第七十話 忠勝、栄光の果て
「大坂城には、未だ兵が残っておる」
「秀頼君の新鋭隊でござりまするか」
「それだけではない。先の関ヶ原で田辺城を攻めておった兵を忘れたか?」
「なるほど……さらに毛利からあぶれた兵も加えたら、ちょっとした数になりまするな。二万か、三万か」
昌幸と信繁は今日も碁を指している。こういう情勢の話をしていても、信繁は昌幸と対等に意見を交す事ができる。この成長が昌幸には嬉しかった。
「それだけではない。もう一つ、気がかりな事がある」
「気がかりとは?」
「上杉よ。大量に解雇したはずの大量の兵は一体、どこへ行ったのかという事」
「帰農したか、あるいは……大阪へ入るのか」
「それよ」
昌幸は力強く黒の碁石を置いた。
「信之からの文では、上杉配下の前田利益が信之へ仕官したとあった」
「その様で」
信繁は十五年以上前、慶次郎と初めてあった時の事を思い出していた。果敢に挑み、飛び上がった自らの槍は、強烈な一撃で迎え撃たれた。機会があれば、また矛を交えたいと思っていた相手である。
そんな男を、あの直江兼続が何故手放したのか。それが信繁には解せなかった。
「直江め、もしかしたらとんでもない事を考えておるかもしれぬ」
「とんでもない事……まさか」
「ふふ、今は時を待とうぞ、源次郎」
「ははっ」
信繁は、父の考えが理解できる様になっている自分に気づく。昌幸はニヤリと笑った。
「では、碁はこのぐらいにして」
「おう。本当に軍法の話に移るとするかのう」
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1605年、家康は驚いたことに将軍職をたったの二年で退き、嫡子である三男・秀忠を次期将軍に指名した。主君筋の秀頼ではなく、関ヶ原で大功を挙げた秀忠に譲ったのである。これもまた、家康の挑発の一つであった。自分の目の黒いうちに豊臣を潰す。その意志がありありと感じ取れる行動である。
家康から豊家を守る策といったら、徳川家の傘下に豊臣家を置き、一大名家として生かす事であった。それを目指したのが加藤清正、そして浅野幸長ら豊臣恩顧の将である。
「お互いに躍起になってるってこった」
「立花を傘下に置いたとはいえ、まだまだ豊臣は侮れませぬぞ、義兄上」
「戦で潰さずに、徳川配下として残したい。が、そう上手くはいくまいな……」
「淀殿、でございまするか」
1609年、上田城。忠勝と忠朝が、信之に会う為に参上していた。持て成しとして西瓜を持って来た小松が、そのまま居座っている。
「然りだ。織田家の血を引く誇りというものがあるのだろう。天下人の座は譲らぬと息巻いてやがる」
「不味いと思いませぬか、義兄上」
「そうだな……」
信之の頭は信濃の安寧で一杯である。正直、大坂の事は時勢に委ねるしかないのだが、気がかりは一つ。父弟の事である。
「大坂が戦を考えるならば、秀頼君が諸将に文を書くはず」
「九度山にも書くってかい?」
「恐らく……監視は浅野家に任せておりまするが、浅野長政殿と違い幸長殿は表立っての親豊臣。下手をすれば煽る可能性もあり……」
「ダンナ、もしや本多家に迷惑がかかると考えているのでは?」
「えっ」
図星であった。小松は忠勝と忠朝と一緒になって、信之を睨む。信之は、助命嘆願に骨を折ってくれた忠勝の顔だけは潰したくなかった。昌幸・信繁が大坂に入れば、徳川家中からは『本多殿が死罪を止めなければのう』などと、白い目で見られるだろう。
「見くびるな婿殿。助命嘆願に協力はしたが、手前のケツくらい手前で拭くわいな」
「しかし……」
「義兄上、現大多喜の主として言わせて頂きます。もし信繁・昌幸殿が敵に回ったなら、我ら義兄弟で討ち果たすだけの事」
忠朝は忠勝の旧領である大多喜十万石を継いでいた。一方で関ヶ原で功を立てた忠政は、本多家当主として伊勢桑名十万石を与えられ、晴れて忠勝は隠居する事となった。今上田に来ている理由は、その報告である。
「忠朝、そうは言うが」
「その覚悟なくば、誰が敵将の助命など乞いましょうや?」
「よく申したッ! 偉いぞ、二郎!」
「痛ッ」
小松が思い切り忠朝の背中を叩いた。忠朝は痛がりながらも、姉の肌を久々に感じられて嬉しそうである。
「そういう事だ婿殿。あんたは気にせず信濃の政に精を出せばいい」
「忠朝、義父上……ありがたきお言葉」
「よせやい。ほら、飲め飲め」
小松は忠朝を羽交い絞めにしながら、信之の様子を観察する。宗茂と話したあの日から、少し顔が晴れた気がする。最近は忠勝や慶次郎らと絡む機会が多いせいか、陰を落とす事が少なくなっている。親族や家臣との繋がりを大事にして来た事が、彼を助けているのだと実感できる。
まだ三成の事は忘れられないに違いない。しかし小松を、本多家との縁を選んでくれたからこそ、こうして家族で談笑できるのだ。小松は信之に、信之は小松に感謝していた。
「しかし馬車馬の様に戦場で使われて来た父上が、隠居する齢まで生きられるとは」
「ハッ、違いねぇ。忠次殿(酒井)も直政(井伊)も康政(榊原)も、皆死んじまった。俺もあいつらも、同じくらい修羅場をくぐったんだ。俺は頗る運が良かった。俺は小松の嫁入りまで生きられるかすら心配だったもんだが」
忠勝はグイ、と酒を煽る。
「婿殿がこいつを貰ってくれて、本当に良かったぁ。猪を斬って落とす鬼娘じゃと、散々な言われ様なもんだから、俺ぁ心配で心配で」
「余計なお世話にございます」
「婿殿と会った後のこいつぁよ、本当のうわの空とはかくの如しと言ったところよ。心底好いておったから、今まで夫婦でやってこれたってわけだ」
「……それは、さぞ面白き光景であったのでしょうな」
「父上ぇ!!」
赤面した小松が茶碗を投げつける。忠勝は咄嗟に西瓜の皮で防御すると、そのまま親子喧嘩に発展した。その様子を肴に、信之と忠朝は酒を酌み交わした。
「義兄上が羨ましい」
「何故だ」
「姉上が側にいれば、いつでも昼間にございましょう」
「そうだな」
「姉上は太陽にございまする」
だが、この日々はいつまでも続きはしなかった。翌年、忠勝が倒れたのである。
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姉川、一言坂、長篠、小牧・長久手……。その全てで、忠勝の武勇は光り、語り継がれてきた。その伝説の終焉。家康を始め、藤堂高虎等多くの武将が隠居先の桑名を訪れた。
そんな中、上田から信之が見舞いに来ると、先客が待っていた。宗茂である。
「真田殿?」
「宗茂殿、貴殿がいるとは聞いておらなんだ」
「おう、来たか二人とも。入んな」
襖を開けると、一年前とは別人の様に頬はこけ、顔は蒼白くなった忠勝がそこにいた。逞しく太かった腕はエノキダケの様に細くなり、かつての剛腕ぶりは陰を潜めていた。
「御労しや。さぞお辛いでしょう、義父上」
「婿殿よぉ……そんな話をしに呼んだんじゃねぇのさ」
声もどこか弱弱しい。初対面の自分に刃を寸止めした豪快な男を、ここまで萎ませる『老い』。大叔父・矢沢頼綱を見て来た信之はその怖さを知っているつもりであったが、やはり慣れはしないらしい。
「関ヶ原はよぉ」
「はい」
「楽しかったなぁ」
「……」
二人はしばし黙り込んだが、数瞬後には同時に発声した。
「「楽しうございました」」
「おう。だが、世の中楽しい戦だけじゃあねぇのさ。だから、もうすぐ戦はなくなる」
「心得てございます」
「いずれ戦を知る奴らはいなくなる。俺は、その最後の方まで残るのがおめぇさんら二人だと思うのよ」
「我らが……?」
二人はお互いの顔を見合う。戦人たる二人は、とても自分が長生きするとは思えなかった。
「俺の戦場勘は当たる。これは、それに近いもんだと思ってくれ」
「我らに、どうしろと」
「一つ、徳川の世を最後まで支える事」
「……」
宗茂は眼を瞑っている。強要される事では無い、と言いたいのだろう。そう信之は分析した。
「もう一つ、俺の事はどうでもいいんだが、直政や康政みたいな猛将がいた事を、しっかり後世に語り繋いで貰いたい」
「……」
「頼むぜ。あいつらが後の書物から漏れる事が、一番心配でよぉ」
信之と宗茂は頷くと、忠勝に武勇伝をせがんだ。仕方なく忠勝が応じると、三人で仲良く談笑を続けた。夜が更けるまで、戦場に想いを焦がす子供と化して。何刻も、何刻も。
「康政も言っていたが、不思議なもんでよぉ」
「何でございましょう?」
「動けなくなった今だからこそ、また馬を駆けたくなるのよ」
忠勝が小松を始めとする家族に看取られて大往生を遂げたのは、数か月後……1610年十月。享年六十三。
秀頼と家康が二条城で会見を行ったのは、その翌年の事であった。
次は日曜か月曜です。




