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Twelve Coins Of Hades ―戦国真田十二文銭―  作者: 大培燕
第七章 冬の陣、虚実の大坂 ―兼続暗躍篇―
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第七十三話 穏やかな信繁

 家康は方広寺事件の弁明に来た片桐且元を、逆に豊臣への高圧的要求に利用する。秀頼の江戸出頭を要求すると、案の定大坂方は蹴った。そのうえ、そんな要求を持って帰って来た且元を裏切者と断じ、改易の処分を下した。この行動の根底にあるのは大坂方が且元の雇用に対する全権を持っているという解釈であるが、家康の狙いは正にそこであった。


 且元の領地の一部は、家康の許可で得ている物であり、家康から賜った領地である。つまり、見ようによっては且元は徳川の使者そのもの。その領地を、将軍家と家康、両者に無断で召し上げた……。

 遂に大義名分は成ったのである。だが大坂方はそれを見越していた様に着々と兵力を増強していた事を、家康は知らなかった。


「……もう一度申してみよ」


 大坂攻めが決まりご満悦だった筈の駿府の家康は、本多正純の報告に思わず薬草をすり潰す手を止めた。


「十五万にございます」

「こちらがか」

「いえ……徳川方の人数はおよそ二十万の見通し。十五万は……豊臣方の兵数にございまする」


 唖然とする家康。どう頑張っても、豊臣の兵数は十万に満たないと考えていた。確かに金銀は未だ大坂の蔵に多いとはいえ、勝てる見通しの少ない戦。何しろ見方は八方見渡しても、誰もいないのだ。一瞬、その募兵力に疑問と驚愕を覚えた家康だが、答えは直ぐに出た。


――直江山城。またしてもあ奴か!


 兼続は大坂入城の前に、密かに全国を行脚していた。忍び込ませていた上杉旧臣を回収するためであるが、それだけではなかった。表だって豊臣の味方を出来ない大名―福島家、加藤家などに代表される―に狙いを定め、上杉旧臣と共に雑兵の出奔を促した。すると思った通り、大量の兵士の出奔を福島正則らは見逃した。形の上では兼続に唆された出奔であるため、咎められることは無い。合法的に豊臣に加担する事に成功したのである。

 その結果、十万に満たないはずだった兵力は十五万にまで底上げされた。関ヶ原と違い、兼続の策は見事に家康の上を行ったのである。


「だが、まだ甘い。戦に勝つまでやってこその策士よ」

「御意」

「他に主だったものは……例えば立花家などは如何した?」

「今は亡き本多忠勝殿の策が当たった様で……宗茂殿は徳川に忠節を誓っておいでです」

「祝着至極。奴が豊臣につけば大変な事になっていた」

「ですが」


 正純はバツの悪そうな顔をして口ごもる。


「何だ正純。正直に申せ」

「……真田が、大坂に入場した様子にございます」

「馬鹿な!? 信之が?」

「いえ、九度山の」

「父か!? 子か!?」


 家康は、宗茂と同等の脅威を天敵・真田昌幸に感じ取っていた。


「浅野家の報せでは、安房守昌幸は数年前に死去しておりまする」

「では、次男坊か」

「はい。左衛門左信繁にございまする」


 家康は一先ず安堵する。だが、兄の信之の存在があるにも関わらず、表だって大坂城へ参陣するという事実に、やはり疑念を覚えずにはいられなかった。


「真田弾正を呼べ。浅野長晟と共に」


                   ******


 ゴリゴリゴリと、信之は墨をする。何も考えたくないと。信繁が大坂城に入ったなどと伝えて来た小姓に鉄拳を食らわせた後、一人自室に籠って黙々と墨をする。

 一定周期で体を動かせば、人は動作を覚え、考える事を止める。現実逃避には打って付けであった。


――ゴリゴリゴリ。ゴシゴシゴシ。


 信之にとってはこの擦れる音が何とも愛らしい。ずっとこうしていたいとさえ思う。その現状を、襖を開く音が切り裂いた。


「……慶次郎」

「何をしておられる」


 慶次郎は屈んで、主君に目線を合わせると鋭い視線をぶつけて来た。信之の眼は虚ろである。


「辛いのはお察しいたす。じゃが、今は進退を家臣と家康に示さねばならんじゃろうに」

「俺は何もせぬ。したくはない……」

「お立ちを」

「放せ!」


 信之は硯を払いのけて慶次郎の襟を掴む。


「現実じゃ。受け入れなされ」

「黙れ! 忍には、佐助には九度山から出れば、一族ごと滅ぼすと釘を刺した。信繁が大坂に行くわけがない!」

「行ったのだ。奴はそういう気性だと、一番知っておるのはお主だろう」

「関ヶ原では、三成を犠牲にしてまで家族全員を守った! それがこうなってしまっては、俺がして来た事は一体……」


 信之の手から力が抜け、ガクリと膝を落とした。慶次郎に肩を貸されるその姿は、どちらが老人か分からないほどであった。


「嘘だ……嘘に相違ない」


 弁明のため駿府に向かうその姿は、戦国大名のものではなかった。

 

                    ******


「浅野殿! 何故、何故信繁の監視を怠ったのだ!」

「真田信繁は村人に慕われておった故……彼らは厳しく罰したが、時すでに遅く」

「貴殿が逃がさなければ、こんな事には! さては真田に恨みがお在りか」

「されば憎き真田信繁めは、この浅野長晟が討ち果たし申す」

「ぐっ……」


 駿府城で信之は長晟に向かって激昂していた。忠勝らの協力を得て勝ち取った助命が台無しにされたのだから当然である。殿中であったとしても、叩き切ってやりたい衝動に駆られたが、そんな事をすれば真田家は取り潰しである。グッと耐える信之であった。


「お静かに。大御所様、お越しにございますぞ」

「ははっ」


 二人は上座に座った家康に頭を垂れる。顔を見なくとも、明らかに悪い家康の機嫌を感じ取れた。


「弾正。お主と平八の判断、完全に裏目と出たのお」

「面目次第もございませぬ」

「真田は信濃四十万石。最低でも五千の兵を出して、謀反を起こした弟の汚名を濯げ……のぉ」

「はっ、身命を賭し……」


 ヒヤリとした体温に信之の言葉は遮られる。家康はヨタヨタと下座の信之に近づき、首に手をやりながら再び問う。


「弟殺し」

「……ッ」

「務まるか、お主に」

「つとめ……まする……」


 言の葉に載せるだけ。その簡単な事が容易では無かった。親族殺しは、それほどの大業である。家康ほどそれを分かっている人物もいない。


「浅野殿。その方も、『今度こそ』ぬかりなく」

「は……」

「良いな?」

「ははっ!」


 家康の目が笑っていなかった。兼続によって増された豊臣の大軍が、家康を本気にさせた。その事を信之は悟った。


――その中に、信繁がいる。弟、殺し……。俺が……。


 今迄の何に対してよりも、臆している自分がそこにいた。


                    ******


「前右大臣、豊臣秀頼じゃ。皆の者、ようこの儂のために来たもうた。心より感謝する」

「勿体なきお言葉!」


 豊臣に味方した将達が、遂に秀頼の前に勢揃いした。その中で、一際存在感を放っている人物が数人いる。

 秀頼に次ぐ上座に位置するは小早川秀秋。その後ろに控える志賀親次。近臣である大野治長、木村重成もいる。後藤又兵衛、可児吉長、毛利勝永の武名高き将に、長宗我部盛親、大谷吉勝の元大名級も続く。だが最も存在が際立っていたのは、やはりこの男であった。


「直江山城。そなたのお蔭で、我が軍の兵力は著しく増員できたと聞く。大義であった」

「ははっ! 某、上杉家に奉公構を受けた身……この上は秀頼公を唯一君主と崇め、粉骨砕身、尽くす所存にござる」


――抜け抜けと言いおる。


 そう言いたげな諸将の顔であった。しかし、兼続が戦わずして大功を立てた事は間違いのない事実である。発言力はここにいる誰よりも持っていた。


「秀頼様、ところで……お側に控えておるその僧は」

「うむ。皆にも紹介しておく。新たに召し抱えた学僧・伝心と申す者じゃ」

「伝心?」


 明らかに異質な雰囲気を漂わせる男は、伏して秀頼の側に控えていた。覆われた頭巾で顔は良く見えないが、肌の劣化具合から見ても、七十前後であると推測できる。


「伝心でございまする。お見知りおきを」

「……」


 兼続は僅かに違和感を覚えたが、その違和感の正体まではわからなかった。


「真田左衛門左信繁。 前へ出よ」

「ははっ」


 後列に位置していた信繁が、秀頼に指名を受けて前面へやってくる。秀頼は巨体から声を張り上げ、高らかに告げた。


「九度山からの参陣、大義であった。其方には兵五千を与える。父・秀吉も期待した其方の武勇。豊家のために揮うが良い」


 部屋がどよめいた。当然である。五千の兵と言えば、二十万石の大名がやっと出せる人数である。それを実績の乏しい信繁に持たせた事が意外だったのである。


「有難き幸せ! 秀頼様のため、この信繁の武を捧げまする!」

「うむ。励め。本日は以上である。皆の者、大坂をわが家だと思い自由に過ごされよ」

「ははっ」

 

                    ******


 その夜、大阪城内で宴が催された。参加者は浪人、及び主力級の武将達である。


「義兄上と共に戦えるとは、吉勝生涯の誉にございまする」

「……『儂』も、嬉しい限りだ。吉勝」


 信繁の盃に、義弟である大谷吉勝が酒を注ぐ。だが、この席には信繁に好印象を持っていない人物も大勢いた。


「五千の兵を預けられるだけあって、態度も大きい様でございますな」

「何が仰りたいのです。可児殿」

「吉勝殿、考えてみなされ。其方の父・大谷刑部少輔を討ったのは、信繁殿の兄上でございまするぞ」

「むっ……」


 可児吉長が対立を煽る。戦国一、二を争う勝負師である彼は、挑発が得意だった。が、信繁は軽く受け流す。


「ハッ、何を仰るかと思えば。某はその兄を裏切ってここにいるのでござる。それに関ヶ原では大坂方に付き申した……はて、可児殿はどちらに?」

「何を! 過去の事など」

「そう、どうでも良い事にござる」


 吉長は黙ってしまった。一連のやり取りを見た兼続は驚愕した。挑発に対するその落ち着いた対応は、自分が知っている信繁とは全くの別人だったからである。


――これが、あの弁丸か……?


「これは御家老、お久しゅうござる」

「お前、変わったな」

「は?」

「その穏やかさ、どこで手に入れた」


 信繁は呆気にとられた様な顔をすると、笑みを浮かべて兼続を見つめる。


「それはきっと、一つの事を諦めたからにございましょうな」

「諦めた?」

「ささ、御家老もご一献。あの御家老と同勢力で戦が出来るとは、感無量でございまするなぁ」


 兼続は酒を注ぐ信繁の雰囲気から、どことなく哀愁を感じ取った。


――これは、自棄か?


                     ******


 その頃秀頼は、義理の兄にあたる秀秋を呼んでいた。傍らには家臣である志賀親次が着いている。


「義兄上、頭をお上げ下さい」

「義兄ではない。某は貴方様の家臣でございまする」

「……」


 秀頼も覚悟を決めた身である。『その様な事は無い』とは、口が裂けても言えはしない。


「小早川秀包に命を救われたと聞きました。その拾った命を、何故……」

「義兄上を殺したのは、某の優柔不断さにございます」

「秀包殿の望みは、確かに金吾様の長寿でございました。しかし、金吾様はそれを納得為されなかったのでございます」

「何故に!」

義兄あにに救われた身。この身で、此度は義弟あなたを救いたく……」

「義兄上……」

「今度は、間違いなく自分一人で決め申した。自分以外、誰の責任も問いはしませぬ」


 秀秋と親次は、互いに晴れやかな顔をしていた。秀頼は二人の覚悟を感じ取る。


「……あい分かった。金吾中納言・小早川秀秋。志賀親次と共に、兵七千を預ける事とす」

「ははっ」

「励め」

「御意!」


 退室しながら、親次の心中は複雑であった。小早川秀包・松野重元の弔いと言えば聞こえはいい。しかし、相手には友がいる。それでも主の意志を尊重するのが家臣の役目、もう迷う事は出来ないのだ。


――宗茂。願わくば、出てこないでくれ……。


 二人がいなくなった居室で、物陰で隠れていた学僧がニヤリと笑う。


「どうだ、伝心」

「ゴホッ……。使えまする。特に志賀親次……奴は戦を大いに知っておりまする。後藤又兵衛、可児吉長、志賀親次に毛利勝永。大名級以外でも中々どうして、使える者が集いましたな」

「勝てるか」

「直江兼続と……そして、信繁の働き次第で」


 伝心は咳き込みながらも、秀頼に言い放って見せた。


「勝てまする」

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