは諸将にとっても気になるところであった。だが死にかけの昌幸の眼が不敵に光るのを見て、諸将はずい、と体を寄せた。
「籠城は、十日から十五日間程度、続けまする。ゲホッ、ゴホッ! さすれば家康も気づかぬうちに、戦力は大坂の東西に偏る」
「まさか……」
「左様。最低限の兵のみを残して、家康の本陣……恐らくは茶臼山か更に後方でござろう。そこへ、七万の兵力を持って突撃をかけまする」
ざわつき、どよめき、歓喜する。誰もが同じ感情の表し方をした。これほど燃える軍議が、果たして今までの自分達の人生であったであろうか。
「七万……! 全体の半数以上か」
「将軍家はどうする」
「家康討たば、混乱し兵は更に分散。返す刀でゆっくりと討てばよろしい」
「おおお……! 流石は伝心殿じゃあ」
「乾坤一擲、博打だな!」
「博打ではございませぬ。この一打、必ず家康に届きまする。ゴフッ……この伝心、そこに疑いがござりませぬ」
「これは……勝てる! 我らは勝てるぞ!」
昌幸は激しくせき込んだ後、秀頼に目くばせをする。秀頼は力強く頷くと、紙を滑らかに広げて叫ぶ。
「では、陣立を言い渡す!」
「ははっ」
「一番隊! 可児才蔵吉長、薄田兼相!」
「はっ!」
「二番隊! 明石全登、木村重成!」
「御意に!」
「三番隊! 後藤又兵衛基次!」
「はっ」
「四番隊! 毛利豊前守勝永!」
「はいっ」
「五番隊、長宗我部盛親!」
「ははっ」
「六番隊、真田左衛門佐信繁!」
「はっ……」
「七番隊! 志賀親次、小早川秀秋!」
「身命を賭して!」
「そして八番隊、直江山城守兼続!」
「承ってございます」
「以上だ。皆の者、豊臣のため、最後まで力を尽くしてくれ」
「ははあっ!」
吉長がニヤリと笑って諸将を見渡す。
「方々、抜かるでないぞ?」
「お主こそ、敗因を作るでないぞ」
「親次、金吾様を死なせるなよ」
「兼続殿は殿を頼みますぞ」
活気があった。勢いもあった。冬の戦いで、五分の和睦に持ち込んだことが生きていた。
冬の陣に比べて、守備兵は減った。大坂は十万、対する徳川は十五万。籠城戦とはいえ、圧倒的不利である。それでも諸将の顔には、勝利への確たる自信が現れていた。
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一方、近畿入りした家康もまた、諸将を集めて軍議を行った。家康と秀忠を上座に、若々しい諸将がズラリと並ぶ。
「方々、長旅ご苦労であった」
「ははあっ」
「景勝殿も大儀である。遠征費は任されよ」
「ありがたき幸せ。上杉の名に懸けて、豊臣家を討伐致しまする」
「政宗殿、松平兵の様子は如何に?」
「旺盛にございまする。勝ち戦は間違いございませんな」
――抜け抜けとよく言う。儂が隙を作ると思うなよ。
腹芸を着々とこなす景勝と政宗に、家康は内心で舌を打った。信用できない大名から顔を背けると、今度は宗茂と信之に尋ねる。
「さて、真田弾正、立花侍従。戦に聡いそなたらの考えを聞こう。此度の大坂城攻め、どう見られる」
「外堀の埋まった大坂城、恐るるに足りませぬ。されど、恐るべきは彼奴等の数」
「ほう?」
「関ヶ原の際の田辺城攻めの兵……浪人衆だけでなく、そのような強兵をも今だ手中に収めている。大坂城の『軍師』ならば、間違いなくその兵を使って奇襲を企てまする」
「奇襲、か……」
昌幸の実子、最も血の濃ゆい真田一族である信之の言葉は、家康にとっても説得力があった。
「必勝法がございます」
「聞こう」
「時間をかけることにございます。我らにとって最も怖い事は、奴らが一丸となって本陣へ突貫する事。時間をかけて疲弊させ、兵力を分散させる事こそが肝要」
「あの出丸は如何する」
「排したい物でございますが、一当りして以前と変わらぬならば、捨て置かれるが良いかと」
「うむ。宗茂はどうか」
「某も、真田殿と同意見にございます。本陣を茶臼山もしくは岡山以南まで下げた上で、時間をかけた城攻めをすべきかと」
宗茂も同意する。しかしこの提案に焦ったのはその場にいた諸将である。家康の指示では、兵糧の持参は小量で良いという事であった。用心深い鍋島や島津、前田は別だが、一ヵ月程度の食糧しか持参していない大名が多い。
「兵糧は御心配なさるな。徳川が全て賄わせていただく」
「は、はぁ……」
信之と家康の連携であった。兵糧の提供によって恩を売れば、諸将の裏切りの情は薄れて行く。秀吉がい小田原合戦の時に財力に物を言わせたように、家康は諸将の兵糧を支配したのである。
「先鋒は井伊直孝、並びに藤堂高虎に申し付ける」
「はっ!」
「お待ちを!」
「何かあるのか、忠朝」
「某にも、先鋒をお申し付け下さいませ」
「忠朝殿。お控えなされ」
「何卒!」
忠朝は冬の陣で失態を犯している。諸将には、忠朝の心の内が伝わってくるようであった。
――華々しく、先陣として死なせてほしい。
「大御所様、将軍様。先陣は井伊殿、藤堂殿のみがよろしいかと」
「義兄上!」
すかさず信之が釘をさす。みすみす小松の弟を死なせるわけにはいかない。この決戦で手柄を立てれば、名誉挽回はなるのだ。天晴な覚悟だが、死に急ぐ事は無い。
だが。
「よかろう。先陣は変えぬが、本多忠朝を次鋒と致す」
「ありがたき幸せ!」
「大御所様!」
「弾正、儂の決定ぞ。異議は認めぬ」
「ぐっ……」
平伏する忠朝の顔には、解放の嬉しさと悲しさが混じっていた。
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軍議が終わると、忠朝の陣に信之と忠政が鬼気迫る形相で駈け込んで来た。
「兄上……が二人も……でござるか」
「忠朝ッ!」
「二郎、お主死ぬ気だな!?」
忠朝は地面に向かってほほ笑んだ。その痛々しさ、潔さが二人の胸に刺さる。
「確かに武士としては名誉ある最後ぞ! だが、生きて汚名を雪ぐ事こそ」
「戦で負った屈辱は、戦でしか払えぬ……父上が良く言っておられました」
「だから、戦で晴らすのだ! 生きて、功を挙げる事で」
「その戦がッ! もう無いではござりませぬかぁッ!」
忠朝の剣幕に、忠政は圧された。気弱だった弟の中に、一瞬ではあるが父を見た。
「……本多には兄上がおられる。だから、私は華々しく散らねばならぬのです」
「不孝者が! 左様な事をして、父や儂が……姉上が喜ぶと思うのか!」
「忠政」
信之が激昂した忠政を宥める。ここは自分に任せろ、と言わんばかりに。
「忠朝、俺は小松に、お前の事も毎回頼まれて来た。だがお前も官位を賜り、一廉の人物になったと思うておったが……どうやら見込み違いだった様じゃ」
「義兄上、何を申される」
「そなたは、十万石の大名ぞ。大名ならば、大将ならば一番最後に死ね。部下の最後の一人まで、塵芥が如く使い捨てよ。それが将たるものの務めぞ!」
「……分かり申した。義兄上の言うとおりにござる」
――駄目だ。こいつは覚悟を決めている。
生返事であった。忠朝は信之に、自分の事に構うな、信繁との戦いに集中しろと言っている。その潔さは、まごう事無き一廉の将であった。
「俺は、弟を二人も失いたくはない。それだけは忘れないでくれ」
「はは……心配めさるるな。本当なら、三人で酒でも酌み交わしとうございますが……生憎今は酒を断っておりまする」
「死ぬな」
「死ぬなよ」
二人の兄に感謝しながら、忠朝は自陣に戻って行った。
大坂城へ、徳川軍が進軍を開始した日。灼熱の一月が始まる。
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