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Twelve Coins Of Hades ―戦国真田十二文銭―  作者: 大培燕
第七章 冬の陣、虚実の大坂 ―兼続暗躍篇―
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第七十二話 大坂入城

 奉公構ほうこうがまえ。それは自家を出奔、解雇された憎き家来を、他家に雇われて戦力にされないように釘を刺す……謂わば脅しである。雇用すれば、家同士の関係は悪化するため、相当な格の差が無い限りは奉公構えは成功してしまう。

 その奉公構を全国の大名に向けて発布した戦国武将がいた。上杉景勝……先の上杉征伐で、討伐されかかりながらも九十万石の大減封の末、生き残った男である。そして、対象となる男の名は……。


 直江山城守兼続。筆頭家老その人であった。奉公構の文が全国へ放たれたその日に、兼続は米沢を出発した。


「出奔だと!?」


 同時に全国の大名家で異変が起きていた。各家で十数人の家来衆が出奔するという事態が相次いだのである。



                     *****


 そして、極め付けの事件が起こる。方広寺である。国家安康、君臣豊楽。家康の名を引き裂き、豊臣を君として楽しむ。鐘の中に刻まれた祈りの文が、徳川方に曲解を許した。


「徳川の必死さが見て取れるのぉ」

「これではこじつけだ。それほど家康公も焦っておられるのだろう」


 家康は、1613年の時点で齢七十を数える。人間後十年と謳われたこの時代にあって、家康ほどの歴戦者がここまで生きている事はもはや奇跡である。家康より五歳も若い忠勝が、既に故人である事を考えてもやはり異常であった。

 戦人である以上、短命は避けられない。信之は、自分はいくつまで生きるのだろうと、ふと思う。三成の呪いに苦しめられるなら、いっそ短命で終わった方が良いかも知れなかった。拠り所である小松が先に逝きでもしたら……。


「ま、そんな先の事を今考えてもしょうがねぇやな。ほら、飲んだ飲んだ」

「……」


 月夜の晩は、小松と一緒にいたかった信之であったが、隣には加齢臭のする老人がいた。どうしても話しておきたい事があると、慶次郎が酒を持って信之の自室にやって来たのである。翌日も政務の指揮を執る信之は、チビチビと杯を傾ける。


「で? 何の話があるというのだ爺」

「うむ……一つ、怒らずに聞いてくれるか」

「事の次第による」

「そう言わず。決して、憤怒せぬと約束してくれ」

「……」


 きな臭いと思ったが、約束しないと話は進まないらしい。仕方なく、信之は首を縦に振る。慶次郎はにっこりと笑うと、笑えない事実を語り出した。


「儂とやって来た、儂の家来衆な。あれ、全部出奔した」

「……はぁ?」

「聴こえなかったか? 出奔した」

「聴こえておるわ! 貴様、それを黙認したのか!? 如何なる理由ぞ!?」


 信之は床の間の槍に手を掛ける。慶次郎は微動だにしないどころか、更にグイ、と酒を呷る。月夜に反射して光る切先と眼を合わせながら。


――大物め。肝に毛を生やしおって!


 三成の霊に怯える夜の信之は、殺気が鈍いという事もある。が、それにしても一千石の将に過ぎない慶次郎を無礼討ちにするのはわけの無い事である。それを分かってもなお、慶次郎は動かない。寄り眼すら作って見せる。


「約束が違うぞ、信之殿。槍を下ろしなされ」

「……」

「下ろさねば、話を進めぬぞー」

「糞爺め」


 信之は槍を床の間に戻す。


「全ての絵を描いたのは、御家老……直江兼続様よ」

「……あの男、まだ枯れていなかったというのか」

「見誤ったのぉ、クックック」

「で、絵を描いたと言うのは? 諸大名の間の出奔に関係があるのか?」


 慶次郎は首を柔軟に使い、大袈裟に頷いて見せた。


「出奔しておるのは、全て上杉の旧臣よ。御家老が直々に大名家を回って、将と共に雇わせておいて」

「大坂の戦機が熟した時に、出奔させて大坂へ合流、豊臣の兵にする」

「御名答! ガッハッハ」

「あの俗物がぁぁぁ!!」


 信之は拳を床に叩きつけた。兼続が慶次郎を連れて来た時、彼の気概は枯れてなくなったと、信之は思い込んだ。あの時の兼続の握り拳が、残っていた反骨心の表れだったにも関わらず、見逃してしまったのである。完全に出し抜かれた。


「景勝が奉公構を出したのも、徳川から文句を付けられぬためか?」

「良く分かっておるの。もう御家老は上杉と縁もゆかりも無い御方。豊臣に味方する者じゃ」

「上杉……何とえげつない!」


 景勝は嫌疑にかけられるだろうが、奉公構を喰らった兼続が豊臣に味方するのは自然な流れである。上杉が残る事を確定させた上で、自らが徳川に鉄槌を下す気なのだ。


――不味い。兼続と信繁が会いでもしたら……!


 二人は旧知かつ親しい間柄である。兼続の毒に当てられて、信繁が大坂に参陣する可能性は大いにあった。だが、その前に気になる事があった。


「……爺。其の方は、何故未だこの上田におる」

「ん? 何故とは」

「恍けるな。上杉の旧臣が出奔したのなら、何故その将であるお主が今! 俺の目の前におるのだ」


 確かにおかしな話であった。そもそも、何故その話を信之に話すのか。この期に及んで、慶次郎の出奔を許す信之ではない。これでは斬られに来たようなものである。


「あー、それなんじゃが……」

「……」

「儂は、出奔せぬ事に決めた」

「何っ!?」


 信之は驚いた。怒りのあまり力みに力んで、拳に集中させていた力までもが四散した。慶次郎は庭の方を見て話を続ける。


「最初は、御家老の策は面白いと思うた。儂の戦は長谷堂で最後じゃと思うたが、最後に一花。大坂で咲かせて見るのも一興だとな」

「ならば何故」

「貴殿だ」

「は?」

「儂を止めたのは……真田信之の、やつれ切って、それでも奥方や家臣のため必死で家を切り盛りする姿よ」


 慶次郎は素早く座り直すと、両の拳を床に叩きつけ、頭を下げた。


「滝川一益、前田利家、上杉景勝……様々な主の元で転戦して参った」

「爺……」

「もう儂も長くは無い。最後は、貴殿の……否。真田弾正大弼信之様の元で、戦いとう存じまする」


 信之は耳を疑った。兼続に出し抜かれた直後、いきなり負の連鎖が止まったため、時間が止まったかの様な感覚に陥った。


「俺で、良いのか?」

「左様にござる」

「直江と合流する手筈だったのでは」

「部下には、真田に付くと申し伝えておき申した。直江様より信之様の方が、付き合いも長うござりますれば」

「慶次郎……」


 思えば、二人は武田滅亡後から、二十年来の付き合いになる。歳は親子ほども離れているが、情報を共有し、時には共闘した戦友である。

 信之の元を離れて行く者は、多くいた。矢沢頼綱の死。三成との敵対。昌幸と信繁の流罪。そして忠勝。だがここにようやく、信之を慕った友人が来てくれたのである。気づけば、信之は老人の手を握っていた。


「……けない」

「む?」

「かたじけない!」


 信之の心が、ほんの少し救われた。


                     ******


 大坂城の後藤又兵衛と可児吉長は、兼続同様に奉公構を受けて大坂にやって来た。又兵衛は単に黒田長政との不仲としても、吉長は福島正則から秀頼への贈り物……と浪人達は噂した。だが真相は、吉長が単に戦を求めて参上したに過ぎないかもしれなかった。

 それほどまでに、鋭い殺気を放っている。今日も新たに合流した浪人に対し、面を拝もうと忍び寄るが……。


「手前、確か……」

「おや、可児才蔵殿ではございませぬか。後藤又兵衛殿も」

「毛利豊前守殿……か?」


 土佐の山内家を抜け出してやって来た、毛利勝永その人であった。先の関ヶ原で池田、浅野軍を前に鬼神の如き働きをした、あの勝永である。


「なんてこった。紛れもない元大名まで来やがるとは」

「貴殿は山内家に厚遇されていたのでは?」

「家臣や妻の覚悟を聞いて、この大坂へ脱走して参った次第」


 大名級の部将が参陣した事実は、大坂城を沸かせた。だが、それだけでは終わらない。


「長宗我部盛親殿、ご参陣! 秀頼様に忠義を尽くすとの事」

「明石全登殿、大坂に御加勢!」

「大谷吉勝殿、ご到着! 大坂の御味方にござる!」

「御宿政友殿も御味方として参陣!」

「塙団右衛門殿、秀頼様に加勢!」


 意外であった。福島家や加藤家は、参陣が叶わなかったものの、豊臣にゆかりのある者、無い者……いずれも領地を持たぬ敗残の武将達ではあるが、確実に味方が増えて行く。

 さらに、思いもかけなかった武将が参陣する。


「おい! 手前が何でここにいやがんだ」

「これはこれは、元同僚の可児殿ではございませぬか」

「裏切りもんが! 今ここで首を刎ねて……」

「控えなされ。今貴殿は、福島家臣ではないはずだが?」

「ぐ……そうであった」


 吉長の前に現れたのは……『天正の楠木正成』志賀親次であった。ここ十数年、行方が知れなかった名将の参戦である。


「秀頼様にお目通り願いたい。豊家には大友家以来の恩があるため、御味方仕る。ご挨拶をば」

「何をしゃらくさい! 一介の浪人が、易々と秀頼様に会うなどと」

「ふっ……この御方が願っても、か?」

「誰が願おうとも……ッ!? ま、まさか!?」


 親次が秀頼と軽々しく会うのを止めようとした吉長だったが、後ろの人物の姿を認め、顔と名前を一致させると驚いて下がる。周りの浪人も気づいた様子で、騒めき始めた。


「お、おい、あれって……」

「間違いねぇよ、俺、元家臣だったし」

「さて、参りましょうか。金吾様」


 騒ぎ立てる浪人を無視し、親次とその男……小早川秀秋は、秀頼の待つ天守へ登り始めた。


                     ******


「秀頼様からの書状、か」

「はっ。信繁様を頼りにしておられると」

「……」


 昌幸の命じた『兵糧』を大坂城に運んだ才蔵は、その帰り道で秀頼の文を預かっていた。信繁はまじまじとその文を見つめる。


「秀頼様が、某を、か」

「はい。太閤秀吉様の一粒種が、信繁様を!」

「佐助」

「はっ」

「兄上に、何を言われた」

「えっ」


 信繁の使命感を煽るつもりだった佐助は、虚を突かれた。


「答えよ。某付きの忍……謂わば監視役である其方だ。釘を刺されておるのだろう」

「何も」

「嘘を吐くな」

「何も」


 佐助は冷や汗をかいた。昌幸がいなくなってから、信繁の勘の鋭さは日に日に昌幸のそれに近づいている。忍である自分の嘘でさえ、見破ってしまう程に。


――言う訳にはいかぬ。信繁様を大坂に行かせれば、一族郎党、里ごと皆殺しなどとは……。


 佐助は、何を犠牲にしても信繁に武名を与える覚悟であった。信之、昌幸と同様に、信繁にそれだけの素質を感じ取っていたからである。

 これほどの人物が埋もれたまま死ぬのだけは、耐えられない。


「何も言われてはおりませぬ」


 佐助は自制を極めた。発汗、肌の皺の動き、動揺時の異変を一切なくし、信繁の問答に対応する。


「……某は大坂には行けぬ」

「何を仰います! 『兵糧』は、既に大坂に贈りもうした! 後戻りはできませぬ!」

「餓鬼の時分、兄上に言われた。功名に走り家を潰すなら、兄が直々に介錯するとな」

「それは」

「某が大坂に行けば、兄上と戦わねばなるまい」

「……」



 信繁は月に照らされている。佐助から見た彼の表情は曇っている様にも見える。冷静だった佐助は激高した。里を捨てるという自分の覚悟が、これでは無駄になってしまうのだ。


「御兄弟と戦い、勝ちを拾う為に! 昌幸様は信繁様に全てを伝えたのでございましょう!」

「そうだ」

「ならば何故! ここで苦悩されまする! 長い日ノ本の歴史の中に、埋没されるおつもりか」

「……」

「武名と、豊家への恩、そして徳川の不条理への抵抗。 信繁様の望まれる全てが、大坂にあるのです!」


 信繁は佐助の言葉を聴き、大きく溜め息を漏らした。太閤秀吉には恩があるし、そのために戦う事を迷いはしない。しかし、それ以上に……。


――結局佐助も、父上も。何も分かってはおらなんだ。


「佐助。老人に変装し、大坂城へ入る」

「それでは!」

「支度をせよ。大助にも同様に」

「御意!」


 佐助は喜び勇んで駆けて行く。その後ろに、ずっと人の気配を感じていた信繁は呼びかける。


「利世。おるのだろう」

「……申し訳ございませぬ」

「入れ」


 妻であった。夫との別れを意味する先の会話は、全て彼女に聞かれていたのだ。


「すまぬ。義父上(大谷吉継)と同じ道を歩む事になった」

「見くびっていただいては困りまする。私とて、武家の妻。義姉上ほどではございませぬが」

「結局、これという大功を挙げて、そなたと喜びを分かち合う事は、ついぞ無かったの」

「左様で。でも、私は沢山の功を挙げる事、叶いました」


 信繁は、この九度山で利世の腹から、五人もの子供を授かった。その度に信之からは祝いの言葉と、より一層の仕送りを賜ったものだった。


「ああ。儂にはないが、そなたには功があった。かたじけないのう」

「父が功を挙げる時、私は一緒になって喜んだものでした。母上も一緒になって……だから私も貴方様が世に轟く大功を挙げる時を、子らと共に待っておりまする」

「利世……」

「何としても、武功を残して下さいまし。私どもの事は、何の心配もございませぬ」


 嘘が下手な妻であった。武功などいらない。子供達とこの九度山で、ずっと暮らしてくれればそれでいい。その本心は、悲しくも信繁に伝わった。それが分かる程に信繁は年をとり、成長してしまっていた。

 幸い……と言ってよいのか、悪いのか。監視役の村人達は、信繁の人柄に大いに惹かれていた。覚悟を話すと、信繁一家の脱出を見て見ぬフリをしてくれる事を約束した。そのうえ、親しくしていた浅野家の追跡も甘いものであった。


――カッカッ。


 そして大坂入城の日、利世は石を鳴らして信繁、大助らを送り出した。


――利世、子らよ。そして……。


 信濃まではあまりに遠く。別れを言いたい一番の人間に、その声は届かない。

次は木曜です。ご了承を。

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