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Twelve Coins Of Hades ―戦国真田十二文銭―  作者: 大培燕
第七章 冬の陣、虚実の大坂 ―兼続暗躍篇―
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第七十九話 病床の訓戒

「以上が、顛末でございまする」

「そうか。あ奴、逝きおったか……」


 信之は上田城で、才蔵の放った部下の報せを受けていた。慶次郎が信繁に討ち取られた事、そして大坂方が和睦考証の動きを見せた事。そのどれもが信之の胸を痛ませた。


「下がって良い」

「はっ」


 使いを退室させると、信之は深い溜め息を一つしたかと思うと、


――ゴンッ。


 畳に思い切り頭を打ち付けた。


「ダンナ!? 何をなさって」

「すまぬ……すまなかった……」


 その只ならぬ様子で、小松は様々な事を察した。誰に謝っているかを聞きもせず、小松は信之の背中を抱きしめた。


                   ******


「何という事だ。塙団衛門、大野治長まで討死とは」

「南の抜け駆けさえなければ、ここまで付け入られなかったというものを! 畜生が!」


 大坂城、軍議の席。可児吉長が椅子を蹴飛ばしている。塙団衛門は独断で蜂須賀軍に夜襲をかけたものの、家康からは夜襲警戒の命令が全軍に下っていたため、敢え無く撃沈した。大野治長は、大谷軍壊滅の勢いに乗った藤堂高虎軍の精鋭に討ち取られた。この二人は西・南門の守りの要だったため、軍の混乱は避けられず、敵の活動範囲を広げる結果となった。

 堀の水は徳川軍が作った堤防によって流れが変わり、空になる。こうなってしまえば、石垣の破壊活動は思いのままである。二十万の徳川軍相手に互角以上の立ち回りを見せていたはずの大坂方は、いつの間にか劣勢に立たされていたのである。


「役立たずどもめ。戦を知らぬ若僧はこれだから」

「止さぬか可児殿。そこまで言うなら、経験豊富な貴殿が塙を止めれば良かったではないか。それにお主が南にいたら、家康を前にして抜け駆けしなかったと言い切れるか?」

「儂が抜け駆けをしたかったと申すか?」

「したくて堪らなかった癖に。長い付き合いだ、それくらいはわかる」

「親次ぅぅッ!」


 元福島家臣だった志賀親次が、可児吉長と取っ組み合いの喧嘩を始める。


「止めぬか親次! 秀頼様の御前なるぞ!」

「はっ。申し訳ございませぬ」

「くっ……」


 秀秋の怒声で二人は拳を引っ込める。ピリピリした空気が陣内に流れた。こうなっては負け戦へまっしぐら、建設的な意見を出そうと諸将が頭を捻るも、時間だけが過ぎて行く。


「このままでは水脈は断たれ、石垣も壊される。それに厄介なのは、あの大筒じゃ」

「夜中ぶっつづけで大筒を放っておる故、兵が睡眠をとれぬ。脱走者まで出たという話ではないか」

「何せ相手には、立花がおる。家康も大筒を異国より買ったという話じゃ」

「おのれ、異国人の手まで借りよって……!」

「はは、なるほど。流石は宗茂、抜け目がないのう」

「親次ッ! 敵を褒めている場合か!」


 家康の砲撃により、各将も疲労とストレスが溜まっていた。親次の一言で、また喧嘩が始まろうとしたその時。


「あの」

「何じゃ! 木村長門」

「あの、軍師の様な方……伝心殿は、如何されたのです?」

「そう言えば、姿が見えぬが……」


 ざわつく諸将に、秀頼が口を開く。


「伝心は傷を負ったゆえ、他所で治療を受けさせておる。大事ない、気にするな」

「しかし、我らに指示を出して下さった殿に助言をしていたのは、あの者でございましょう? 是非、意見を聞きたいと皆思っておりまする」

「うむ……真田左衛門佐、そなたが聞いて来ては貰えまいか」

「某が?」


 黙っていた信繁が、使命を受けて秀頼の目を見る。その目が、『気を遣ってやったのだ、早う行け』

と言っている事が分かった。


「頼む」

「ははっ」


 そのやり取りを一人、直江兼続が眉間に皺を寄せながら眺めていた。


               ******


「佐助、蟻一匹通すなよ」

「承知致しました」


 佐助を見張りとして立たせると、信繁は昌幸の枕元に顔を覗かせた。


「父上、御加減は」

「信繁か……やはり、気合いで寿命は伸ばせぬものよ。もうガタが来てしもうたわ」


 昌幸は幽鬼の様に蒼白い顔をしていた。それでもなお、喉を震わせて信繁に熱弁するだけの気力を残している。何もないところから『それ』を生成できる、それが武田信玄の『目』とまで言われた昌幸の凄さであった。


「しかし、父上のおかげで城は落ちませなんだ」

「はは……撤退、前進の指示を的確に出すだけの、容易な仕事じゃからな。それを見極めるために、櫓から櫓へ、四方をてんてこ舞いであった故……些か疲れた」

「まだ負けてはおりませぬぞ」

「負けよ」


 その言葉を口にした瞬間、昌幸の体はぐったりとして力なく……無念さを表現していた。


「儂を負かすなど、あの小松よめぐらいじゃと思うていた。だが、家康はどこまでも大きかったという事じゃ」

「義弟の不始末でございます」

「慰めはいらぬ」

「万全の状態であった父上ならば。今一度、体勢を立て直すのでござる」

「和睦じゃな」

「然り」


 昌幸の声に力が戻った。自分の考えが、言わなくても信繁に伝わっていた事が嬉しかった。親子の阿吽の呼吸、滑らかな意志疎通は、何者にも勝る喜びである。


「考えを聞かせよ」

「このままでは全て崩される堀を、外堀だけ自ら埋めまする。それを和議の条件とすべし」

「妙案じゃ。だがそれだけでは退くまいて」

「退かせるだけの弁舌の持ち主が、我が方にはおりまする故」

「……直江か。奴は信用できぬが」

「敵として信用できぬお方でございますれば、こういう場合は信用できまする」

「ふっ、言うではないか」


 昌幸が体を興して筆を取り、サラサラと文面を書き起こすのを、信繁はジッと見る。父の一挙手一投足まで、残さず吸収するためである。『長くない』事を、二人とも悟っていた。


「直江にこれを渡せ。それに大野治房、※常高院様。この三人で交渉せよと」

「しかと、承り」

「渡す必要は無いぞ」

「何奴ッ!」


 背後からの野太い声に、二人は身構えた。『なりませぬ』と叫ぶ佐助を押しのけて、障子を開けた兼続が入って来る。


「間抜けが、佐助ぇッ! 通すなと申したであろう!」

「も、申し訳ございませぬ!」

「叱るな、阿呆。俺を使者にするのなら、意図が伝わっていなければ不味いだろうが」

「御家老、伝心殿は傷を負っておられるのです。うかつに入室されては」

「まだ左様な芝居を続けるのか? あまり俺を甘く見るなよ」


 兼続は不遜にも昌幸の首を座らせ、露わになっている顔をまじまじと見つめる。


「お前らがまだ信濃の小領主だった時代、何度交渉で顔を合わせたと思うておる」

「無礼であろう! 放されよ!」

「お前が臨戦体勢になっている事が、この軍師が真田安房である事の何よりの証よ。のう、安房守殿」

「もう良い、信繁。刀を置け」

「なれど」

「置け!」


 居合いの体勢に入っていた信繁は、兼続から視線を逸らさぬまま刀を置いた。そこでようやく兼続も昌幸から手を放した。


「言っておくが、余計に詮索するつもりはない。要件を尋ねに来ただけじゃ」

「事情は聞かぬと申すか」

「察しはつく。大方お主らは俺と同じ、燃え残った蝋燭ろうそくよ。徳川ともう一度戦いたい一心であろう」

「……」

「真田本家と敵対してまで、よくやる。あの男の苦しんでいる様が、目に浮かぶようだ。よき気味よ」

「……御家老。余計な事を申されておりますぞ」

「おっと失敬」


 信繁の眼光はなおも鋭い。思えば家族の事を話す時は、いつもこの目をして睨まれた事を、兼続は思い出した。


「どの様な条件が良いのだ、安房殿」

「外堀を埋める。それだけで済ませては貰えぬか」

「難しいな。人質を出さねばなるまい」

「淀の方様は、秀頼様が承諾されまい」

「俺の子を出す」

「御家老、それは」

「殺すという事だ。それほどの覚悟が無くて、大坂に入るものか」


 信繁の驚く様子が不満だったのか、兼続は溜め息をつく。


「俺を何だと思っているのだ」

「自分の不利益は、決して被らないお方かと」

「これが不利益だと思うなら、それがお前の限界だな。家族の情に捉われ、本来の力を出せぬまま終わる方が、武士にとって不利益だと思わぬか」


 上杉家を抜けてまで、上杉の意地を通そうとしている。だから、切れる物は全て切ってでも、全てを出し切る。兼続の凄みを、信繁は久ぶりに見た気がした。


「直江山城殿」

「おう、なんでござろう」

「頼んだ」

「承知。勝負は……」

「五、六月」

「そう、夏だ」


 三人の眼は、和議が成立する前から爛爛と燃えていた。


                   ******


 後日、和議の場が京極忠高の陣に設けられた。まさか兼続が出てくるとは思わなかった徳川方の交渉役・本多正純は仰天する。


「な、何故貴殿が」

「何故とは失礼な。お主と儂は親戚同士、其方の弟は元は俺の養子ぞ。これ以上ない適任ではないか」

「う、うむむ……」


 この奇襲で、会見の流れは兼続に握られる。正純は長期戦を覚悟した。


「徳川の条件を聞こう」

「城の堀、本丸を残して全て埋めたく存ずる」

「ははぁ。その方ら、この和議は方便じゃな? 再び攻めてくるから、裸城にしておきたいのだろう」

「滅相も無い。この和議はこちらの有利な条件で為さねば、優勢たる我が方の諸将に示しがつかぬ」

「ほぉ……優勢、のぉ」


 兼続は正純にずいッ、と近づくと密かに耳打ちする。


「実はこちらの『軍師』が、ようやく全快してのう」

「ぐ、軍師!?」

「俺では無いぞ。数に勝るお主らが、何故前半は攻めあぐねたか……納得のいく将が、こちらにはおる」

「だ、誰の事……」

「全てそ奴の書いた絵よ。和議がならぬなら、俺は再び奴の指揮下に入り先陣をきるまでだが」


 兼続は正純の額に汗を見た。どうやら、家康も昌幸の存在を疑っていたらしい。過剰に恐れているという噂は聞いていたが、効果覿面である。さらに一見不利な大坂方も、兵糧の買占めによる若干の有利がある。いけるかもしれない、と感じた兼続はここでダメ押しの脅迫に出る。


「……せめて、外堀と人質だけなら、俺が秀頼様に掛けあえるが。全ての堀となると、こちらも覚悟を固めるしか有るまいなぁ。徳川との城攻めは良く知っていると、確か軍師殿が」

「……った」

「聴こえぬ」

「分かった! それで、手打ちと致そう!」

「誓うか」

「この正純、誓って嘘は申さぬ」


 こうして兼続は和議をまとめ上げた。だが勝負は持ち越されたに過ぎないという事を、両者ともに分かった上での和議であった。


                     ******


「御家老が和議を纏めた様にございます」

「やはりな。奴の粘着質なら、上手くいくと思うたわ。お前の眼が確かじゃったという事だ」

「祝着でござる」

「その割に、浮かぬ顔をしておるな」

「左様な事」

「信之であろう」


 言い当てられた。信繁は内に流れる汗を、表情で隠す。


「左様な事はございませぬ。兄とは縁を切った身。父上と共にあるのみ」

「迷うな」

「迷ってなど」

「迷うな、弁丸」


 渾身の力を込めて、信繁の両肩を掴む昌幸。


「あの兼続の覚悟を見ても、お主にその余裕があるか」

「父上、御興奮なされては」

「次の戦、恐らく奴は出てくる……。奴を超える最後の好機」

「父上!」

「狙うは徳川家康。そして……」


 惑う信繁に、昌幸が獣の様に息を切らして笑いかける。兄弟が次にまみえるのは、五月。戦国最後の戦いでの事であった。



※常高院……関ヶ原・大津城の戦いで登場した京極高次の妻・初の事。秀頼の母・淀の方の妹。高次の死後出家した。

次は来週です。

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