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Twelve Coins Of Hades ―戦国真田十二文銭―  作者: 大培燕
第八章 夏の陣、究極の策 ―信繁灼熱篇―
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第八十三話 二つの軍議

「殿、真田左衛門佐、ただいま参りました」

「よう参った。ほれ於市おいち、そなたの父君が参ったぞ」

「父上!」


 秀頼と話していた信繁の次女・於市が、信繁の元へ駆け寄る。


「これ於市! 殿の御前であるぞ」

「あ……ご、御容赦を、殿下!」

「よいよい。信繁、よう参った。親子水入らず、楽しき時を過ごせ」

「ありがたき幸せにございます」


 信繁は秀頼に呼ばれ、大坂城に人質として大坂に入れている愛娘・於市の元へやって来た。最後かも知れない面会のためである。


「息災か?」

「はい。秀頼様にも『よくして頂いて』おります」

「左様か。ならば、今後の事を話しておこうと思う」

「今後、でございまするか?」

 

 信繁は於市の両肩を掴むと、力強く説いた。


「良いか。この戦、どちらに転ぶかは未だ分からぬ。徳川の優勢だが、気合はこちらに分がある。故に、儂と大助はこの城と運命を共にする覚悟じゃ」

「左様な事を! 生きて帰って下さいまし」

「最悪の場合の話をしておるのだ! 黙って聴かぬか!」


 信繁の剣幕が於市を黙らせた。信繁は強張った顔を無理に笑顔へと造り替え、続ける。


「儂が死んだら……そなたじゃ。そなたが生き残れば、この戦勝ちじゃ。そう思うて、儂の為に兄上の所へ逃げよ」

「父上……」

「何があってもじゃ。あ、阿梅(三女)の心配はいらぬぞ、考えてある。なに、飽く迄最悪の場合の話じゃ。案ずるな、儂は生きて戻る」


 ポンポン、と頭を撫でてくれる父の優しい顔が、於市に別れを悟らせる。


「上田に嫁いだ阿菊(長女)も、きっと助けてくれよう。お主も蟄居中に嫁がせてやりたかったが、すまなかった」

「その時は私は病気で、生死の境におりましたから。助かったのが奇跡だと、医者も仰っていたではありませぬか」

「そうだ。一度失った命じゃ、しっかり守れ」

「……父上」

「もうお主一人の命ではないのだ。絶対に、絶対に死んではならぬぞ」


              ******


 信之の向かった方角が東であったため、真田家臣団は焦った。


「まさか、このまま進み江戸を襲う気では?」

「信繁様の味方をなさるのか?」


 様々な憶測が飛び交ったが、そうでは無かった。向かった先は因縁の地、甲州天目山である。付近まで来ると、信之が何をしたいかという事を皆気づく事が出来た。信之が頭を垂れ手を合わせると、頼康や才蔵ら家臣も皆それに倣った。


――勝頼様。最後の戦いとあい成りそうでございます。無力な小僧に、どうかお力添えを願います。


「すまなかったな、皆の者。行くぞ」


 信之は西進を開始した。再びの戦勝報告と弔いを、天におわす主に約束した。


                     ******


 大坂城では、主だった諸将を集め軍議が行われていた。


「では伝心、頼む」

「……」

「伝心!」

「……ッ!? ははぁっ!」


 顔を覆う諸将が続出する。昌幸はもはや、朦朧としている状態であった。病による全身への苦しみ、老齢ゆえの免疫力の無さが、謀将の頭に雑音の侵入を許す。生きている事が奇跡である。

 それでも、昌幸以上の軍才を持つ者などいない。彼がこの場を取り仕切るしかないのだ。だが以外にもこの軍議の場こそ、昌幸にとって何よりの治療でもあった。血湧き、肉踊る場であった。


「ゴフッ……では、説明し申す。方々、心して聞かれよ」


 歴戦の各将が息を飲む。伝心の正体が昌幸であるという事、勘の良い者はもう勘付いている。徳川を二度も破った伝説の策士の講義。それ故の緊張であったかも知れない。


「まず、南の出丸に真田殿、それに長宗我部殿に入っていただく」

「冬と同じではないか」

「同じでござる。ゲホッ、まず、この出丸の有効性を、家康に再確認してもらう」

「上手くいけばよいが」

「必ずうまくいきまする。この出丸と真田・長宗我部ならば」


 咳き込む伝心の自信が、各将に伝わる。何せ冬に二万以上の前田軍やその他を撃退した真田丸である。顕在している事が頼もしかった。


「さて、問題はそこからでございます。敵は南からの侵入を諦め、側面からの攻城戦に切り替え申す」

「で、あろうな。問題は前回の和議の際、外堀を埋め尽してしまった事だ。木津川口、平野川口共に、天然の堀による防備がウリであったのに」

「ゴホッ、志賀殿の申す通り。大坂城は今や、そこいらの城と変わりありませぬ」

「伝心殿、何という事を申すのじゃ!」

「しかしうつつにて、仕方のない事にございます。されどこの通常の城、中々どうして持ちこたえる物にございます」


 昌幸は、籠城の天才である。大坂城でなくとも、指揮次第で籠城は可能な事を誰よりも知っていた。


「平野川口は可児殿、木津川口は明石殿に守っていただく。この側面の防衛に全力を傾け、籠城いたしまする」

「待て。冬もそうであったが、これは援軍のない籠城ぞ。籠城を続けても、光明などなにも生まれぬではないか」


 兼続がすかさず意見する。それは諸将にとっても気になるところであった。だが死にかけの昌幸の眼が不敵に光るのを見て、諸将はずい、と体を寄せた。


「籠城は、十日から十五日間程度、続けまする。ゲホッ、ゴホッ! さすれば家康も気づかぬうちに、戦力は大坂の東西に偏る」

「まさか……」

「左様。最低限の兵のみを残して、家康の本陣……恐らくは茶臼山か更に後方でござろう。そこへ、七万の兵力を持って突撃をかけまする」


 ざわつき、どよめき、歓喜する。誰もが同じ感情の表し方をした。これほど燃える軍議が、果たして今までの自分達の人生であったであろうか。


「七万……! 全体の半数以上か」

「将軍家はどうする」

「家康討たば、混乱し兵は更に分散。返す刀でゆっくりと討てばよろしい」

「おおお……! 流石は伝心殿じゃあ」

「乾坤一擲、博打だな!」

「博打ではございませぬ。この一打、必ず家康に届きまする。ゴフッ……この伝心、そこに疑いがござりませぬ」

「これは……勝てる! 我らは勝てるぞ!」


 昌幸は激しくせき込んだ後、秀頼に目くばせをする。秀頼は力強く頷くと、紙を滑らかに広げて叫ぶ。


「では、陣立を言い渡す!」

「ははっ」

「一番隊! 可児才蔵吉長、薄田兼相!」

「はっ!」

「二番隊! 明石全登、木村重成!」

「御意に!」

「三番隊! 後藤又兵衛基次!」

「はっ」

「四番隊! 毛利豊前守勝永!」

「はいっ」

「五番隊、長宗我部盛親!」

「ははっ」

「六番隊、真田左衛門佐信繁!」

「はっ……」

「七番隊! 志賀親次、小早川秀秋!」

「身命を賭して!」

「そして八番隊、直江山城守兼続!」

「承ってございます」

「以上だ。皆の者、豊臣のため、最後まで力を尽くしてくれ」

「ははあっ!」


 吉長がニヤリと笑って諸将を見渡す。


「方々、抜かるでないぞ?」

「お主こそ、敗因を作るでないぞ」

「親次、金吾様を死なせるなよ」

「兼続殿は殿を頼みますぞ」


 活気があった。勢いもあった。冬の戦いで、五分の和睦に持ち込んだことが生きていた。

 冬の陣に比べて、守備兵は減った。大坂は十万、対する徳川は十五万。籠城戦とはいえ、圧倒的不利である。それでも諸将の顔には、勝利への確たる自信が現れていた。      


                    ******


 一方、近畿入りした家康もまた、諸将を集めて軍議を行った。家康と秀忠を上座に、若々しい諸将がズラリと並ぶ。


「方々、長旅ご苦労であった」

「ははあっ」

「景勝殿も大儀である。遠征費は任されよ」

「ありがたき幸せ。上杉の名に懸けて、豊臣家を討伐致しまする」

「政宗殿、松平兵の様子は如何に?」

「旺盛にございまする。勝ち戦は間違いございませんな」


――抜け抜けとよく言う。儂が隙を作ると思うなよ。


 腹芸を着々とこなす景勝と政宗に、家康は内心で舌を打った。信用できない大名から顔を背けると、今度は宗茂と信之に尋ねる。


「さて、真田弾正、立花侍従。戦に聡いそなたらの考えを聞こう。此度の大坂城攻め、どう見られる」

「外堀の埋まった大坂城、恐るるに足りませぬ。されど、恐るべきは彼奴等の数」

「ほう?」

「関ヶ原の際の田辺城攻めの兵……浪人衆だけでなく、そのような強兵をも今だ手中に収めている。大坂城の『軍師』ならば、間違いなくその兵を使って奇襲を企てまする」

「奇襲、か……」


 昌幸の実子、最も血の濃ゆい真田一族である信之の言葉は、家康にとっても説得力があった。


「必勝法がございます」

「聞こう」

「時間をかけることにございます。我らにとって最も怖い事は、奴らが一丸となって本陣へ突貫する事。時間をかけて疲弊させ、兵力を分散させる事こそが肝要」

「あの出丸は如何する」

「排したい物でございますが、一当りして以前と変わらぬならば、捨て置かれるが良いかと」

「うむ。宗茂はどうか」

「某も、真田殿と同意見にございます。本陣を茶臼山ちゃうすやまもしくは岡山おかやま以南まで下げた上で、時間をかけた城攻めをすべきかと」



 宗茂も同意する。しかしこの提案に焦ったのはその場にいた諸将である。家康の指示では、兵糧の持参は小量で良いという事であった。用心深い鍋島や島津、前田は別だが、一ヵ月程度の食糧しか持参していない大名が多い。


「兵糧は御心配なさるな。徳川が全て賄わせていただく」

「は、はぁ……」


 信之と家康の連携であった。兵糧の提供によって恩を売れば、諸将の裏切りの情は薄れて行く。秀吉がい小田原合戦の時に財力に物を言わせたように、家康は諸将の兵糧を支配したのである。


「先鋒は井伊直孝、並びに藤堂高虎に申し付ける」

「はっ!」

「お待ちを!」

「何かあるのか、忠朝」

「某にも、先鋒をお申し付け下さいませ」

「忠朝殿。お控えなされ」

「何卒!」


 忠朝は冬の陣で失態を犯している。諸将には、忠朝の心の内が伝わってくるようであった。


――華々しく、先陣として死なせてほしい。


「大御所様、将軍様。先陣は井伊殿、藤堂殿のみがよろしいかと」

「義兄上!」


 すかさず信之が釘をさす。みすみす小松の弟を死なせるわけにはいかない。この決戦で手柄を立てれば、名誉挽回はなるのだ。天晴な覚悟だが、死に急ぐ事は無い。

 だが。


「よかろう。先陣は変えぬが、本多忠朝を次鋒と致す」

「ありがたき幸せ!」

「大御所様!」

「弾正、儂の決定ぞ。異議は認めぬ」

「ぐっ……」


 平伏する忠朝の顔には、解放の嬉しさと悲しさが混じっていた。


                     ******


 軍議が終わると、忠朝の陣に信之と忠政が鬼気迫る形相で駈け込んで来た。


「兄上……が二人も……でござるか」

「忠朝ッ!」

「二郎、お主死ぬ気だな!?」


 忠朝は地面に向かってほほ笑んだ。その痛々しさ、潔さが二人の胸に刺さる。


「確かに武士としては名誉ある最後ぞ! だが、生きて汚名をそそぐ事こそ」

「戦で負った屈辱は、戦でしか払えぬ……父上が良く言っておられました」

「だから、戦で晴らすのだ! 生きて、功を挙げる事で」

「その戦がッ! もう無いではござりませぬかぁッ!」


 忠朝の剣幕に、忠政は圧された。気弱だった弟の中に、一瞬ではあるが父を見た。


「……本多には兄上がおられる。だから、私は華々しく散らねばならぬのです」

「不孝者が! 左様な事をして、父や儂が……姉上が喜ぶと思うのか!」

「忠政」


 信之が激昂した忠政を宥める。ここは自分に任せろ、と言わんばかりに。


「忠朝、俺は小松に、お前の事も毎回頼まれて来た。だがお前も官位を賜り、一廉ひとかどの人物になったと思うておったが……どうやら見込み違いだった様じゃ」

「義兄上、何を申される」

「そなたは、十万石の大名ぞ。大名ならば、大将ならば一番最後に死ね。部下の最後の一人まで、塵芥が如く使い捨てよ。それが将たるものの務めぞ!」

「……分かり申した。義兄上の言うとおりにござる」


――駄目だ。こいつは覚悟を決めている。


 生返事であった。忠朝は信之に、自分の事に構うな、信繁との戦いに集中しろと言っている。その潔さは、まごう事無き一廉の将であった。


「俺は、弟を二人も失いたくはない。それだけは忘れないでくれ」

「はは……心配めさるるな。本当なら、三人で酒でも酌み交わしとうございますが……生憎今は酒を断っておりまする」

「死ぬな」

「死ぬなよ」


 二人の兄に感謝しながら、忠朝は自陣に戻って行った。

 大坂城へ、徳川軍が進軍を開始した日。灼熱の一月が始まる。

続きは来週です

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