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Twelve Coins Of Hades ―戦国真田十二文銭―  作者: 大培燕
第七章 冬の陣、虚実の大坂 ―兼続暗躍篇―
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第七十四話 偃月の出丸

「上杉殿、何か申す事があるのではないのか」

「ははっ。大御所様と将軍家の御為、この景勝! 誠心誠意努めまする」


 二条城。兼続の行動の弁明を求めた家康だったが、抜け抜けと言い放ってのける景勝に腸が煮えくり返っていた。


――今の徳川家なら、お主如きを消すのは容易いのだぞ!


 見せしめに景勝を斬ってみても良い。だがそれは余りにも下策であった。ここにいる上杉勢まで大坂城へ向かってしまう恐れがある。兼続が上杉家を生き残らせようとしているのは、奉公構などの策からも明白であった。すなわち、内応ではない。ならば攻城戦である以上、さらなる敵兵の増加は避けたい。ここはグッと堪えることにした。


「もう良い、下がれ」

「ははっ」


 景勝が下がると、正純が家康に薬を渡す。勿論家康の自作である。


「これでは、どちらが狸か分からぬではないか」

「当然、大御所様が狸であるわけがございますまい」

「ふっ、なるほどのう」


 正純は家康の機嫌をとるのに必死であった。何故なら、控えているもう一人の訪問者が、家康の憤怒を呼び覚ますかもしれなかったからである。


「もう一人おるのだろう。呼べ」

「はっ、しかし……」

「将軍家に文を書かねばならぬ。早ういたせ」

「はっ、ではしばし」


 と言って時間を稼ごうとした正純だったが、障子は独りでに開いてしまった。


「お初にお目にかかりまする」

「お初?いや、お主は……どこかで見えた事があるのではないか」

「大坂城、太閤様の御前で」

「……思い出した。横髷の男だな」

「おお、大御所様に覚えていて貰えるとは、利益望外の喜びでございまする!」


 現れたのは、前田慶次郎利益。真田信之の使者であった。


                   ******


 それは遡る事、二十日前であった。


「弾薬、弓矢をありったけ持っていけ。後のことは考えず、領国を空にする覚悟で支度を致せ!」

「殿、何をやっておられるのです?」

「戦支度の指示だろうが。見てわからんのか爺」


 慶次郎はポン、と信之の肩に手を置いた。煩わしく思った信之は肩を揺らしてその手を退ける。


「無礼者。何をする」

「殿は、この信濃を守って下され」

「何?」

「大坂には、儂と頼康殿で参る故」


 信之は慶次郎にゆっくり近づくと、思い切り拳を揮った。


「いっ!?」

「俺を愚弄するか慶次郎。俺が、たかだか弟一人を討つ事に躊躇うと思うのか」


 信之は、家臣の前ではいつでも気丈になれる。弱い姿を家臣に見せれば、そこから足元を掬われる……。人生哲学の一つであった。だから、信繁に対する情も、微塵も見せていないつもりであった。しかし、慶次郎や頼康には、悲しい程伝わってしまう。


「勘違い召されるな。儂ももう歳が歳ゆえ、これが最後の出陣となるやもしれぬ。ともすれば、最後の大戦。主導してみたいではないか? そう申し出ておるまで」

「嘘をつけ」

「ここは儂に譲れ友よ。のう?」

「俺が行かねば、大御所様の不興を買う」

「ならば、病という事に致せ。の? 殿は今から病じゃ」

「爺、貴様……」


 食い下がる信之だったが、今度は慶次郎を押しのけて乳兄弟・根津志摩が出て来た。信之はうんざりした顔をする。


「志摩、まさかお前もか」

「家臣団の総意にございます」

「総意などと……」

「この戦、決して大殿は御出陣召されるな」

「しかし」


 一斉に、甲冑の鳴る音がした。信之が虚を突かれるほどに息がぴったりに、家臣団が整列して跪いたのである。


「お前達、何をしておる」

「殿は何卒、この上田に留まってくださいませ!」

「馬鹿者! この大一番、当主が行かずして何とするか!」

「骨肉の争いが避けられぬならば、せめて! 兄弟での殺し合いは避けなければなりませぬ!」

「軟弱者共がぁぁ!」

「お願い致します!」「殿は病にござります!」「信繁様は、我らが討ちまする!」


――馬鹿共が。家の行く末ではなく、この俺の心配だと……!


 信之は、今まで信繁に対するそれ以上に、家臣に気を使ってきた。その『御恩』に報いる『奉公』の気持ちが今、全家臣から吹き出したのである。


「大丈夫だ。お主の息子達も、まとめて面倒を見る故」

「決して、真田の名を汚す戦模様には致しませぬ」

「志摩、慶次郎……」

「ダンナ」


 終いには小松まで出張って来た。信之が弱い自分を見せるのは、小松の前だけである。その小松が出てくると、もはや信之に勝ち目はない。


「当主たるもの、どっしりと領国で構えている物でございますよ」

「しかし、俺が行かねば」

「ここは慶次郎と頼康に、手柄を名を残させてやりましょう」

「ちっ……爺」

「はっ」

「抜かるなよ」


 信之は折れた。慶次郎と、そして矢沢頼康に全てを託し、上田城で病に伏せる事にしたのである。


                     ******


 そうして、信之ではなく慶次郎と頼康が家康の前に現れたという訳である。


「なるほど。弾正も、身内は可愛いというわけか」

「いえ、我が殿は病にて」

「もう良い、下がれ」


 家康は、信之に対するある種の失望を抱いた。戦国大名とは皆、身内との戦いを乗り越えて立身してきた人種だからである。家康も、嫡男と妻を処刑している。


「弟殺し、弾正には荷が重かったらしいですな」

「どう思う、内応はあると思うか? 政宗」


 幕の裏から、伊達政宗が姿を見せた。先ほどの会話は聞かれていたのである。


「弾正は奥方との繋がりが強く、徳川を裏切るとは露と思えませぬが……」

「弾正もまた戦国を生きた男じゃぞ? 完全に信用はおけぬ」

「……それは、某にても……同じでございましょうや?」


 二人の眼光がぶつかり合う。家康は政宗の瞳の中に牽制を見た。政宗は家康の瞳の中に疑心を見た。お互いがお互いを、煩わしいと思っている……二人は会ったその時から、ずっとそう思い続けている。

 この大坂に集ったのは、各大名の混成軍。仮に政宗が裏切ったなら、その混乱に乗じて家康を……。


「……そなたとは親類ゆえな。信之もそうだが、現にここにおらぬ以上は信頼できぬ。そう申したまでよ」

「左様でございまするか。『忠輝様はしかと御守り』しまする故、御心配なく」

「務めよ」

「ハハッ」


――忌々しい若造が! 忠輝を誑かす気か!? やってみよ、それがお主の首を絞める縄ぞ!


――忌々しい狸めが。この大坂は千載一遇の好機よ。虎視眈々と狙うておるぞ……その首を!


 大坂の陣。間もなく始まろうとしているその戦いは、家康と、潜在下で敵対する外様大名との戦いでもあった。


                    ******


 頼康らの到着から遡る事一月。信繁は秀頼と浪人衆に、城の南側に出丸を築く事を進言した。


「確かに北と東西に堀を張り巡らせた大坂城の南側は、唯一と言ってよい程の弱点よ。されど出丸を作るには、費用も人員もかかる」


 後藤又兵衛が理解を示しつつも難色を示す。信繁は、この言動をこう考えた。


――流石に後藤又兵衛、有用性は悟ったか。しかし自分に割り当てられた兵の疲労を考えている……?


「直江殿、小早川殿。どう思われる?」


 又兵衛は話を兼続と秀秋に振った。有力者であるこの二人の判断に委ねるのが、決定までの最短経路である。


「北は淀川、東西にも堀川、猫間……天然の要害故に徳川はまず南を目指す筈。無策は感心せぬな。俺は信繁に賛成だ」

「金吾様、某も真田殿の言は的を得ているかと」

「そうか……ならば反対する理由は無い」


 兼続と、志賀親次の助言を得た小早川秀秋の賛同を得た信繁は、さっそく玉造口の手前に曲輪ぐるわを造り始めた。


「これは……お主にしては見事な出来栄えではないか? 信繁」

「はっ。我と長宗我部殿の一部隊とでこの出丸に入りまする」


 そして一月後、兼続は信繁の建設した出丸を見物に来た。所詮『弁丸』の造ったものと思って見に来たが、その完成度には思わず唸らされた。


「お主、この様な図が描けるとは知らなんだぞ」

「父上と話し合って、当初から考えていた出丸でござる」


 兼続に続き、又兵衛、可児吉長、毛利勝永に長宗我部盛親、そして志賀親次が視察に来た。


「むぅ……」

「横長にして縦に短し。まるで小山……否。偃月えんげつの様な造りだな?」

「長宗我部殿の仰る通り。甲州武田家の曲輪を元に、某と父が考え申した」

「そういえば真田家は籠城戦の際、甲州流の出丸を多用していたと聞く。なるほど、少数で多数を相手するには打って付けよ」


 又兵衛や勝永、盛親が、戦の際の有用性を想像して唸る。さらに親次は、玉造口付近に足を運び地面に膝をつく。


「なるほど。この急な勾配(傾斜)、ワザと残したという事か。空堀までこしらえてある」

「左様にござる」

「ククク……この南のどこが弱点だと? 斯様な坂があっては、攻めようにも兵が進まぬわ」

「なんと。この構造を見聞した上で、南への築城を!?」


 信繁は吉長の問いにゆっくりと頷いた。


「これは、一本取られましたな」

「南が斯様にバタついておれば、徳川もこの南の守りを崩そうと思う筈」

「進軍方向、全てに壁を作った。しかもこの南は死の間じゃ……。いや参った。真田殿は多聞に漏れぬ戦上手の様ですな」

「儂なら小細工をせずとも討ち取れるが……まぁ、この様な策も良かろう」


 先日仲を違えた吉長でさえ、信繁の築城を褒め称えた。諸将の信頼を得た信繁の顔は、きっと綻んでいるだろうと兼続は思った、が……。

 哀愁が漂っている。おかしいと思った。これは、自分の知っている弁丸ではない。そう兼続に思わせる。この違和感の正体は一体何なのか。


「信繁」

「何でござる、御家老」

「先程、昌幸殿と策を練ったと言うたな。数年前、葬儀は如何にしたのだ。あれほどの謀将、手厚く弔ったのか」

「まさか。父も某も、罪人でございますれば」

「そうか……」


 兼続の違和感は紐解かれぬまま、大坂城の防備は堅くなる。そして徳川勢も、二十万に膨れ上がろうとしていた……。

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