第七十五話 信繁、躍動
「かかれぇぇ!」
十一月十九日。木津川砦に蜂須賀至鎮及び浅野長晟が侵攻する。これを皮切りに大阪の陣が幕を開けた。戦国最後の功を逃すまいと息巻いた至鎮であったが、攻め手三千に対し守る明石全登は二千。容易に落ちる数では無かった。
「小癪なり明石。逆臣宇喜多の亡霊めが!」
「豊家の力で築きしこの砦、豊家を見限った貴様ら如きに落とせるか!」
兼続がかき集めた兵の増強は、徳川方の攻勢を楽々と凌いでいく。だが五日後、木津川に続き攻め入った鴫野村では、上杉景勝軍が目覚ましい働きを見せ大野治長らを蹴散らした。これが家康には驚いた。信用していいのか、警戒すべきなのか……。最初から疑ってかかっていたその判断が、ここで迷わされた。
「殿、大和川への援軍は如何なされます」
「むぅ……景勝を。これで奴を見定める」
「御意に」
続く大和川でも、佐竹軍が侵攻を開始していた。食い止めるため出陣のは若き侍大将・木村重成。そして……。
「伝心。如何に?」
「後藤殿が適任かと存じまする」
「うむ、左様にしよう。行ってくれるか、基次!」
「承知。一丁、揉んでまいりまする」
後藤又兵衛基次、その人であった。
「さて、ここらで佐竹の力は削いでおきたい。鉄砲隊、高地に上れ!」
「後藤殿、それは?」
「狙撃じゃ、狙撃! 儂らが言うのもなんだが、相手は大名同士の烏合の衆。相手の統率も削いでおけば、後々有利になるわさ」
基次の助言の元、重成は狙撃隊を指揮する。が、基次の本音は大名の軍勢に突撃を掛けたいという一心からであった。
――さぁて、渡辺新之丞の様な豪傑は、佐竹におるかのう?
「儂の後に続けぇぇ!!」
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「砦を占拠せよ! この勝成の手柄じゃあ!」
続く博労淵砦には、譜代大名の水野勝成が取り付いた。これは守り手である薄田兼相が、『女を買いに行って不在』という噂を耳にしたためである。今なら、労せずに砦を落とせるはずであった。が。
「あーあー。本当にいらっしゃったかよ」
「何ぃ!?」
本当の守将・可児才蔵吉長の流言であった。黒駒合戦に代表される勝成の好戦的性格を利用し、わざと手薄であると言う情報を流したのだ。
「本当は砲台の構築が命令だったんだろうが、まんまと嵌りやがったな。こんな要所、手薄にしてたまるかよ」
「小癪な、かかれぇ! 数で潰せ!」
「っしゃああああ!」
戦国史上でも武勇に優れた二人。その部下もまた優れた槍を誇っていた。が、砦内に誘い込んだ分、吉長に地の利があった。
「逃がすな、追い込ん……なっ!?」
「確認もせずおいでなすったわ。遠慮はいらぬ、横っ腹を突けぇー!」
砦の死角からの槍衾に、堪らず勝成は後退する。その後も両軍の援軍が来るまで、一進一退の攻防であった。
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大坂の兵力増強は、徳川方にとって余りに手痛かった。結局開戦から半月経っても、木津川を始めとする西側の砦は落ちなかった。架橋しなければ、木津川口から大坂城へは渡れない。だが砦を落とせない以上、当然邪魔されるため、橋は駆けられなかった。
「毛利水軍でもおればのう……。今は小早川は敵方。詮なき事か」
「殿、如何致しまする」
せわしない正純に、家康は舌打ちをする。打ちたくなかった手を打たざるを得なくなった。
「将軍家に伝えよ。南から攻めると。ただし、慎重を期する事を忘れるなとな」
「ははっ」
こうして、南東に陣を張った真田軍にも将軍家から下知が降った。気になるのはやはり、信繁が玉造口の目前に造設した『偃月城』、真田丸である。
「あの出丸は信繁の誘いに違いない。 絶対に乗ってはならぬぞ」
慶次郎は真田兵の五分の一、一千人を束ねる侍大将として布陣していた。総大将は信之の嫡男・信政とその兄であり信之の庶子・信吉であるが、実質的な司令塔は猛将・矢沢頼康である。
「慶次郎の申す通り。沼田や砥石で我らは幾度となく出丸を用い、大軍を殲滅して来た。身をもって恐ろしさは知っておる」
「となれば南から攻めるは得策にあらず。架橋し東を目指すべきでござろう」
「東を守るは……直江兼続か」
「御家老が? 面白い。儂が参るぞ」
慶次郎は若返ったかのように、部下と共に駆けて行く。こうして真田軍5000は直江軍7000の守る東口へ攻め上ろうとしていた。
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『狙うならば前田家だ。俺は前田の先鋒を、よーく存じて居るからな』
そう兼続は言っていた。信繁の守る真田丸、その正面に布陣した前田軍一万。先鋒を務める本多政重は、何を隠そう兼続の義理の息子である。
『奴は平均以上だが、まだ若い。血気盛んなあ奴ならば、誇りを汚されればこぞって押し寄せようぞ』
信繁は兼続を信じ、挑発を仕掛けた。声の通る佐助が先頭に立つ。
「前田軍、これほどに目と鼻を近づけながら動かぬとは、臆病千万なり! なるほど、加賀大納言は子孫の教育には失敗したと見える!」
誹りの声は、政重に届いた。血を滾らせて押し寄せるその様は、さながら上田合戦の徳川軍を思わせる。信繁はその場にいなかったが、信之から聞いた勝利の感覚が、既にその身に宿っていた。
「前方、全ての方角! 鉄砲隊構え!」
大坂城の金銀の力を使い、ありったけ用意した鉄砲隊が銃口を向ける。
「空堀からも進め!」
「二重三重に柵があり、容易に進めませぬ!」
「壊せ!」
「しかし、敵の鉄砲隊が!」
信繁は中々近寄らない本多隊を見て、自ら鉄砲を持ち二、三発放つ。
「皆の者、儂に吊られるでないぞ」
――パン!
銃弾は見事に明後日の方向へ飛んでいく。その様を見た政重は叫ぶ。
「見たか、あのお粗末な鉄砲を! あれが浪人衆の射撃じゃ、当たりはせぬ。構わず柵を壊せ!」
「オオオッ!」
勢いづく前田兵に、信繁はニヤリと笑う。
「来るぞ、儂の合図を待て!」
「そーれ、そーれ!」
第一の柵が倒される。だが、信繁の合図はまだ出ない。
「未だにござりまするか!」
「未だだ! 決して撃つな!」
第二の柵が倒される。
「殿ぉっ! まだでございまするか~ッ!」
「耐えよ! 必殺の間に入るまで」
「そーれ、そーれ! 倒せ倒せ!」
掛け声と共に、第三の柵が壊され、空堀のど真ん中に敵が入った……その時である。
「今だ! 放てぇーッ!」
遂に信繁の合図が下った。狭い空堀の中、敵は数千の大軍。訓練を積んだとはいえ、未だ練兵不足の真田軍。彼ら鉄砲が最も当たり易い場所と時を、信繁は自分が憧れた歴戦の将達と同じ様に……豊臣秀吉の様に、矢沢頼綱の様に、真田昌幸の様に……真田信之の様に見極めた。
「ぐああーッ!!」
「早く、早く堀から出ろぉッ!」
「無理だ、勾配が急すぎて……がッ、足がぁぁッ!?」
致命傷に至る者、至らない者。戦闘不能になる者、未だ動ける者。空堀の中には様々な状態の兵が入り混じる事となったが、その全てに言える事は、真田信繁とその配下に対する恐怖心であった。
「進め、昇らぬかぁッ!」
それでもなお、政重の指揮で堀を上ろうとする兵がいる。だが、その前進策も裏目に出た。
「政重様ァッ! 背後から、別の部隊が」
「何だとぉぉッ!?」
背後から政重隊を突いたのは、これが初陣の筈の信繁嫡子・真田大助幸昌であった。
「かかれぇッ! 父上の鉄砲にて、敵の指揮は落ちているぞ!」
「クソッ、退け、退けぇい!」
大打撃を受けた前田軍は、堪らず退かざるを得なかった。信繁率いる武力の結晶・真田丸では、大坂方の圧倒的勝利に終わったのである。無様に逃げる前田軍を目下に見ながら、兵は勝鬨を上げている。その中で喜びの中にあっても、信繁は独り言ちる。
――なるほど。これが兄上が十年以上前に見ていた景色か。
信繁の中では、前田軍の指揮、軍配者の性格、真田丸の構造……論理的に考えて当然の結果であった。それを当然と思えるほどに、信繁は信之のいる境地に住み着いていた。
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「なんだぁ!?」
平野川近くに布陣を変えた真田軍。その先陣を我先にと、壮年の慶次郎が駆けて行く。が、牧野・酒井ら徳川家の部隊に猛威を振るっていた直江軍は、慶次郎の姿を認めると踵を返して門へ戻っていくではないか。慶次郎は面喰ったが、追撃を掛けない手は無い。
「憶すな者ども! 直江兼続の首を獲っちゃれぇぇ!」
真田兵を焚き付ける。だが、慶次郎の気迫とは裏腹に遅々として行軍しない。
「なんだ、何をしておる!?」
「いや、なんというか……」
経験豊富な真田兵は、今兼続を追う事がどれほど危険かが身に染みて分かっていた。有利に戦を進めていた兼続が、少数の援軍が来ただけで撤退する意味とは……。
よく見れば、近場に布陣した上杉軍も微動だにしていないではないか。
「慶次郎、何を抜け駆けしおるか!」
「頼康殿、これは……」
「決まっておろう。む……他部隊が深追いを!? いかん、徳川兵に知らせるのじゃ!門に近づいてはならぬ!」
時すでに遅しであった。川を渡り、足腰に疲れが来た徳川兵を……当然の如く、大谷吉勝の軍勢が死角から蹴散らした。
「撃てぇ!」
「ふ、伏兵ーッ! 皆の者、引き返せぇッ」
その叫び声は混乱の呼び水であった。その光景を見て、頼康は一つの疑念を抱く。
――これは……この光景、この感覚……。大坂城に敢えて侵入させ、策を弄して大軍を塞き止めるこのやり方……?
頼康は遥か高みに見える天守閣に目をやる。
「いや、まさかな……」
「頼康殿、救援に行かねば」
「おう、若殿を後衛へ。無いとは思うが一応、上杉の裏切りにも注意を払え」
「御意」
頼康は、確信に近い予感を、胸にしまって軍配を揮う。例え不安要素に気づいても、それを周りに悟られない事……。頼康もまた、信之の戦法を実践していた。
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「出丸に潜む真田、それに長宗我部の軍が邪魔で、南門へは近づけませぬ!」
「他の三方からは如何に?」
「西の木津川方面は可児吉長らの守り固く、これも侵入能わず!」
「東は!? 上杉と真田は何をやっておる!」
「牧野殿以下は直江兼続の伏兵に引っかかった様子。真田殿が救援しておられます。上杉殿は分かりかねまする」
「たわけぇ!」
家康は伝令を叱責する。今尤も知りたいのは、景勝と兼続が連携しているか否かなのである。それを若い伝令が有難くない情報ばかり持ってくるのでは、家康でなくとも憤怒する。
「も、申し訳ございませぬ!」
「北は!? 且元(片桐)ならば、敵の抵抗も緩もうに」
「北は小早川軍……志賀親次の偽装に踊らされて」
兼続と全く同じ手を、親次は実行していた。元大坂方である片桐且元の一軍は、徳川有利の和睦交渉に逸るあまり深追いし、伏せていた秀秋の槍部隊に風穴を開けられた。
「どいつもこいつも……ッ! 七本槍の名が泣くと申せ、奮起を促せ!」
「池田軍も、後藤又兵衛に掻き回されている様で……唯一希望があるのは、毛利勝永と相対している本多・立花隊ですな。善戦しておられまする」
――抜かった。宗茂にもそっと兵を持たせていれば……!
五千石の与力に過ぎない宗茂に家康が預けた軍は一千に満たない。如何に宗茂と言えど、尖兵が過ぎればその武略も活かしきれないに違いない。だから『善戦』に留まっているのだろう。
「もう良い、行け!」
「はっ!」
伝令の背中から視線を上向けると、大坂城の影が見える。
「女の支配する城では、無かったのか……? 一体、この城の主は……」
戦を知らない女に城攻めの恐怖を思い知らせて、有利な条件で取り敢えずの和議を結ぶ。それが家康の狙いであった。だが家康は知らなかった。支配力のあった筈の太閤秀吉側室にして秀頼の母・淀の方が、数か月前から病で床に伏せている事を。今、城を支配しているのは、女達ではなかったのである。
大坂城、櫓から戦況を見守る秀頼と学僧がほくそ笑む。
「ここまでは上出来か? 伝心よ」
「及第点にございまする……ゴホッ」
「大事ないか!? すまぬ、今しばらく耐えて貰う」
「ご心配なく……」
学僧・伝心は、俯瞰でこの戦の図を捉え、伝令に指示を飛ばしていた。血が出る程に咳を出しながら……。




