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Twelve Coins Of Hades ―戦国真田十二文銭―  作者: 大培燕
第七章 冬の陣、虚実の大坂 ―兼続暗躍篇―
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第七十八話 あの日の一撃 ―慶次郎と信繁―

 慶次郎は大坂城の混乱を敏感に感じ取っていた。滝川家臣時代から、父の滝川益氏、義父の前田利久、そして叔父の前田利家と共に歴戦して来た将である。南の守りが崩れた事による機微の変化に気づくや否や、配下を誘って馬を飛ばした。

 大坂行を願った時から考えていた。一件健康優良、長生きしそうに見える信之は、もう精神が弱り切っている。家臣の前でこそ弱みを見せないが、付き合いの長い慶次郎には通用しない。

 三成を殺した事、信繁が敵に回った事が原因である事は明らかだ。これ以上戦が長引けば、きっと家康は信之を召喚し、後始末を言いつけるに違いなかった。交渉にしろ、攻城にしろ、信之ほどの適役はいない。


――それだけはさせてはならぬ。


 信之の出陣させる前に、この戦を終わらせる。終わらせられなくとも、信繁だけは討ち取らなければ、この無慈悲な戦国の事である。きっと悲劇は生まれてしまうだろう。


「さぁて、前田慶次郎利益。最後の大仕事じゃあ」


 配下を伴って、前田軍の先頭に慶次郎は立っていた。


「頼康殿に無断で、本当によろしかったので? 利益様」

「たわけっ」


 ペシッ、と扇で部下の頭を叩く。


「知らんのか? 儂はな、抜け駆けがだぁい好きなんじゃ」

「はぁ……」

「戦場の華よ。クックック」


 呆れた溜め息が周囲に蔓延した。生来の悪戯好き(七十過ぎ)の、最後の勇姿だからこそ。勝手に出陣、当たり前に勝つのが相応しい。

 大一番を前にしても、彼の口元からは笑みが零れていた。


「よろしいか方々……いざ、参るッ」


 かくして前田軍は再び真田丸へ接近した。


                ******


 信繁は、真田丸に仁王立ちしていた。南側は、大谷吉治軍壊滅の報せで混乱、藤堂高虎に掻き回されている。だが、信繁自身は義弟逝去の精神的ショックを見事跳ね除け、動揺していると思い込んでいる敵を真田丸で見事撃退していた。


「だがまだまだ敵は来るぞ。者ども、この調子で頼む」

「ははッ」


 だが、兵達は不安になっていた。出丸は大坂城の逃げ口の側に位置している。もし大坂城が敵の手に渡ったら、逃げ場が無くなってしまう。

 そもそも、どうなればこの戦は勝ちなのかという点が、徐々にぼやけて来ていた。戦果を挙げれば上げる程、真田軍の士気は混沌としていた。指揮の高い兵もいれば、低い兵もいる。所詮は烏合の衆である。それでも、軍として成り立っているのは初戦での信繁の策が的中した事が大きい。困った時でも、信繁なら何とかしてくれる、という気持ちが芽生えてきていた。

 と、そこへ前田軍が前進して来る。


「信繁様。先日追い払った前田がまた来ましたぞ?」

「ハハハ、奴らめ。また痛い目に遭いたいと見えまするなぁ」

「ハハハハ!」


 前田の旗を見て、信繁率いる真田軍は笑い出す。完膚無きまでに討ち果たした先の戦いで、すっかり自信をつけてしまったようだ。


「静まれいッ! お主ら、勘違いしてはおらぬか? 先の戦いは策で勝ったのじゃ! 油断すればこちらが呑み込まれるぞ!」

「うっ……」

「鉄砲隊! 準備致せ」


 信繁は兵の明らかな慢心を戒める。以前まで……初陣を果たした小田原あたりの時代なら、兵達と一緒に自分も慢心していたであろう。だが、昌幸に戦の心構えを叩き込まれた今はまるで違った。数に劣る防衛戦、一分の隙も相手には与えない。

 はずだった。


「む……? 殿、何者かがこちらへ参りますぞ。何と無防備な」

「何?」


 半刻睨み合った後、一騎のみが真田丸に近づいてきた。


「あれは……前田慶次郎ではないか!?」


 面識……否、因縁のある信繁が、その顔を見間違えるはずは無かった。


「ええッ」

「あの、傾奇者の!?」

「殿、御知り合いで?」

「左様、幼き頃より知っておるが……」


 その一言で、兵達は安心した。十中八九、旧交を温めに来たと思ってしまったのだ。


「弁丸ぅーッ! 久しぶりじゃのー! 名護屋で会って以来ではないかぁ!? あれ、最後は小田原であったかぁ?」


 擦れた声を張り上げて、慶次郎は幼名を叫ぶ。だが、慶次郎は佐助の報告では、信之の家臣となったはずだった。即ち敵である。当然、信繁は応答しない。


「弁丸ぅぅっ! 聴こえておるのだろうがぁぁ! 返事をせぬかぁぁ弁丸ぅぅぅ!」


 だがこうも幼名を連呼されたのでは、将としての威厳に関わって来る。攻撃の意志がないと判別した信繁は、仕方なく返事をする。


「お久しうござるなぁ爺殿! この信繁に何用にござるかぁ!」

「いやぁ、近くまで来たものだから。久しぶりにお主の顔を見たくなったのよぉ。近くへ来ぬかぁ?」

「……ふざけるな。今は戦時にござる。お断りいたす」

「器の小さい事だのぉ、相も変わらず」 

 

 慶次郎は嘲笑する。明らかな挑発であった。先程、前田軍は真田の挑発に釣られて大打撃を喰らった。今度は前田軍が挑発し、真田の前進を誘う魂胆が見え隠れしている。


「お主の兄ならば、こんな時は敢えて誘いに乗るものよ! どうだ弁丸、倣ってみぬか」

「兄上はそんな短慮な方ではござらぬ。陣へお帰り召されよ!」

「どうしても来ぬかぁ?」

「くどいッ! 老人らしく、茶でも啜っておりなされ!」


 真田軍から笑いが漏れる。我が殿を侮辱した報いだ、と言わんばかりである。だが、その『間』こそが慶次郎の狙いであった。


「そうか……どうしても来ぬというなら……」


 慶次郎と、愛馬松風の眼の色が変わる。


「――こちらから参るぞッ! はあッ!」


 一瞬、虚を突かれた。さっきまでは、殺気など全く出ていなかった。それ故に接近を許しはしたが、呆気にとられたのはそれだけではない。真田の兵は五千、接近を許したところで、攻勢に移る馬鹿はいない。目の前まで迫った男がその馬鹿だったのだから、虚を突かれずにはいられないのだ。

 戦馬鹿一代・前田慶次郎。まさかまさかの単騎駆けである。


「しまった!? 鉄砲隊、構えーッ」

「遅いわい!」

「放てッ」


 信繁の号令を耳で捉え、素早く右折する慶次郎。


――ヒュン、ヒュヒュン。


 駆ける松風の足跡を消すかのように、弾丸が慶次郎を掠めて行く。正面から迫る敵ならともかく、横の動きにはすぐには対応できない弱みを的確についた。


「行くぞ、信繁!」

「小癪也、爺殿! 第二射、弾込めよ!」


――パァンッ!


「何だ!?」

「ま、前田軍、鉄砲隊でござる!」


――しまった、爺は陽動か!


 慶次郎の挑発、その目立ちたくなくても目立ってしまう風貌が、信繁の注意を前田鉄砲隊から背けさせた。慶次郎に鉄砲を放っている間に、鉄砲の射程距離まで接近したのである。


「放て、放てい! 真田め、先日の借りを返させてもらう!」

 

 利常や本多政重の指揮で鉄砲隊が間髪入れず二射を放つ。未だ中距離とはいえ、流石の真田軍も無傷では済まない。


「負傷者多し、信繁様!」

「焦るな! この地の利を手放してはならぬ。鉄砲の打ち合いなら望むところ!」


 明らかに前田軍は乱戦を望んでいる。それが彼らの得意とするところであるからだ。五千と言っても浪人衆混じりの真田軍が、前田一万以上と当たって撃破できる確率は低い。ならばこの真田丸で応戦するのが上策。今の信繁なら、簡単な選択であった。

 しかし。


「弁丸ゥゥッ」


 一瞬、真田兵の誰もが目を疑った。空堀に張り巡らせた柵は、決して低くはない。人ひとりが乗り越えようとするなら、その隙に鉄砲か弓を撃ちかければ終わる、死の間。だがあろうことか、その老人――否、超人はその柵を……。


「飛び越えて来たぁッ!?」

「ギャッハハハァ! 見たかぁ、真田の軟弱兵ども!」


 松風を踏み台に、跳躍一番、慶次郎は何と柵の向こう側へ身を投げ出した。しかし、勢い余って受け身を取り損ねる。その身軽さを助けるために、当然甲冑も脱いでいる。


「いでっ!?」

「しめた! い、今じゃあ、前田慶次郎を討ち取れ! 」

「大物の首、褒美は思いのままぞ!」


――パァン!


「ぐがぁッ!?」


 前田の鉄砲隊が、単騎の慶次郎を援護した。距離が距離であるため、当然まぐれ当たりである。それでも、真田兵の腰を退かせるには十分だった。彼らは、遠距離戦の覚悟しか出来ていなかった。慶次郎の奇襲に対応できない。その隙を老将は見逃さなかった。


「ぐおらぁぁぁあッ」

「う、うわぁッ」


 皺のある肌をしならせて、老人が若武者を薙ぎ倒す。長く重い槍であった。


「情ッけないのう、それでもあの兄弟の部下か」

「臆するな、かかれ! 相手はトウの立った爺だぞ!」

「カチンと来るのう、手前ら」


 慶次郎は腰を落として、握力を最大まで出し切る。


「トウが立っとるかどうか、目ん玉かっぽじって……よおく見やがれ!」


 渾身のバネを使って、慶次郎は推進する。その体勢の予想外の低さに、体勢の高い若武者達は対応ができない。そして息を飲む間に、当て身を喰らわせられた。


「ぐむっ」

「餓鬼が、寝ておれ!」


 体重の乗った蹴りを喰らって吹っ飛ぶと、その体に推されて五人の兵が二次被害を受けた。その間隙を使って、慶次郎は距離を埋めた。


「きぇぇぇッ」


 切先で『刺す』と柄で『殴る』。この二つの動作を使い分け、瞬く間に五人を仕留めた。だが首を獲る暇もなく、次々に慶次郎に真田兵が襲い掛かる。


「何を、しゃらくせぇッ!」


 だが、その巨体は数の差をもって攻めても中々埋まらない戦力を持っていた。更に前田軍の鉄砲が、徐々に近づいて来る恐怖。真田兵は飲まれ始めていた。油断していれば、再び薙ぎ払われる。


「そうるあああッ」


 もう十人は殺していた。負傷者も含めたら三十人は倒しただろう。慶次郎の猛威に、真田軍は明らかに圧されていた。


「ぜえっ、ぜえ……くそ、この程度で息切れとは……儂も歳をとったわ」


 ゼーゼーヒューヒューと息切れをしている老人に、一太刀すら浴びせられない。かつて彼の叔父・前田利家は、本願寺攻めの殿をたった一人で務める鬼神ぶりで『堤の上の槍』と呼ばれた。だが、今の慶次郎はそれ以上の気迫を放ち、真田軍の壁となって立ちはだかっていた。このままでは、前田自慢の鉄砲隊が必殺の距離まで迫ってしまう。こうしている間にも間合いは詰まり、どんどん命中率は上がっているのだ。


――どうする。


 信繁は頭を働かせた。鉄砲の扱いは上々だったが、化物級が出てくると槍隊がこうも硬直するとは思っていなかった。可児吉長か後藤又兵衛を近くに布陣させるのだった、と悔やむ信繁。今の真田には、慶次郎に対抗できる武将はいない。


――いや、いる。一人だけ。しかし、それは……。

 

 迷っている間にも、慶次郎は進んで来る。蹂躙され、兵に怯えが生じてからでは遅い。本命は前田ではなく、家康・秀忠なのだ。今ここで兵が使い物にならなくなる事だけは避けたい。

 信之なら、狙撃させるだろう。だが今鉄砲隊は、相手の鉄砲をけん制する事で精一杯。反撃を止めればすぐに集中砲火を浴びてしまうだろう。


――もう、やるしかあるまい。


 信繁は覚悟を決めた。


「槍隊、儂と来い! 大助、佐助! 鉄砲の指揮を執れ!」

「と、殿! 何をなさるおつもりで」

「父上!」

「一刻を争うのだ! 言うとおりにせぬか!」


 剣幕で息子・大助と佐助を黙らせると、信繁は槍隊の先頭に立って慶次郎の元へ駆けて行く。そしてそのまま速度を緩めず、慶次郎にぶつかっていった。


「慶次ぃぃぃ!」

「何ッ!?」

「喝ッ」


 強烈な殺気を背後に感じ、慶次郎は振り向きざまに柄で刃を受け止める。体重をかけて信繁を押し戻すと、後ろに残した敵に後ろ蹴りを放ち遠ざける。

 ついに、二人は対峙した。


「一手、ご指南をお願いしたい」

「よいのか? お主は侍大将であろう」


 チラリ、と信繁は左右に眼をやった。ぶつかり合う二人の気概の間に入って来る者は、誰もいない。呆れたが、不覚にも嬉しかった。そんな状況ではないと言うのに、嬉しかった。

 そして、二人は円を描き始めた。


――ザッ、ザッ……。


 五千の将が一騎打ちなど、あってはならぬ事である。もしこの試合に信繁が負ければ、真田軍の崩壊は明らか。だが、慶次郎を放っておくわけにもいかなかった。

 そして引導を渡す。それもまた、自分に課せられた使命に思えてならなかった。


――ザッ、ザッ……。


 円が小さく、回転が早くなっていく。仕掛ける頃合いを見計らった、コンマ一秒の奪い合い。信繁は中断に槍を構え、中腰の低い体勢。対して慶次郎は、腰を落とさず上段に槍を構えていた。

 そして、兵士達が瞬きをするかしないか、その一瞬であった。


「ぜあッ」

「ふぬあっ」


 二人の切先が火花を散らせた。その一手から、激しい攻防が始まる。慶次郎が切先を突くと、それに兜を掠らせながら信繁が懐へ入り込む。だがその動きを読んでいた慶次郎は、膝蹴りを顎に放つ。その一撃が頬を掠めるも、加速した信繁の当て身で慶次郎が吹っ飛ぶ。


「ぐおっ」

「まだまだあっ」


 信繁は思い切り跳躍して慶次郎を踏みつける。身動きのできない状態で、心臓を一突きしようとする。だが、必死になった慶次郎は信繁の脛に強烈な拳を放つ。


「ぎあぁっ!?」

「懐かしい、思い出すのぉ、弁丸よ!」


――バキッ。


 渾身の右拳が、信繁の顔面を捉えた。前歯と共に、信繁が宙を舞う。意識を失うギリギリであった。

 慶次郎は泥にまみれながら、飛んでいった信繁を猛追する。鋭い刃で四肢をもぎ取ろうとするも、信繁は転々と転がって的を絞らせない。そしてその反動を利用して立ち上がり、構えを整えた。


「ゼェ、ゼェ……のう弁丸。達人同士の立ち会いはの、ふぅ~。どちらが勝つにせよ、一瞬で勝負が決まる物よ」

「ハアッ、ハァ……」


 信繁は集中し、息を整えている。慶次郎の目元から目線を逸らさず睨み付ける。


「歳をとったのお。我らのこの『泥試合』っぷり、儂もお主も、まだまだだという事じゃ」

「……」

「恐らく生きてさえおれば、お主にはまだまだ伸びしろがある。だからこそ……ッ」


 慶次郎が跳躍する。息の上がった信繁はすぐには動けない。重量のある一撃を最上段から加え、思い切り頭をぶん殴る。それで勝負は決まる。


――信之ともに、弁丸おとうとは殺させぬ!


 だが、その一手は七十の老人が放つには、余りに若すぎた。


――ジュブッ。


「かはっ」


 身を二寸、左に反らした信繁は慶次郎の重撃をいなした。そして、後の先で彼の胸元に決定打を撃ちこんだ。

 彼の口元から零れる、鮮血を身に浴びながら。


――儂とした事が、急いたわ。弁丸、信之。『ここから先』は辛いぞ。


「す……まぬ……のぉ……べん……のぶゆ……」

「う、うわぁぁぁ!」


――ザクザク、ドスッ。

 

 雑兵達が、ここぞばかりに慶次郎の背中に斬りつけた。慶次郎は白目を剥いて、信繁の足元に崩れ落ちた。信繁は膝をついて、滝の様な汗を流している。折れた歯の隙間から、口目がけてヒュウヒュウと風が迷い込む。


「殿、首を!」

「ハァ、ハァ……持ち場に戻れ。槍部隊、前田軍を追い返せ」

「殿!」

「早く行け! 余裕が今、我らにあると思うのか!」

「ぎ、御意ッ!」

 

 自分が出ざるを得ない状況を作った兵達を叱咤し追い払うと、信繁はゆっくりと慶次郎の亡骸を包み込んだ。


「あの日のあなたが憎かった。兄上の前で恥をかかせたあなたが。されど」


 右手を眉間に当て、ゆっくりと眼を閉じさせる。

 

「兄上についてくれた事、心から礼を申しまする。……御免。」


――ビシュッ。


 脇差が骨を削る音と共に、信繁の顔に動脈から血が飛んだ。それが、慶次郎の最後の一撃であった。


 天下御免の傾奇者、前田慶次郎利益。享年七十余の長く太い人生が、大坂に散った。

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